第5話 恩返しがしたいのです

神々しいにもほどがある義弟との出会いから、早三年。


十六歳になったジュード様は、誰もが振り返るほどの美青年に成長し、もう私より頭一つ分以上に背が高くなっている。


成人したことで長かった髪はすっきり整えられ、さらに凛々しく清廉な雰囲気になった。


ただでさえ息を呑むほど美しいのに、ここ半年は身体を鍛え始めたものだから、ご令嬢方が「抱き締められたい」と熱い視線を送るほどスタイルもよくなった。


性格はというと相変わらずツンデレで、すばらしい喜びを私に与えてくれている。


この三年、毎日同じ邸で寝起きしていたけれど、学院がない日のジュード様はいつも書庫にいて、私はそばで並んで本を読むというのが当たり前になっていた。


最初の頃は『邪魔したら追い出すからな』なんて言っていたけれど、私があまりにも石のように動かず何も話さないものだから、『適度な発声は貴族令嬢としての嗜みに必要だから許可する』と言いだし、本の内容については会話できるようになった。


彼は貴族学院へは別邸ここから通っていて、学校生活についてはほとんど教えてくれなかったけれど、「私も行ってみたかった」と言うとこの世の終わりみたいに嫌そうな顔をされた。


『ルーシーみたいなのが通うところじゃない』


ジュード様はきっと私がまだまだ淑女とはいえないことを気にしていて、自分の姉がこんなだと皆に知られたくないから一緒に通うのは嫌なんだなぁと思って地味にショックを受けた。


ただしキツイ言葉をかけた後は必ず優しさが漏れだすので、私は義弟から辛辣な言葉が飛び出すのを今か今かと待っている節があったりする……。


あのときだって、私が苦笑いで首を傾けていると、ジュード様はあからさまに「しまった」という顔をして伏し目がちに言った。


『学院は危ないから……それだけだ!』


『危ない!?猛獣でもいるんですか!?』


『そ、そうだ。ルーシーみたいなのが無事に卒業できると思わない!』


さすが貴族の学校だと思った。

元平民にはわからないけれど、とてつもない危険があるみたい。


ジュード様は無事でいられるのか、と詳しく聞こうとしたら背を向けられて教えてもらえなかった。


『学院はダメだけれど、街へはたまに連れて行ってやる!だからそれ以外は絶対に邸から出るなよ!絶対だぞ!』


必死になって私を外へ行かせないようにするのがかわいい。

もちろん私は言われた通りにした。


生粋の貴族じゃないから、ボロが出てジュード様に恥をかかせるわけにいかないので、礼儀作法の先生に合格をもらうまではどこへも行く気はない。


だいたい、勉強なら家庭教師の先生がいるので、学院に通わなくてもそれなりに学ぶことはできる。貴族令嬢はほとんどそうしていて、学院に通う女子は男子の1/10の人数だと聞く。特別な才女でなければ、入学できないんだろうな。




とはいえそんな私も十六歳で社交界デビューし、もう二年の月日が経つ。

お友だちもできて、いわゆる恋の話もちらほら…………聞く側になった。


令嬢としての私の評判はまずまずだけれど、養女とはいえ最高位の公爵家の娘に気安く近づいてくる人なんてそんなにはいない。


そして気安く声をかけてくる人は、おじさまやおばさまによってことごとく排除されていっていた。


よって、私は品行方正な令嬢生活を続けられている。




今日は一緒に夜会へ出かける日。


おじさまとおばさま、そして私とジュード様の四人で馬車に乗り込む。


「うちの子たちは本当にかわいいわ。二人とも美男美女で、立派に育ったわね」


おばさまはうれしそうに笑った。おばさまは最近、私がますます母に似てきたと昔を懐かしむ。


「ルーシーちゃんはもうすっかり社交界の華ね。誰があなたを妻にするか当てようって、よく話題になるのよ~。この一年だけでもたくさん縁談が来ていて、私に直接ご子息を売り込んでくる夫人方も多いのよ」


そうでしょう、そうでしょう!

私はずっと、恩返しのために淑やかで控えめな女性を演じてきた。

公爵家のために、可憐な深窓の令嬢のふりをしている。


「おばさま、ありがとうございます。結婚は想像もつきませんが、私はお二人の決めた嫁ぎ先ならどこへでも行くつもりです。ご希望の方がおられるのなら、その方に気に入ってもらえるようにがんばりますのでぜひおっしゃってくださいね?」


貴族は政略結婚であることが大半で、公爵家の利益になる結婚なら喜んでするつもりだ。

よくよく考えた結果、私にできる恩返しはよりよい家に嫁いで縁を深めるということに辿り着いたのだ。


立派な淑女になって、いい家柄の人と結婚する。

これはここ三年ずっと目標にしてきたことである。


おじさまたちはこれまで何も言わなかったけれど、私の母が駆け落ちしたという過去があるので、娘の私も突然誰かと恋に落ちるのではと少々心配していることも知っている。


あいにく、そんな予兆はまったくない。


なんとしても、恩返しのために良縁をと意気込む私を見て、隣に座るジュード様は窓の外を向いたまま言った。


「まだそんなこと言ってるの?恩返しでいい相手に嫁ごうだなんて、身の程を知った方がいいんじゃない?」


隣に座るジュード様は、不機嫌そうにそう言い放つ。

おばさまがじとりとした目を向けているけれど、まったく気にしていないようだ。


「身の程を知っているので、少しでも役に立ちたいのです。私は引き取られて本当に幸せなんですから、恩返ししたいんです。もちろん、実父が平民であったことを知った上で私をもらってくださる方がいれば、ですが……」


貴族っていうものは、体裁にものすごくこだわるということは養女になってから身に染みている。

なんでこんなことが必要なの?という儀礼や慣習がたくさんあって、その大半は見栄のためなんだから本当にめんどうだ。


私が父のことを持ち出すと、ジュード様はちょっぴり慌て始め、ちらりとこちらを見て苦々しい顔で言った。


「別に、身の上は……、ルーシーはルーシーだから、そういう意味で言ったんじゃなくて、その」


「ふふふ、大丈夫です。気にしていません」


「だから……、もうルーシーは公爵家の娘で、家族だから……」


あぁっ!今日もジュード様が素晴らしい!

神々しい光がさぁっと私を吹き抜け、思わず意識が飛びそうになってしまった。


おじさまはなぜか口元に手を当て、おかしくて堪らないという風に顔を背けていた。


「ジュードの、言う、通りだけれど、ふはっ……!」


「あなた、人の真剣な想いを笑っちゃいけないわ」


「そ、そうだね。えっと、ルーシー。まぁ、恩返ししてくれるという意気込みと熱意はありがたいが、私たちとしてはずっとうちにいてくれてもいいと思っているんだよ?」


予想外の言葉に、私は目を丸くする。


「でもずっと私がいたら、ジュード様が結婚なさるときにご迷惑をかけてしまうわ。姉が嫁いでいないなんて、性格に難があって結婚できないのではと思われそう。それに、お相手が私にいじめられたらどうしようって不安に思われるかも」


義弟大好きな私だからこそ、絶対に迷惑はかけたくない。

でもおじさまはやけに含み笑いで、ジュード様に尋ねた。


「だって、ジュード。どうする?ルーシーがお嫁に行っちゃうなぁ。淋しいからどうにかならないかなぁ」


「……」


ジュード様は、言い返すこともせずただただぎりっと歯を食いしばっておじさまを睨んでいる。


彼は学院では成績優秀、品行方正、みんなに慕われていて友人も多いと聞いているけれど、私たちの前で見せる姿はとてもかわいらしい青年だ。


少しでも公爵家の跡取りとしての重圧から解放される瞬間があるのは、とてもいいことだと私は思う。


「学院を卒業するまであと一年か~。長いな~」


「すぐですよ、父上」


「だといいんだけれどね。せめて気持ちくらい伝えておかないと、後悔することになるよ」


おじさまの言葉に、私はぎょっと目を見開いた。


「ジュード様、お好きなご令嬢がおられるのですか!?まさか学院に……!」


これはいけない。

あと一年で卒業ということは、それから婚約期間を一年置いたとしても、私がジュード様のそばにいられるのはあと2年ということになってしまう。


「そんな……」


なんてことだろう。

すぐにでも嫁いでいいと思っていたはずなのに、いざ具体的に別れの時期が見えてくると動揺で震えが走る。


「おい、なんて顔しているんだ。真っ青だぞ」


「え?」


ジュード様の口調は咎めるように聞こえるけれど、その瞳は反対にとても心配してくれているように見えた。


「会場に着いたけれど、降りられるかい?」


はたと気づけば、馬車はもう止まっていた。

私は慌てて笑顔を作り、大丈夫ですと言った。


おじさまたちが先に降り、続いてジュード様が降りて行った。

私が扉の前で屈むと、そこにはすっかり大人になってしまった大きな手が無言で差し出される。


「ありがとうございます、ジュード様」


そっと手を乗せると、やけに丁寧に握りこまれてどきりとしてしまう。

いつも乱暴に引っ張るようにされたのに、相当に具合がよくないと思われているのかも。


「あのさ」


「はい、なんでしょう?」


おじさまたちはすでに前を歩いて行っている。

馬車は私たちを残して邸の裏手に向かったので、ここにいるのは私たち二人だけだった。


妙に真剣な顔つきのジュード様は、めずらしくまっすぐに私の目を見て言った。


「成人、したから」


「はい、存じております」


成人祝いのパーティーを、先月開いたから知っている。


「だから、ジュードと呼んで欲しい」


「はい?」


なぜ呼び捨てなのかしら!?

成人して大人になったから「様」づけにしろというならまだわかる。


意味がわからず、つい眉に力を入れてじっと見つめ返してしまった。

すると彼は、頬を紅潮させて目を逸らす。


「だから!様とかおかしいから!弟なんだから「様」づけなのはおかしいだろう。別に前から思っていただけで、きっかけとしてどうかって思ったから……」


確かに、社交の場ではジュード様だって私のことをルーシーとは呼ばず、姉と呼んできた。

私だって本人のいないところでは「弟が~」とか秘かに呼んでいた。


「お嫌ではないのでしょうか?」


姉だなんて認めない、今は。そんなことを初対面の日に言われたけれど、もういいのかな?

疑り深い私は、確認のため尋ねる。


「好きに呼べばいい」


握った手にぎゅっと力を込めるジュード様は、私を連れて歩き始めた。

沈黙が流れ、なんとなく気まずいのは気のせい?


私より頭一つ分以上も背が高くなったのに、相変わらず義弟はかわいかった。

呼ばないのか、とちらちらと視線を私に向けては逸らし、向けては逸らし……。


かわいいにもほどがあるー!!


あぁ、やっと姉だと認めてくれたのね……!!

恋は人を大人にするっていうもの、きっと学院でどこぞのご令嬢に恋をして、自分や家族のことを見つめなおす機会になったんだ。


感動した私は、胸に熱いものがこみ上げる。

ちょっと涙まで目尻に浮かんできた。


大きな扉が開かれ、私たちは入る前に一度そこで立ち止まる。


「ジュード」


「っ!」


にっこり笑ってそう言えば、義弟はいつものように反抗的な態度ではなく、ふわりと柔らかい笑みを浮かべて満足げだった。


あれ?

ここはツンデレじゃないの?


え、ちょっと待って。

成人したらツンデレも終わっちゃうの?

あれは成人までの時間制限つきだったの?


絶句していると、ジュードは私の髪を撫でて言った。


「ルーシー」


ん?


ここは、姉上とかお姉様とか言ってもらえる流れじゃないの?


どうしよう、義弟が全然わからない。

もしかしてまだ何段階かのステップがあるの?


戸惑っていると、ジュードも私の反応が思っていたのと違うと感じたのか、お互いに目を瞬かせて見つめ合う。


「「…………」」


しばらく沈黙していた私たちは、先に進んでいたおじさまたちがわざわざ戻って来てくれたことでようやく正気を取り戻すのだった。


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