ある専務取締役の出勤

与方藤士朗

第1話 出勤前

 岡山県北の津山市に事務所のある会社に、彼は専務取締役として就任した。その経緯というのは、かなり込み入った事情があるし、差しさわりもあろうから、ここでは述べないことにしよう。

 とりあえず、彼の社会的な身分というか職業は、「会社役員」と晴れてなったわけである。もっとも彼は個人事業主として何年も仕事をしているわけで、個人企業の「社長」と言えば、言えなくもない。

 確かに、「社長」のほうが、いわゆる「専務」よりも偉い人というイメージが社会通念上強い。だが、「社長」は自分で名乗ればすぐに名乗れるし、その気になればそんな実態なんかなくたって、盛り場あたりで「社長」と呼んでくれる客引きのおにいさんだって、いなくもないだろう(今時、いないか~苦笑)。

 しかし彼に言わせるならば、「専務」のほうが、余程ハードルが高いという。

 なぜなら、人に頼まれてなるとか、親を継ぐためになるとか、ある程度条件がないと無理なのがその理由だ、とかなんとか。


 まあでも彼は、その会社の「専務」なのである。

 あまり大っぴらに公言は、されていないけれど。

 それはともあれ、会社役員で、定款上専務取締役で、さらに50代の男性とくれば、それなりの身なりをした分別のある人間というイメージを持たれるかもしれない。確かに彼は、その要件に当てはまる要素は強い。彼の身なりとそのこだわりぶりは、なかなかのものである。

 だがどうも、そのイメージとは真逆なところもあるという。

 それが最も強く出るのが、日曜日の朝。


 彼は土曜の夜から日曜にかけて、携帯電話の電波をオフにする。

 なぜそんなことをするのかと言うと、日曜朝8時30分から9時までの30分間、「プリキュア」というアニメ番組を集中して観るから。本来なら小学校低学年あたりまでの女児対象のものなのだが、彼のような大人にも、結構はまっている人が多いという。家族か親戚に子どもがいて、というなら、話は分からないこともないが、彼はこれまでずっと独身で、子どもももちろんいない。それにもかかわらず、そんなアニメを張り切って観るというのもどうなのかなとは思われているようだが、そんなことは一向構わず、彼は毎週日曜、自宅か、そうでなければどこかのホテルで、テレビに向き合っているのである。録画しておくなどという「さじ加減」は一切しない。その時間、そのときに、彼は、このアニメと真剣に「向き合って」いるのである。

 彼がこの手のアニメを観るのは、これが初めてではない。今から約30年近く前、「美少女戦士セーラームーン」というアニメが一世を風靡した。大学を出て間もない彼は、なぜか、このアニメをある人物に紹介され、それから観るようになった。

 それだけならまだしも、彼はこのセーラームーンを観ていることを隠すことさえしなかった。当然、親の世代からは相当呆れられていたことは言うまでもないが、彼はそんなことで、ハイごめんなさい、となるような人間でないことは、今さら言うまでもないだろう。


 この日も彼は、その「プリキュア」を観た。

 なんでも、この日で今回のシリーズ「トロピカル-ジュプリキュア」に出てくるプリキュアが揃うという。後日追加のプリキュアがあるのはお約束だが、それはあえてここではおいておく。

 この2週間来の、彼の張り切りようと言ったらない。

 というのも、先の週に出たプリキュアの少女は、中2で人魚の小説を書いたことがあるという設定。彼女の名前は、キュアパパイアになる、一ノ瀬みのり。黄色主体のキャラクターで、眼鏡をかけている。

 その彼女(?)の絵を、と言っても、テレビ画面を撮影したものなのだが、それを彼より少し年上のとある女性に見せたら、「似ている」と言われたそうな。

 そのため彼は、その少女の父親みたいなものになっているというか、何というか。

 現に彼もまた、この数年来小説を書き始めたというし、それ以前には、旅行記のようなものをいわゆる「企画出版」で出版しているほどである。

 彼のもう一つの顔、否、本来の顔というのは、「鉄道マニア」であると同時に、プロ野球のファンで、とりわけ歴史に詳しい人物。阪神ファンということだが、贔屓の引き倒しというわけでもない。それが証拠に、彼の自宅のテレビ画面の斜め上には、何と、巨人の元4番打者でV9監督でもある川上哲治氏の色紙が飾られているほど。

 そんな彼だからこそ、この「プリキュア」と同時間帯に放映されている報道番組のスポーツコーナーもまた、楽しみのひとつ。

 かつてはプリキュアと時間が重なっていたのでそれが悩みの種だったようだが、最近は、プリキュアの後に組まれることが多くなったので、プリキュアの後は、約30分、そのコーナーを観つつ、何やらSNSなどで発信している。

 なお、彼がテレビをつけるのは、余程のことがない限り、日曜日の朝のこの時間だけである。


 スポーツコーナーが終わると、彼はテレビの電源を切り、携帯電話の電波を再びオンにする。これから土曜日の夜まで、電波がオフにされることはない。

 この日の彼は、彼の住む岡山市から約60キロ近く離れた津山市まで行って、その会社の業務を進めなければならない。その前の2週間は、週末の土日の2日にわたって津山市内のホテルに泊っていたのだが、さすがに疲労がたまっているのか、彼は今週それを避け、日帰りにすることにした。年度末で、その会社以外の仕事も抱えているのであるから、そうでもしないとやれないということか。


 彼は身支度を整え、パソコンの電源を落とし、自宅を出た。時に、朝9時45分。

 普段の彼は自転車で出向くが、この日はあいにくの雨模様。

 折畳み式の傘を持ち、彼は近くのバス停へと歩き始めた。

                       (続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る