KAC202110 ゴール

渋谷かな

第1話 KAC202110 ゴール

「ゴールがあるから始まりがあるんだ!」

 やっとKACも終わり。

「長かった。これをやることに意味があるのだろうか?」

 KACの存在意義も疑われている。

「価値は皆勤賞を貰うだけ。」

 他にKACを頑張ったからってお金が貰えたり、書籍化されたり、大賞を頂けるわけではない。

「つまりそういうこと。」

 過疎のカクヨムで一番多くアクセス数を確保した人。それは不正か業者かコネかユーチューバーかインフルエンサーか? ほぼ意味のない数字になってしまっている。庶民参加型だが庶民には縁のない話になっているからだ。

「くだらない話はやめよう。」

 どうせ誰も見ない。それが過疎のネット小説投稿サイト。他ならコネなし不正なしの庶民でも10倍のアクセス数がある。


「一般大衆がアニメも漫画もドラマも映画も見ない。」

 もちろん本も読まない時代。

「でも、みんなが見たといえば映画は見に行く一般大衆。」

 例えそれが映画館でコロナ感染するとしても。

「なぜだ?」

 日本人がコロナに感染して死ぬよりも、みんなにいじめられたくない、のけ者になりたくない、仲間外れになりたくないなどの強迫観念の方が強い。

「分かりやすいのがマスクだ。」

 WHOはマスクに有用性はないという見解を述べているという。しかし日本人はマスクが大好き。更にマスクをしていない者を見つけると文句を言ってもOK、殴ってOKになっている。

「これから暑くなるしマスクをしたくない。」

 しかし日本人の村八分文化がある限りマスクを付けなければならない。自分の身を守る為に。

「日本人は自分の意思を持たない人種である。」

 それこそアメリカが死ねと言えば死ぬのが日本である。

「自分を失くして生きながら死ぬか、自分らしく死ぬか。好きな方を選べる。」

 物語の会話のやり取りは教えのものが多い。

「相手がマスクを着けている人しか相手にしないならマスクをしなければいけない。」

 相手によって接し方を変えるのは当たり前だ。

「我慢して死ぬ者が多い。一方で嫌われっ子は世に蔓延る。」

 悲しいが何もしない者は死を待つだけ。世の中に暴力やいじめをしてきた人間が社長とかになっているのは、悪いことでも行動力があるからだろう。

「一人で道の真ん中を歩く人間。二人以上で道を防いで歩く人間は いるか?」

 要らない子。そう子供と同じである。だがそういう子の方が世の中には出ている。それは大手町、霞が関、新宿、渋谷でもどこも同じである。

「なぜなら普通の子は家の中で怯えてスマホゲーしかしないので、世の中の迷惑はかけないで死んでいく。」

 コロナで自宅待機ではなく、土日に都心から人が消えるのは、ストレスの原因は人であり、誰にも会いたくないから休日ぐらいは部屋の中で平和に生きるのだ。

「人間のゴールとは何か? 嫌な人間に合わなくてもいいぐらいお金を稼いで、会社という社会の中で自分より上の立場の偉そうな人間に嫌な思いをさせられないことではないだろうか。」

 お金持ち、若しくは無職、生活保護なら昼間っからネット小説投稿サイトに登校できる訳だ。できる人間は限られている。

 ゴール。アハッ!

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