③
別日。通学時のことである。すでに校門を経て生徒用玄関に向かっていた。北五十里の指にはしっかりとテーピングが巻かれていた。
「誰のせいでこうなったと思ってんだ、ええ?」
中指でなかったのが幸いである。それをおっ立てて女子の目前に出したらハラスメントになりかねない。
「しっかり巻いてあんね。折れてないんでしょ」
その指をがっしと握る中屋敷。自身はまるで関与していないかのごとき弁である。
「指の処置には少し心得がある。たく、慰謝料請求するぞ」
口悪くすればあの握力で突き指がひどくなりかねない。そっと中屋敷の手を指からほどく。
「それよりさ、あんたと駒坂先輩て知り合いなの?」
車両から愛称で呼ばれていればそう思うだろう。そんなことを気にしているくらいなら、加害について面目ないくらいは思ってもらいたいが、自身よりも駒坂がトピックワードに上機嫌になっている北五十里は、すっかり中屋敷の話に乗ってしまう。
「中学の時、バレー部だったから。俺も先輩も」
「なに? あんた、変人速攻できるとか思っちゃったわけ?」
「別にそこじゃねえよ、やってみたけどさ」
「じゃあ先輩目当て?」
「違う。結果として入部して良かったと思うくらいだ」
「そっからなんもしてこなかったの。長くない、それ。とっとと告ればいいのに」
「できるんならしてる。いや、俺とても高校時代を満喫したいと思っているとなれば彼女は欲しい」
「もしかして先輩追っかけてこの高校?」
「理由の三から五割を占めるかな」
などと言っていると、まだまだ冷たい風が吹く。目をこする生徒もいれば、髪の乱れを整えようとする生徒もいる。とはいえ、最大瞬間風速が三〇メートルというわけではないのだが、その歩行が止まる生徒もいる。北五十里や中屋敷のように。すると、
「ケン、おはよ」
駒坂が並んで来た。
「おはようございます。風やばいですね」
「川風だからしょうがない、早く慣れろよ」
「慣れたくはないですね」
中屋敷をコミュニケーション的に置いてけぼりにしてしまっている。
「これからもっと強くなる予報だ、早く行こう」
近づいてきたのは羽吉である。
「先輩、おはようございます。風に乗って登校なんて粋ですね」
「いや、普通に徒歩だから」
「チャリンコで滑走すれば空も飛べるはずです」
「それ『魔女の宅急便』だろ」
「ちょっと割り込んでこないでくれる?」
意気揚々と会話を楽しんでいたので、北五十里がせっかくツッコんでも、中屋敷の機嫌がゲリラ豪雨並みに荒れる。と、いつものことをしていると、
「ほら、先輩同士が例のごとくになっちゃったでしょ」
小声が雹のようである。羽吉と駒坂が並んで先行していく。
「悪い。ついお前が例のごとくたとえがあれだから。先輩分かってたかな」
いまさら先輩同士の間に割って入るわけにもいかないのだが、白々しく直前までの会話に戻す手もあるのだが。
強風。
「先輩、気象予報士になれそうですね」
陽気に言っている場合ではない。
一年二人の前方を行く先輩女子のスカート裾がその風のあおりを受け今まさにめくり上がろうとしていた。
「は!」
北五十里活動停止。これこそ天の恵みだろう。
「ちょ、スカート」
横の女子もスカートを押えた。いやしかし、そこに視線をやってしまっている場合ではない。視線を戻す。恭しく拝見したいのだ。が、そこへ
「すませーん」
遠くから大きな声が聞こえたかと思った次の瞬間、めくれ上がる駒坂のスカートと、北五十里の視線の中間地点にサッカーボールが出現。
「マジかー!」
嘆く北五十里めがけて急旋回してサッカーボールが飛んできた。
「へ」
次の瞬間、北五十里は鉄壁の守護神のようにして顔面ブロックしていた。
「ボールは友達の気分はどう? 欲出すからそんなめに合うんだぞ」
鼻が痛い。鼻骨が折れたような、もげてしまったようなそんな感覚だ。涙目が止まらない。中屋敷の揶揄のせいだろう。
「いや、そっちはどうでもいい。先輩は」
中屋敷の懸念は、同級をおちょくっている間に、羽吉の視線どころか情動さえも奪いかねない事態が駒坂に起こっていかねない。
しかし、それはまったくの杞憂だった。なにごともなく二人の会話が滞りない。
「いや、それはそれでダメだけどさ!」
突風に負けない絶叫に、先輩たちが振り向いた。
途端である。北五十里の顔面を直撃したサッカーボールが放物線を描いていた。それを目にすると、駒坂は鞄を落とし、
「おい、どうした?」
羽吉の心配をまるで聞く耳に及ばず、助走。両腕を後方に振る。まるで翼のようである。そして、ジャンプ。サードテンポのオープン攻撃がものの見事に決まった。北五十里の下腹部に。ラブコメならここでボールが男子の急所に当たるのがセオリーである。しかし、そこは彼らである。先輩からのアタック攻撃が後輩のベルトのバックルを破損し、ズボンがずり落ちた。パンチラである。チラというか全開で、しかも男子だが。
さらには、またしても一陣の風が吹きそれはカマイタチがいたのだろう。パンツのゴムを切断。結果、北五十里の生来のスーパーデフォルメがさっそうと登場したのである。
「なにしてんのよー!」
ありがたくもない御開帳だったのだろう中屋敷から平手打ちをくらう羽目になった。
「こういうのってラッキースケベって言うんだろ?」
「いや、そういうこと言ってる場合じゃないって。私はまずいだろ。ケンのフォローしてやれよ」
現象としてはまさにラッキースケベである。しかし、中屋敷も駒坂もそれを否定。だったら、女子にとってのラッキースケベとはいったいどんな現象を言うのだろう。
顔面を強打したうえ、心理的に公開処刑された北五十里はいたたまれない。
「ほら、北五十里。俺のスペアのサスペンダーを貸してやるから」
羽吉がサスペンダーをつけているところなど一回も見たことはないが、なぜスペアを持っているのかが謎だが、それよりも
「悔しいが、これはこれで」
腕組みをして男子先輩後輩のやりとりをご相伴している中屋敷は、
「ケンも大人になったなあ」
感慨にふける駒坂の意味深を聞き逃したのだった。
そして、上唇を舐めながら、この光景を描写している法流院の存在も誰一人気付いていなかった。
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