第24話 筆子のアシスタント

 夏休み、僕はひたすら筆子の漫画のアシスタントを続けた。

 下描きが終わり、次はペン入れだ。

 Gペンで描いていく。下描きのときと同じように筆子がキャラを描き、僕が背景を描く。

 僕はGペンを使ったことはなかったが、絵画魔法を使ってちゃんと使いこなすことができた。最近はペンタブレットを握ってパソコンでばかり絵を描いているので、Gペンで紙に直接描く感触は新鮮だった。

 僕は筆子に負けないように気合いを入れて描いた。正確で緻密に、ケーキや校舎や教室や街並みなどを原稿用紙に描き込んだ。ケーキには特に力を入れた。空の作るケーキがおいしそうに見えなければ、この漫画は失敗作になってしまう。空のケーキと冬華のケーキの微妙な差異を細心の注意を込めて描き分けた。我ながらよく描けたと思う出来になった。

「春日井くんさすが……」

 そのケーキの絵には、筆子も感嘆してくれた。

 ケーキ作りのシーンは非常に大切だ。筆子がキャラを描き、ケーキ作りの道具や食材は僕が描く。そのシーンを描いているとき、僕たちは心を通わせていた。筆子が作者で僕はあくまでもアシスタントだが、合作という気がするほど、息を合わせて描いた。僕は彼女を全力でサポートし、彼女は僕を完全に信頼してくれていたと思う。

 筆子の漫画の背景を描くのは楽しかった。長い時間を経て、やっと僕は絵描きを楽しめるようになってきた。筆子のおかげだ。楽しそうに絵を描く筆子と出会わなかったら、僕は未だに絵が嫌いなままだっただろう。

 筆子はものすごい集中力でペン入れをしていた。特に冬華と空の目を描くときは凄かった。目だけは、彼女は僕よりも緻密に描き込みをする。

 冬華の目は常にまっすぐに対象を見ている。祖父を見、ケーキを見、空を見る。無口だが、その目には常に力が籠り、情熱が宿っている。ケーキ作りをしているときには、狂気が宿ることさえある。

 空の目は最初は冷めている。つまらなそうにしている。文化祭をきっかけにそれが変わる。目に興味が兆し、やる気が生まれ、やがて冬華のように情熱を宿すようになる。

 ペン入れ終盤、僕はこの漫画はけっこういけてるんじゃないかと思うようになった。筆子の絵はプロ並みとまでは言えないが、気迫がある。気迫というのはスポーツや戦いの絵だけではなく、静かなシーンにも込めることができるのだと僕は彼女の絵を見て知った。

「クリーム王子とイチゴ少女」は今までの筆子の作品の中では一番いいんじゃないか。一流のプロの漫画には及ばないが、新人としてはそんなに悪くはないんじゃないか、と思えてきた。その作品の出来にはもちろん僕の背景も貢献している。

 ラストシーン、冬華は空のためにイチゴのショートケーキを心を込めて作り、空はケーキ魔法を使って、しかしやはり想いを込めてショートケーキを作る。ふたりの間には淡い恋が芽生えている。

 原稿枚数は三十二枚。そのペン入れに二週間かかった。

 描き続けて、指や手首が痛くなった。魔法を使って描いてもうまく描けるというだけで、身体への負担は他の人と変わらない。描き過ぎると腱鞘炎にだってなる。

 僕は夜は家に帰って受験勉強をしていたが、筆子はすべての時間を漫画描きに捧げているようだった。僕はもう「勉強しろよ」と言うのはやめた。この漫画を描き終えるまでは、何を言っても無駄だ。

 ペン入れが終わっても、漫画が完成したわけではない。仕上げにスクリーントーンを張る。この作業もけっこう重要だ。キャラや背景に陰影をつけ、立体感を出し、輝きを与える。

 トーンは張るだけではなく、線に沿って切り、場面によっては削らなければならない。細かく削って光と影の狭間を描き出す。この削りが筆子はまだ未熟だった。僕はうまくやることができた。トーン削りにも絵画魔法は有効だった。

 漫画家のアシスタントになって生きていけるかも、と思った。けれど今の僕の夢はイラストレーターになることだ。僕自身のオリジナルの作品を生み出して生きていきたい。

 スクリーントーンの作業に三日かけ、ついに短編漫画「クリーム王子とイチゴ少女」が完成した。

「やったね。おめでとう」

「おめでとうは、新人賞を取ったら言ってほしい……」

 筆子はそう言った。彼女は本気で賞を取るつもりで描いたのだ。

「取れるかな?」

「わからない。でも全力は尽くした」

「そうだね。本当に全力を出していたと思うよ。もっとも、筆子はいつも全力全開に見えるけど」

「うん。わたしは手は抜けないタイプ。漫画描くの大好きだし……。それにしても、春日井くんの背景は凄かった。わたしでは絶対にこんな上手な背景は描けない……。ありがとう」

「僕も描いてて楽しかったよ」

「本当? 虹くんが絵を楽しんでくれたの?」筆子が心から嬉しそうに言った。彼女が僕を下の名前で呼んだのは、このときが初めてだった。

「うん。楽しかった」

 筆子が可愛らしく微笑んでいる。

 封筒に投稿先の住所と出版社名、係名を書き、まちがえていないか入念にチェックして、完成した原稿を入れた。ふたりで郵便局に行った。確実に届くように、書留で送った。

「終わったね」

「うん……」

 そのあと僕らは富岡八幡宮に行き、受賞を祈願した。

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