第2話 子供時代

1966年。8月23日。午後14時23分。私、堂島道汚は四国の徳島県の病院でこの世に生を受けた。長男だった。生まれた時の体重は、3052グラム。それは男の子の新生児の体重の平均値くらいの重さだった。生まれた時間帯もお昼過ぎという程良い時間帯であり、安産だったと母は言った。私、堂島道汚といえば、名前の道汚の汚が汚いの汚の字である。なぜ両親は、汚という字にしたのかは分からない。私は怖くて、いまだに両親に理由を聞けないでいる。物心ついた時から、私はお喋りな子供だったらしい。もちろん記憶にはないが、活発によく喋り、周りの大人達を笑わせていたという。道汚が小学一年生の時、父が癌になり、この世を去ってしまう。母と二人で暮らすようになった。生活は父の生命保険が下りた事と持ち家があったが、母は事務員の仕事に行くようになった。


私、道汚が違和感に気づいたのは、小学校四年生の時だった。それまでは、自分の名前をひらがなで「みちお」と書いていたが、漢字を使うようになり、自分の名前の漢字がおかしい事に疑問を持った。道汚の汚は、汚いという字だ。なぜこんな字なのか何か理由があるのだろうと思ったが、幼い頃の道汚は、なぜか理由を母に聞いてはいけないような気がして黙っていた。疑問を心の中に留めていた。

小学生時代の道汚は、母は仕事をしていた為、鍵っ子だった。家に帰ると、ペットの亀を眺めてのんびり過ごすのが好きな少年だった。亀の名前は、先生だった。人生のんびり急がず、まったりマイペースでいこう。人生、生き急ぐなよ。のんびり行こうぜという感じがして、そう教えてくれるようなスローペースの亀の動きから、先生という名前を付けた。


中学生になった道汚は、名前のせいでいじめられるようになった。汚物、汚いと言われ、時には暴力を振るわれる事もあった。恐怖を感じて足がすくんでしまい、やり返す事ができなかった道汚は、いつも大人しく殴られていた。なるべく目立たないように過ごした中学時代。スクールカーストでは最下層だった。そんな中で道汚の通う中学では、部活動は必須だった。運動は苦手なので放送部に入った。ある時、いじめっ子達が放送室にやってきた。


「おい、汚物。放送でなんか面白い事言えよ」

「滑ったらどうなるか分かってるな。また殴るぞ」


殴られたくない。痛いのは嫌だ。

そう思った道汚は、放送機材のスイッチを入れて必死に喋った。


「二年三組、堂島道汚です。道汚の汚は汚いと書きます。汚物です。よろしくお願いします」


声が震えていたが、精一杯言った面白いはずの言葉だった。いじめっ子達は爆笑していた。それで満足したのか、いじめっ子達は放送室を出て行った。よかった……。と、ホッと一安心して安堵する道汚だったが、その放送を聞いた先生に後でこっぴどく怒られた。それが一番、先生に怒られた時の話。暗黒の中学時代を過ごした道汚は、一番家から近い公立高校を受験して高校に通う事になった。

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