つながらない。

こんどうよしひで

第1話

 インターネットがつながらない。

 メールもラインもつながらない。

 先ほどからダウンしている。

「まいったなあ」

 祐樹はスマホを手にしながらつぶやいた。先月、買い替えたばかりの新品のスマホだ。

壊れるわけがない。

 大学一年の祐樹は東京の賃貸マンションに住んでいた。愛知県の田舎に置いてきたガールフレンド、神戸るみと先ほどから連絡がとれない。るみが5月の連休を利用して、東京へ遊びに来るというので、今日は午前9時45分に東京駅へ迎えに行く予定だった。新幹線に乗ったかどうか確認の連絡を取りたいのだが、ラインがつながらない。

 ここはマンションの10階。カーテンを開けて南側のサッシ窓から外を眺める。

 人が歩いていない。車は停まっている。ビル群が静かに屹立していた。

 街路樹の木の葉も風に揺れているようすがない。空気が流れていない。

 祐樹のスマホのアナログ時計は今朝の8時25分で停まったままだ。腕時計も部屋の目覚まし時計も、同じだ。テレビも、見ていた土曜朝の情報番組が司会の丸ちゃんのUP画像で固まっている。

 祐樹がトイレに入った瞬間に時間が停まった気がする。そういえばトイレのドアを閉めたときに地震があって揺れた。ここは10階なのでだいぶ揺れた。震度3はあった。

「おおーい、なんだ、何が起こっているんだ」

 南側のサッシ窓を開けて思いきり声をあげてみる。車は見えるが人がいない。無人の街が広がっていた。

 身体を動かすと空気が動く。粘り気がある。空気が身体にまとわりついてくる感じ。

動いた方向へ空気が粘ってスジを引いているのが見えた。

「おおい、なんだ、なんなんだ」

 頭をかきむしる。するとテレビから丸ちゃんの声が聞こえてきた。祐樹は顔を上げてスマホを覗き込んだ。

 スマホの時計が動き出した。テレビもベッドの枕もとの目覚まし時計も、正常に戻った。いずれも午前8時25分を指していた。停止した世界から戻ってきたら、午前8時25分だった。祐樹には停止した時間が7、8分くらいに感じられた。

 祐樹は食パンをトースターで焼いて食べた。何も塗らずにそのまま食べた。

「何が起こったんだ」

 テレビでは何ごともなかったかのように、丸ちゃんが笑いながらどこかのスイーツの店を紹介していた。祐樹は頭が混乱した。何かがのどに引っかかった感じで、トーストのうまみを感じなかった。ただただ胃に入れた。

「そうだ、るみを迎えに行かないと」

 我に返り、祐樹はあわてて支度をして部屋を出た。

 祐樹の住まいはJR中央線荻窪駅と西武新宿線井荻駅のちょうど中間にあった。東

京駅へ出るには中央線が便利だ。

 祐樹はJR中央線の荻窪駅へ急いだ。歩くと15分かかるので走った。9時10分の荻窪発に乗る予定だった。昨夜のうちに調べてあった。

 駅へ駆け込む。ホームで待つ。スマホの時計を見る。あと1分で9時10分だ。

「しまった。眼鏡を忘れた」

 近くは見えるが遠くがぼんやりしている。

 列車がホームへ入ってきた。が、あっという間に通り過ぎていった。

「なんだよ、特別快速か。遅れてるんだな」

 つづいて列車が入ってきた。

「9時16分発東京行きです」とアナウンス。

「なんだよ。一本とばしたのか」

 結局この列車に乗った。9時10分発は来なかった。祐樹はスマホの時計を見た。9時11分を少し過ぎたところだった。

「俺の時計が遅れてるのか……」

 祐樹は頭をひねったが、スマホの時刻を直したことがないのでそのままにして、腕時計の針を9時16分に直した。

 るみからラインが届いた。8時25分に発信されたものだ。遅れて届いた。

「午前8時06分名古屋発のぞみ86号の13号車に乗っている」とのことだった。

「予定通り午前9時45分に東京駅の15番線へ着く」そうだ。

「けっこうぎりぎりかな」

 吊革につかまり流れていく外の景色を眺めながら、祐樹は心の中でつぶやいた。

 東京へ来て2か月、まだ東京生活には慣れていない。ときどき深夜にホームシックになることもある。そんなときは、深夜のバラエティ番組が気を紛らわせてくれる。ダウンタウンの松ちゃんの番組が好きだ。他人のことをボロクソにこきおろしているようでいて何かそこに愛を感じてしまう。祐樹は愛知で見かけない東京だけの番組に興味津々だった。

 たまに愛知県での高校生活がよみがえってくることもある。公立の進学校だったので、勉強ばかりしていた。塾の模試ではもうひとランク上の大学へ入れる予定だったが、いざ受けてみると、癖のある問題に手を焼き、結局M大学の文学部に入学した。一浪もめんどうだったし、どうせ卒業したら実家の整備工場を継ぐ予定なので、まあ、ここでいいかということにした。比較的入りやすい演劇科に何とかもぐりこんだが、「ところで俺はここで何を勉強するのだろうか。お芝居でもするのか。俺は人前に立つことは実は一番苦手だ。保育園、小学校の学芸会はいつも風邪をひいたことにして欠席していた」今さらだが他を受けなおしたい気分だ。

 それにしても3月に荷物といっしょに父親と軽トラックで上京した時には、深夜の雪化粧した富士山がうっすらと月明かりの中に見えて、その堂々とした立ち姿に「俺もがんばるぞ」という気になった。何を頑張るのかはとくに考えてはいなかったが、とにかく頑張るのだ。

 祐樹があれこれ思考をめぐらしているうちに東京駅へ着いた。

 腕時計が9時38分を指していた。大丈夫。間に合う、間に合う。しかし、入場券売り場がわからずもたついた。

「まいったなあ」

 何とか入場券を手にして祐樹は新幹線の15番線ホームへ急いだ。

 祐樹が腕時計を見る。9時46分。1分遅れた。すでにのぞみ86号は到着していた。

13号車のドアは閉まっていて車内清掃が始まっていた。乗客はすでに降車しており、ちらほらホームを歩く姿しか見かけない。

 祐樹は首をひねりながら周囲を見回す。一瞬、目の端にるみらしき後ろ姿の女性をとらえたが、男とふたり連れだったので、「まさか」と思い、さらに見回した。

 いない。

 祐樹はスマホで電話した。呼び出す。出ない。出ない。

「出ないな、どこにいるんだ」

 ラインも送った。既読にならない。

 胸騒ぎがして祐樹は先ほどのるみと思しきカップルを追いかけた。

 ホームの階段をゆっくり降りるカップルを見つけた。

 八重洲口に出て、ふたりはタクシーを拾った。

「前のタクシーを追って」と祐樹もタクシーにとび乗る。

 10分ほど走って、ふたりは銀座六丁目のユニクロの前でおりた。1階から12階まで総ガラス張りで窓側にマネキンがずらりと並んでお客を迎える。

 祐樹のタクシーは20メートルほど後ろで停まった。

 祐樹は、るみが振り向いたときに「あっ」となった。やはり正真正銘のるみ、だ。くりくりした大きな目が特徴だ。眼鏡を忘れた目でも確認できた。

 ふたりはユニクロの店内に入っていった。

 祐樹はタクシーを降り、ふたりに見つからないように用心しながら後をつけた。

「男の正体を確かめてやる」祐樹は憤慨していた。

 ふたりはいくつかのフロアをめぐり、男が片手に大きな袋を持っていた。

 ふたりは30分ほどで店を出て、数寄屋橋方面へ向かって歩いて行った。少し早いがランチの様だ。今日は快晴で、ほどよく暖かく心地よい。

 数寄屋橋交差点を見下ろす不二家2階のレストラン。ふたりが食事するところを祐樹は離れた場所で見ていた。

 ふたりはハンバーグランチを注文した。

「どんな男なのか」祐樹はクリームソーダをすすりながら目を凝らすが、眼鏡を忘れてきたので遠くがぼんやりして男の顔がよく見えない。

 ふたりは店を出て、日比谷から地下鉄千代田線で明治神宮前駅、いわゆる原宿へ向かった。銀座、ユニクロ、不二家、そして原宿……

 なぜか祐樹がもともとデートで案内するつもりだったところだ。

 追いかける、追いかける。一瞬、見逃す。また、見っけ。を繰り返した。

 ふたりは竹下通りを闊歩する。今日は、若いカップル、派手ないでたちの女の子たちでごった返していた。ふたりは、何かのグッズを購入し、袋を下げて、そのまま竹下口を抜けて表参道へ歩いて行った。るみの背中に男が手をまわした。

「野郎、ふざけやがって」

 祐樹はまるで探偵の様につかず離れず後をつけた。表参道に向かって傾斜のゆるい登り坂になった。今日は、連休の初日ということもあって、街はかなりの混み方だ。広めの歩道もすれ違う人たちと肩があたりそうだ。けやき並木から日差しがこぼれて石畳を照らしている。

 祐樹は表参道の人混みでふたりを見失った。交差点に建つ石灯篭の前で目を周囲に凝らす。眼鏡がなくて視界がぼんやりするががんばる。

 そして、ようやくふたりを見つけた。交差点の近く、元はハナエモリだったビルの横道に入るところだった。ふたりはつないだ手をふりながら仲のよいところを周囲に見せつけていた。

「頭にきた」

 祐樹は小走りで追いかけた。

 ふたりは横道をしばらく進んで、左手に現れた絵本専門店クレヨンハウスの階段を下りて地下一階のカフェへ入っていった。店員に案内されて奥の小テーブルの前にふたりは座った。るみが席を立った。トイレだろう。

 祐樹はふたりのイチャイチャにもうがまんがならなかった。るみがいない間に男の背後に近づいた。

「おい」と呼びかけた。

 男が振り向いた。

「あっ」

 二人は見合った。同じ祐樹の顔だった。ふたりは口をポカンとあけて見合ったまま硬直した。

 そして……空間がひずんだかと思うと次の瞬間、祐樹はひとりとなった。

 ひとりとなった祐樹は頭を抱えてうずくまった。

 トイレから帰ってきたるみが、

「大丈夫?」と心配して声をかけた。

「ああ、……大丈夫だよ」

 祐樹は頭がもうろうとしていたが立ち上がってかすれた声を出した。祐樹はるみを取り戻した、と言っていいのだろう。るみは前から欲しかった絵本を手にしていた。

 るみが名古屋へ帰る時間が近づいた。

 祐樹が腕時計を見た。午後4時。まだ日が高い。父親が夜7時には帰ってくるように厳命しているそうだ。

 ふたりは表参道から地下鉄を乗り継いで東京駅へ向かった。

 るみが新幹線のチケットを買い、祐樹は入場券を買い、ホームへの階段を上りかけた。

そのとき、地震が来た。地の底からおなかに響く振動だ。今日は二度目だ。

 祐樹の周囲から人々が消え、空気に粘り気が生じて階段を上る祐樹の身体にまとわりついた。またしても時間が停まった。

「あ、この感触」

 祐樹が粘った空気を振り切るように階段を上がり終えたとき、音が消えていた祐樹の耳に、駅舎の騒音が轟音となって押し寄せた。腕時計の秒針が音を立てて動き出した。

 しかし、先ほどまで横にいたるみがいない。

 祐樹は新幹線のホームにたたずんだ。祐樹は去っていく新幹線を目で追った。

「なんだよ」

 がっくりの祐樹。頭を垂れた。

 しかし、背後から突然、両手で目隠しされた。

 振り向くと、るみがいた。

「祐樹!」るみが微笑む。大きな目がくりくりしていた。

 祐樹は腕時計を見た。

 9時45分だった。しかも午前の。

 祐樹は15番線に立っていた。

 祐樹は頭が混乱した。頭をしきりに振ってみる。

「大丈夫?」とるみ。

「ああ……」と祐樹。

 二人は駅のホームを歩いていく。祐樹はるみの背中に手を回した。

 その二人を一瞬、目の端にとらえた人物がいた。祐樹にうり二つの青年は、息を切らしながら、今到着したばかりという様子で周囲を見回していた。     〈了〉




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