復讐の代行人

彩理

第1話 

 足元に転がっている男を見ても、馬鹿なことをしたとは今の俺には少しも思えなかった。

 むしろ、これは当然の罰だと考えると、笑いさえこみあげてくる。


 復讐をすることに良心も後悔も疑問もない事に、俺はやっと心の平安を手に入れた気分だった。

 もともと俺はこんな人間だっただろうか。黒い決意が腹の底に渦巻いているのを自覚すると心が静かになっていくのを感じた。


 *


 12の夏、両親が俺と二つ下の妹を残して交通事故で他界した。山道のゆるいカーブを曲がりそこねて崖下に落ちたのだ。

 降りしきる雨の中、現役の官僚で日頃から交友関係が広い両親の葬式とは思えないほどひっそりとした別れの場だった。

 沢山いた親戚は俺を憐れんだ目で見てそそくさと帰って行き、棺の前にただ祖母と俺は座って泣いていた。


 誰一人、両親が事故で死んだとは思っていないだろう。よくある政治スキャンダルに巻き込まれ自ら死を選んだ。あまつさえ一人では死ねず母をも道連れにした愚か者。それが父だった。


 不幸というのは連鎖でやってくる。

 家柄のいい子供ばかりが通っていた学校では、当たり前のように俺も妹も犯罪者として扱われた。それに耐えきれなかったのか、妹は事故から3年後に両親の後を追った。そして数年後祖母も他界する。


 その時には俺はすでに狂っていたのかもしれない。悲しみも憎しみもすっかり忘れたように、普通に暮らすことにこだわってただ時間が解決するのを抜け殻のように待っていた。そんな日は決して来ないのに。


 **


「僕が代わりに復讐しようか?」

 放課後、一人で教室の窓から散る桜を眺めながらぼーっとしていると、背後から他校のジャージを着た少年が教室に入って来た。背にはラケットバックを担いでいることから、練習試合にでもきたのだろう。

 まだ、成長期を終えていないのか、細い骨格に声変りが終わっていないような少しだけ高い声にさわやかに笑みを浮かべて俺のすぐ横まで歩いてきた。


 妹が亡くなってから、直接嫌がらせをしてくる人間はいなくなったと思っていたのに、他校生だから問題にならないとでも思っているのか、その口調は楽し気だ。


 いつになってもこういうやつはいなくならないんだな。

 あきらめたように短くため息をつくと、俺は無視をして桜に視線を戻した。


「無言は了承と同じだよ」

 その言葉に振り返った時には、もう少年はいなくなっていた。


 何がしたかったんだ?


 その疑問の答えは数週間後にわかった。

 父を陥れた政治家が、女子高生に痴漢をして逮捕された。それだけなら気にも留めることではないが、妹を死に追いやったいじめの主犯が万引き犯としてネットにさらされていた。


「あんなのは偶然だ、復讐ともよべない」

 声に出して言うと、乗り越えたと思っていた怒りが沸々と湧いてきた。両親も妹も命を失ったのだ。たかが痴漢でつかまったり、ネットにさらされたくらいでまだまだ人生が終わったわけでもない。あれくらいのことで復讐だとは言えない。

 このどす黒い感情を忘れてしまうには中途半端だ。


 封じ込めていた怒りは思い出してしまうと、もう一度蓋をすることは難しかった。そのいらだちを俺はあいつにぶつけるために、ジャージにかかれていた学校の前で待ち伏せをした。


「困るなぁ、こんな目立つところで待ち伏せされたら、君案外馬鹿なの?」


 ジャージにラケットバックを担いで、自転車に跨った少年は、仕方がないねと言わんばかりに、顔をしかめる。


「話がある」そう言った俺に、これ見よがしにため息をついて、すぐ横の道を指して道順を説明しだした。


「いいか、この先の土手で待っているから、話はそこで聞く。あ、急がなくていいから歩いてきて」


 それだけ言うと、振り返りもせずにサッサと行ってしまう。

 自転車について走るのは別に苦ではなかったのだが、念を押すように言われた言葉に従い、少し足早に歩いて向かう。


 結構ひらけた土手の中腹に、自転車を止めて、少年が寝転がっていた。


「おい」


 すぐ近くだと思っていた土手は距離があり、駅とは真逆でこれならどこか駅の近くの公園でもよかったのでは? と歩きながらムカムカした。やっと着いたと思ったら、相手は片足を組むように寝転んでいる。


「ああ来たね。何でこんなところにって思っているみたいだけど、ここにはカメラがないんだ」

 俺の考えを見透かしたように少年はニィっと笑った。


 カメラ?


「防犯カメラだよ」


 防犯カメラがどうしたというんだろう?


「で、話って何?」


「あれはお前がやったのか?」


 確信は全くなかったが、偶然として忘れるにはタイミングが近すぎる。

 なぜ? という疑問は本人を前に不信に変わっていた。


「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

 面白がるようなその視線に、いっきに感情が爆発してしまいそうになるのを、ぐっとこらえて次の言葉を待つ。


「指示したのは僕だよ。誰かに復讐したいと思う人間は意外に多いんだ。でも、直接手を下せばすぐつかまる。僕は復讐の代行を斡旋しただけだよ」

 悪びれもせず言う少年は、俺と同じ目をしていた。


「なぜそんなことを?」


「悪者が野放しなのはなんか、ムカついたからね」


 ムカついた……。

 なぜこの無関係な少年が、ムカついたからと言って俺の一番ふれて欲しくない過去に介入してくるのか。

 お礼はいらないよ、とでも言いたいのかドヤ顔で、犯人に指示したのは自分だと告白する。

 俺が感謝するのが当然だとばかりにこちらを見てくる。


「余計なことを……俺がいつお前に俺の復讐を頼んだ? しかも、あれくらいで俺の怒りが収まると思ったのか? あいつらは俺の両親と妹を殺した、死んで当然の奴らだ。せっかく忘れようと思っていたのに」

 死なない限り復讐なんて終わらない……。

 最後の言葉はかろうじて飲み込んだ。


「そうだね。確かにあれくらいじゃ復讐をことにはならないね。クズは死んで当然だ。でも、死んだほうがましだと思えるような人生だってあるよ」

 さっきまでのドヤ顔が嘘のように、真っ直ぐに俺を見る少年は背筋が凍るほど冷たい眼差をしている。


「何が言いたい」


「まだまだ、ゴールじゃないという事だよ」



 その言葉の通り。

 議員は息子の裏口入学や汚職を暴かれ、しまいには鶯嬢に薬を飲ませて強姦した罪まで明るみになった。妹をいじめた同級生はネットにさらされた後、転校する先々でいじめにあいネットから名前が消えることはなかった。


「あ、完全犯罪には何が必要だと思う?」


 別れ際レイが俺に聞いた。


「それが犯罪だとわからないこと、被害者であると悟られないこと、犯人の特定動機を知られないこと、犯人である証拠を残さないこと」

 俺はちょっと考えて、答えた。あんな奴らを殺して、俺まで犯罪者になってやる気はさらさらなかったから、何度も何度も完全犯罪を成功させられないかと考えたことがあるのだ。


「いい線だね」



 **

 レイに会って数か月後、俺は空き教室で、一人の男子上級生を裸にして椅子に縛り付けた。もちろん顔を見られるようなへまはしない。

 その後、当番の女子学生が授業の準備をしようと教室の鍵を開けた時の学校中に響き渡る悲鳴を俺も聞いた。

 野次馬と犯人捜しでしばらく騒がしかったが、彼の不幸はそれだけではなく次から次へと発覚する素行の悪さで、被害者のはずが最後には結局退学となった。


 これが誰のための復讐かはわからなかったが、ふらりとレイが放課後ジャージ姿で現れ、「感謝してたよ」と言って笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

復讐の代行人 彩理 @Tukimiusagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ