第57話 居心地のよい邸(やしき)

 遠い目をして意識を向けない努力をする使用人達を気にすることもなく、

「まあ、やってみたかった事のひとつだから。そうそう機会もないだろうし」

という理由になってないような言い訳で、システィアーナを抱き上げたままエントランスへ進むアレクサンドル。



「メリア」


 ファヴィアンの手を借りて、自分の足で踏み台を使って馬車から降りてくるメリア。

 エルティーネの呼びかけにも顔色ひとつ変えず、静かに頷くのみ。


 システィアーナが子供の頃は目付役も兼ねていた、礼儀作法も教養も持ち合わせた責任感のある生真面目な伯爵令嬢メリア。

 あの頃のように、どういう事情なのか、後で報告をあげろという意味を呼びかけだけから受け取ったのだ。


 雇い主は当主ロイエルドでも、統括管理責任はエルティーネである。

 企業や官庁で言えば、社長や長官がロイエルドで、直属の上司がメイド頭、統括フロアマネージャーがエルティーネのようなものだ。

 システィアーナ付き侍女だが、エルティーネの命が優先である。


 この瞬間に、どう話すのか、どこまで話すのか、さっと計算する。



「機会なら、ご自身の妃を娶られて、その方と王太子宮に入られる時になさればいいでしょう? こんな、家族も使用人達も見てる前で」


 言葉で抵抗し怒りはするが、無理矢理に降りようとはせず、恥ずかしがるシスティアーナをエントランスホールで降ろす。


「残念。部屋まで運んでみたかった」

「レディの部屋には、お父さまやお祖父様以外の男性は立ち入り禁止です。執事も侍従達も入れませんわ」

「⋯⋯それもそうだね」


 にこやかに振り返り、エルティーネに目元と口の端で僅かに弧を描くだけだが微笑みかける。


「レディ・エルティーネ。確かに、お届けしましたよ」

「ありがとうございます。受取証明が必要ですか?」

「そうだね⋯⋯ 証明書は要らないけど、また、来てもいいかな?」

「ここに、侯爵邸にですか?」


 小首を傾げて、エルティーネが訊き返す。


「そう。ずっと王宮で公務に励んでいるとね、」


 アレクサンドルは、目を伏してうつむき加減に近寄り、擦れ違う瞬間に小声で答える。



「息が詰まるんだ」



 エルティーネはハッとして面を上げ、気遣わしげにアレクサンドルを見た。


 自身も一度は王宮にて帝王学を学んだ身。

 今のアレクサンドルは、当時の自分よりは大人だ。

 だが、自分が王弟息女として、幼く王位継承権優先順位の低い王女として、伸び伸びと過ごしていた幼少期。

 国王ウィリアハムには身体障害があり、そう遠くなくエスタヴィオに譲位する可能性も高かったため、自分が何不自由なく過ごしていた幼少期と同じ歳くらいのアレクサンドルは、その当時すでに次期王太子としての教育が始まっていた。


 まだ十歳にもならない内から、腹の内と舌に乗せる言葉に裏表がある諸侯に囲まれ、多感な少年期には荷が重かったのだろう、何度か体調を崩したのを知っている。


 その後、齢を重ね知識と経験を積んで、今のように落ち着いたように見えたが、やはり王太子の重責を負うのは大変なのだろう。


「ここは、空気がいいね。ミアがよく来るのが解るよ」


 使用人達の距離感、邸中の内装や調度品の趣味や清潔感などが、心地良いと言う。


「ロイエルドやレディ・エルティーネの、教育と監理がいいんだね、きっと」


「我が邸の空気がお気に召したのでしたら、いつでもお越しくださいませ。叔従祖母いとこおおおばの家に遊びに来る従姪孫いとこまご。親戚の叔母さんの家に遊びに来る事に、態々わざわざの断りが必要でしょうか?」

「ありがとう。ちゃんと、ロイエルドが居るときに、先触れを出して都合を打診してから来るようにするから」

「それは当然のことです。お待ちしておりますわ」

 

 本当に嬉しそうに口の端で微笑むと、礼を述べて、いつも付き従うファヴィアンを伴ってアレクサンドルは、息が詰まるという伏魔殿のような王宮に戻っていった。




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