締め切り前は読書が捗る。
酒井カサ
第『〆』話 締め切り前は逃避が捗る。
――人生が四畳半で完結するようになって久しい。
講義はすべてオンデマンド配信で、メールでレポートを提出するだけ。
アルバイトは試験の採点なので、そもそも職場が存在しない。
外出するのはせいぜい食料調達のときぐらいだが、それも近所のスーパーでまとめ買いをするので、月に二回いけば問題ない。
そんな生活を送っていると、当然ながら曜日感覚が欠如する。最後に入浴したのが三日前なのか一週間前なのか、本気で分からなくなることがある。それも少なくない頻度で。ゆえに読書研究会における提出物の締め切りを忘れてしまうのも、無理からぬ話なのである。
『そんな言い訳、聞きません。私、あらかじめ後輩くんのGoogleカレンダーに書き込んだのよ。【読書感想文 提出日】って。なんなら、アラーム設定までしておいたはずだけど』
「……いや、でも、当日に提出日なんて言われても、感想文なんて用意出来ないですって。事前に教えておいてもらわないと」
『三日前から通知がくるように設定しておきました。その言い訳も無効なのよ』
『感想文の提出は月に一回だけなんだから、ちゃんと書いてよね。文字数だって、1200字から4000字の間と幅を持たせているんだから』
「原稿用紙3枚以上、10枚以下って。もはや反省文じゃないですか」
なんなら、定期試験にかわる最終課題レポートの必要文字数のほうが少ない。掌編小説ぐらいならオチまで十分に書けてしまうではないか。過去9回、僕がどんな思いをして感想文を書き上げたのか。大作家先生も腰を抜かすような苦行がそこにはあった。カメラ越しの先輩にも分かるように、身振り手振りを用いて語る。
『でも、文句いいながらも毎回、ちゃんと提出していたよね』
「……そりゃ、他にやることがなかったですから」
いや、嘘だ。本当はノリノリで書き上げていた。何度も課題図書を読み返し、同じ作者の本を読み、ちゃんと構成をメモして書いた。サークル活動が受験期よりも鬱屈とした大学生活のなかで唯一の癒しだったから。感想文を提出すると先輩があんまりにも嬉しそうな顔をするのだから。この一年で最も力をいれたことかも知れない。けれど、それを素直に伝えるのはどうにも照れくさい。それゆえ、めんどくさそうな態度を取ってしまう。そんな自分がいちばん面倒なのだが。
『後輩くんの感想文、好きだよ。だって、作者が考えもしなかったであろう切り口ばかりなんだもん。あれ、書くの時間かかってるでしょ?』
「まさか、思いついたことをちゃちゃっと」
『噓ばっかり。ほんと天邪鬼なんだから。素直になりなよ』
ちっちっちと指をふり、ドヤ顔を決める先輩。大抵は見当違いな彼女の勘も今回ばかりは正しい。なにゆえ意固地になっているのか、僕でさえよくわからない。すんなり素直になれば苦労しないのに。他人事のように思う。
『とはいえ、感想文が書けてないのは問題ね。今回の課題図書では書きにくかったかしら。それとも新学期前だから忙しかったかしら。あるいはスランプ?』
「このなかのどれかでいえば、全部ですね。もう文章なんて書いている場合じゃなくって」
『……アニメの最終回についてTwitterで語る元気はあるのに?』
「ええまあ。でも、続刊が出ない人気作家先生もTwitterには出没するじゃありませんか。それみたいなものです」
『いつから人気作家先生になったのよ、後輩君は』
そんな出まかせがいえる元気があるなら、感想文だって書けると思うのだけど。先輩はそういってため息をつく。低速Wi-Fiでも十二分に伝わる呆れ顔。しかし、別に噓をついているわけではない。僕はスランプに陥っていた。いや、スランプというほど大それたものを書いているわけじゃないのは重々承知している。でも、感想文を書けずにいるのは本当だった。
「しかし、僕が書けない理由を知って、梓先輩にはなんの徳があるんです?」
『新年度から部員を募集するじゃない? その時にみんなに締め切りを守ってもらわないと困るわけ。でも、書けっていったから書けるようにはならないでしょ。書けない理由を取り除いてあげなきゃ。その時の参考になると思って』
後輩くんの場合は書けるのに書く気がないふりをしているパターンだと、私は睨んでいるけどね。先輩は顎を撫でながら、探偵よろしく推理を披露する。まあまあ惜しい。「書く気はあるけど、書けない」というのが正解だった。なぜなら、この提出物が今年度最後の課題なのだから。
この一年間、僕と梓先輩のふたりで行ってきた読書研究会の活動。その全てが僕にとってかけがえのない体験だった。本を読むにせよ、本で語るにせよ、本について書くにせよ。二人だけの閉じたコミュニティが心地よかった。月曜日を待ちわびて、祈るように日々を暮らすのも悪くなかった。
しかし、来年度からは違う。はたして新入部員が何人来るのかわからない。けれど、今年度のような心地よさには終止符が打たれるであろう。その時、この読書研究会は僕の居場所となるのか。不安に襲われた。
すると、どうだろう。読書感想文を書く手が止まってしまった。感想文を書くことで自ら希望の灯を消しているような気がした。木綿で緩やかに首を絞めるかのような苦しさがあった。変わってしまった世の中で見つけた価値まで変わらないで。いやだ、いやだ。もっとこのままでいてほしい。だから、僕は締め切りを破った。駄々をこねる幼子のように。
「……ねえ、先輩。新入生ってくると思います?」
『さあね、こんなご時世だし。けれど、私はたくさん来てほしいな。読書ってひとりでやっても楽しいけれど、みんなでやっても面白いんだから。後輩くんもそう思うでしょ』
「ええ、梓先輩と本を読むのは楽しいです」
『でしょ。だけど、人数が増えれば増えるほど、もっと楽しくなるはずなの。それこそ、掛け算みたいにね』
だから、いろんな子といろんな本を読んでいろんな話をしたいな。身振り手振りを使い、キラキラと目を輝かせ、カメラ越しでもわかる熱量で先輩は夢を語った。その充足した表情は今年いちばんだった。その姿を見たら、自分がちっぽけなことにこだわっていたのだと気が付いた。傷つくことばかり恐れて、あらたな喜びを迎えようとしない自分は間違っていると。
「……先輩、変なこと聞いてもいいですか?」
『どうしたのさ、後輩くん。君が変なことを聞くのはいつものことだから、遠慮せずに聞きなさい』
「先輩は締め切りってなんのためにあると思いますか?」
『物事がつつがなく進行するように。また、物事がきちんと終わるように。そして、終わりから始まるように。祈りをこめたおまじないだったら、素敵じゃない?』
先輩はちょっと照れくさそうに笑った。しかし、それはカッコつけた台詞を言ったことではなく、本心をそのまま伝えてしまったことに対する照れだった。少なくとも、僕はそう感じた。それを聞いて、僕は締め切りが好きになった。終わっても、終わったうえで続くのだから。
「締め切り、明日まで待ってもらえませんか? きちんと終わらせて、そこから続けて行きたくなったもので」
『ええ、もちろん。新入生に読ませないといけないからね、君が一年間書き続けた感想文を』
「へ、なんで僕の感想文を?」
先輩は『趣味のために書かせているんだ』と過去、語っていたはずだが。第一、感想文を共有してなにをしようというのか。間抜け面を晒す僕を尻目に、先輩はニコニコと微笑みながら、こう続けた。
『感想文を使って、私たちがこの一年間読んできた本を共有したいの。そうしたら、この一年間をみんなと分かち合えるじゃない? それってとっても素敵なことだと思うの。後輩くんはどう思う?』
「それじゃあ、腕によりをかけて感想文を書かなきゃですね」
こうして、僕の一年間がゴールを迎える。
今なら、いくらでも感想文を書ける気がする。
――小説と、それを取り巻くみんながいるならば。
おわり。
締め切り前は読書が捗る。 酒井カサ @sakai-p
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