ラブコメにならない
金子ふみよ
①
「あなた方の愛のレクイエムを奏でてあげましょう!」
名ばかりの部室には不釣り合いの、校長が使用していそうな重厚な机にためらいもなく片足を乗せ、ガッツポーズをしながら、渋面な下級生二人に法流院愛(ほうるいんらぶ)はエールを送った。
「「いえ、死んでませんけど」」
ツッコミが弱々しい。北五十里賢治と中屋敷まどかにとって、彼女がそう親しくはない先輩であるから遠慮した、という理由以外にはない。ではあるが、それ以上に、
「先輩、俺たちの恋愛はネタですか」
「私は……そんな面白いことはないですけど」
二人にとっては、この先輩が示した提案の方を憂うべきであった。
「ネタというわけではない。観察させてほしいと言っている。面白いかどうかは君たちの恋愛ではなく、君たちが引き起こす現象だ。だから、君たちのプライバシーや権利を損なうような表現はしない」
この高校の非公認部活動団体・ラブコメ研究会所長の法流院愛は、とある少女マンガ公募で三位になった作家である。デビュー作『ラブコメまっしぐら』は一〇万部売れた。売れたのだが、評の多くは「恋愛ものと言えるが、ラブコメではない」という趣旨で、次回作を編集部から「コメ成分をもっと多めに」と注文を付けられていた。
「学校での作業場がここというわけ」
そこは理科系の科目の実験等を行う棟のほとんど使われてない準備室の一室で、もう内装は学校の趣が皆無で、完全に漫画家の作業部屋である。しかも、この団体には法流院しかおらず、全くの私的機関である。いきさつの一つに、団体名を恋愛向上委員会にしようとしたら
「編集部からストップがかかった、法的対応によって」
作家として著作権についてもっと知っておくべきだろう。
「どうせなら恋愛ラボでいいんじゃない?」
中屋敷が調子に乗って今まさに著作権が云々と言っているのに、そんなことを言い出すものだから、思わず
「恋愛ラブホ? 出版社に怒られるだろ」
法流院はペンタブをかざしながら、ツッコんだ。いや、ボケたのだろう。
「いや著者にだろ」
冷静に訂正させたのは北五十里である。そもそも二人にはラブコメに加担できる要素もなければ、二人が互いに思いあっているわけではない。ただ、二人が出会ったことによってでしかない事情が加速し始めたのは確かである。
「パンクラッシュがああなるものではない」
法流院は言う。食パン咥えて走ってて曲がり角でごっつんこ。それがボーイミーツガールだと。
「そう! 水戸藩のご老人が印籠を見せつけるように! リングに上がろうとするディックマードックの黒パンツを藤波辰巳が引っ張って半ケツになるように! お約束なんです! それが君たちは!」
入学早々の晴れ渡る日の登校、中屋敷が
「zigoku、zigoku」
口に含みながら「遅刻、遅刻」というものだからそんな風に聞こえるのも無理はないが、曲がり角でぶつかって、北五十里の両目に平面状の食物がついたかと思ったら、彼は瞬く間に阿鼻叫喚な雄たけびを上げた。無理はない。すしネタのわさびが目に付いたのだから。中屋敷が言っていたようにまさに「zigoku」である。それを愉快そうに見つめたのは、二人の上級生・羽吉瑞希と駒坂冴子である。
羽吉は、金色っぽいショートカットの髪。さらに長身で「悪い奴は大抵知り合い」みたいな雰囲気で、絶対に洋楽好きに見える外身だが、実際はものすごく普通の男子。
駒坂は、明るい茶髪のストレート。襟のリボンを緩めにして、袖をまくっていて、本人は、軽く横目で見たり、流し目のつもりなのだが、完全に「しめてやろう」の眼力。ちょっと悪そうに見えるが、身持ちは堅い女子。
この三年生たちが、北五十里と中屋敷それぞれの想い人である。
「ホント、あれは衝撃的」
「ごめんて何度も言ったじゃん。他に朝ご飯なかったんだから」
「だからって桶ごと持って走るか?」
前日の晩御飯にすしを取ったと言う。その残りを朝食にしたらしい。口に頬張りながら、ラスト二貫を一口で食おうと持った瞬間だった。曲がり角に突入したのは。その勢いで飛散。北五十里の両目をものの見事にマグロが覆ったのである。
法流院でなくとも「これはネタになる」と思うだろう。すしだけに。
「あなた方の出会いはもうすでに立派なラブコメになっています」
決して本人同士のラブではないのだが。
「Wikiとかで探しているが、そういうジャンル分けはなんだか違う気がするのだ」
法流院はラブコメについて悩んでいると言う。
「じゃあどういうのが?」
下級生に尋ねられた法流院の答えは、
「それはもう『うる☆やつら』一択でしょ。コメだから、ボケとツッコミがなければならないと言うわけではないしょ。ラブコメとは痒さである。例えば、『月刊少女野崎くん』の鹿島と堀ちゃん先輩みたいな」
北五十里は質問に答えてもらったもののいまいちにこの先輩の答えが意味不明で、中屋敷はどことなく理解しているようである。
「まあ、いずれにせよ、悪いようにはしない。君たちに言ったのも陰から隠れて物を描くというのもなんだから盗撮しているようで気が引けたのでな」
法に抵触することを気にするなら、他にもある気がするが、どうにもやはり腑に落ちない北五十里と中屋敷ににやりとして言った。
「それに君たちは、その想いを止めるつもりはないのだろう」
もう二人には反論する気がなくなった。
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