第8話 僕のぶざまな絵

「また一緒にスケッチしない?」

 漫画を描いている筆子に声をかけた。

「する」

 彼女は即答した。絵を描く誘いを、彼女は断ったことがない。

 放課後、屋上に上がった。眼下に東京の街が広がり、春の穏やかな風が僕たちを撫でていった。筆子はノートを開き、すぐに隅田川を描き始めた。前半には授業中の板書が乱雑に写され、後半は落書きがされている例のおかしなノートだ。

 僕は彼女の隣で鉛筆を走らせた。

「あれ~っ?」

「どうしたの?」

「きょ、今日の春日井くん、上手じゃないね……」

「うん。魔法を使ってないから」

 僕は絵画魔法を使わずに描いていた。やろうと思えば、そういうこともできる。魔法を使わないと強く意識すれば、絵画魔法は発動しない。

 僕の絵はぶざまだった。二年前の筆子より下手だった。

 線はゆらゆらして、まったく引けていない。物の輪郭は不自然で、デッサン力ゼロだった。見ていられない。描いていてつまらないどころじゃない。気持ち悪い。すぐにでも画用紙を破り捨てたくなるような出来の悪さ。

 これが僕の本当の実力なんだ、と思った。僕は絵がうまくない。りりかの言ったとおりだ。

 五年生の筆子は、前よりずっとうまくなっていた。上手な絵とまでは言えないけれど、伸び伸びと描けていた。軽いタッチで隅田川や高層ビル群が描かれている。悪くない。

「ど、どうして魔法を使わないの?」と聞かれた。

「なんとなく」と答えた。

 りりかに言われたことが気になったから魔法を使わないで描いてみたのだが、筆子には説明しなかった。

 いろいろやってみれば、とりりかは言った。魔法なしでどれだけ描けるか試してみようと僕は思い、描いてみたのだ。思った以上に苦戦し、自己嫌悪に陥るほど下手だということがわかった。

 僕たちはスケッチを続けた。一時間経っても、僕の絵は全然完成しなかった。

 校門にりりかの姿が見えた。向こうもこっちを見ているようだった。目が合った。

 次の瞬間、りりかが近くにいた。瞬間移動だ。

「うわっ」と筆子が叫んだ。

 僕はりりかの魔法に慣れているけれど、筆子は初めてでびっくりしたのだろう。いきなり僕の横に出現したのだ。

 りりかは筆子に向かって笑みを浮かべ、「こんにちは」と挨拶した。

 筆子は僕以外の人とはほとんど話さない。人見知りで、コミュニケーションが極端に苦手みたいだ。このとき彼女は僕の後ろに隠れ、「こ、こんにちは……」とかろうじて聞こえる小さな声で挨拶を返した。

 りりかはそんな筆子にも躊躇せず話し続けた。

「冬月さん、絵うまいね」

「わ、わたし、下手だよ……」

「えーっ、そんなことないよ、上手だよ」

「か、春日井くんの方が、ずっとうまい……」

「いや、これはだめでしょ」

 りりかは魔法を使っていない僕の絵を見て言った。

「ほっとけ」

「いや~っ、本当にど下手だわ。虹がこれほど下手だとは思わなかった」

「傷つくから言うな」

 僕はこれでも一生懸命描いたのだ。魔法を使っていない僕の絵が下手くそだというのは嫌というほど自覚したけど、露骨にけなされるとやっぱり悔しかった。

「ちぇっ」

 僕は色鉛筆を取り出し、魔法を使って色を塗った。ど下手な鉛筆スケッチの上に、きれいな色を塗った。

「変な絵」とりりかが一刀両断に言った。

「お、おもしろいかも……」筆子は興味深げにその絵を見た。

「くっそ~っ」

 僕は絵をびりびりに破いて、屋上から校庭に投げ捨てた。

「あっ、もったいない」と筆子が言った。

 紙片は風に乗って散らばっていった。どこへなりとも飛んでいけという気分だったけど、大半が校庭に落ちた。拾って紙片を見る人がいて、僕はしまったと思った。恥ずかしかった。

「ふふっ」りりかが笑った。

「虹、がんばれよ」と彼女は言った。そして瞬間移動で姿を消した。

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