第87話これまでのあらまし

「事の起こりは、例の王宮の事件から二、三日経ってからですな。ひょっこりとあの男は、我が宮廷にやって来たのです。わしはその時留守にしていました。今思えば、奴はその時を待っていたのかもしれません」


 奴の考えそうなことだ。


「その時はまだ、奴がこれ程までの大罪を犯しているとは想像も出来ず、給仕の者はすんなりと奴を通してしまったのです。そう、苦々しいことにあの男はアターシャとは顔見知りでした」


「いったい何処で知り合ったのよ?」


 アティが尋ねる。


「おそらくは、小さいころにたまに参加させていた社交界。わしも目を光らせていたのですが、ずっと付いているわけにもいきません。そのほんのわずかな隙に、奴はアターシャに取り入ったのです」


 あの野郎め。

 その頃から抜け目がなかったわけか。


「それからも、何度か隠れて会っていたようです」


「あー、あれでしょ? 『このことは二人だけの秘密ですよ?』とか言われたんでしょ」


 ステラはやれやれといった感じでそういった。


「素敵ですね。二人だけの秘密の共有って」


 乙女心に触れるものがあったのか、クレアは「ほぅ」っと熱いため息をつく。

 いや、この場合はそれで厄介なことになっているのだが。


「そして、わしが戻って来た時には、すっかりアターシャと親しくなっておりました。いえ、前々から恋心があったのでしょう。恋の虜といってよい目をしていました。わしは目の前が真っ暗になったものです」


 まあ、それだけかわいがっていた娘が泥棒猫(男に使う言葉か知らんが)のようにやってきた男と親しくしていたのでは泣くに泣けまい。


「それから間もなく、奴の悪行が伝わってきました。無論、わしは赫怒かくどしました。そんな男を知らずにわしは招いてしまっていたのです。その場で斬って捨てるつもりでいましたが、そこでアターシャが止めに入りました」


 くそ、その時にはすっかりセリシオの洗脳がアターシャ嬢の心を蝕んでいたのか。


「これまでわしに逆らったことのないアターシャが、目に涙をためながら、わしにセリシオは殺させないと言ったのです。姫様。この時のわしの気持ちが解りますか?」


 アティは何も言えない。


「セリシオは被害者である。全ての悪逆は、ある一人の男にあると。今考えるとその男とは、レオダス。ぬしなのだろうな」


「俺!?」


 レキスターシャ公は頷く。


 あ、あいつ、あの悪行を全て俺におっ被せるつもりなのか?


「そんなわけがないでしょう!!」


 アティは顔を真っ赤にして怒鳴った。


 俺は勿論、他の三人も穏やかではない。


「無論のこと、わしは全く信じていません。ですが、アターシャは信じています。セリシオは可哀そうな人だとね」


 ここまで厚顔無恥になれる奴がいるとはな。


「わしは何度もあんな奴とは縁を切れと言いました。アターシャに親しい者にも呼びかけました。しかし、アターシャの考えは変わりません。奴は軽い薄っぺらな言葉でアターシャを完全に洗脳してしまったのです」


「なんて、奴なの・・・」


 アティの瞳は怒りで燃えていた。


 俺も、他の三人も。


「それで、貴方は唯々諾々とアターシャの言う通りにしているわけ?」


 レキスターシャ公は口ごもる。


「姫様。御身には解りますまい。妻に先立たれ、わしがどれだけあの子を大事にしているか、愛しているかを。大切に育ててきました。あの子はそれに応え、清く美しく育ってくれました。そのアターシャが涙を流しながら悪を庇うのです。あの悪魔の言うことを聞くのです。わしは、わしは・・・おお・・・」


 とんだ親馬鹿だと思っていた。

 いや、厳しく言えばその通りだろう。


 だが、軍のトップ格におり、英雄と称されるこの人は、大事すぎるぐらいに大事に、娘を育てていたのだろう。

 一人の父親として。


 彼の育て方が正しかったかどうかは解らない。


 あまりにも世間を知らず、清すぎる程純粋に育ててしまったのだろう。


 輝かしいほどの白が、目を離した隙にすっかり黒に犯されてしまった。


 子供のいない俺には、大切に長い時間をかけて育てたことのない俺には、彼を責められなくなってしまった。


 この人の絶望を、わずかながらにも理解できてしまったから。


 流石のアティもこれ以上、彼を責めることは出来ないようだ。


「姫、どうか、どうか、あの子を助けてやってください」


 拳を強く握り、震えながら、彼は大きな涙を流した。

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