コルネリアの懸念
アルバートは苦悩していた。
これまでの人生でこれほどの衝撃を受けたことがあっただろうか。いや、ない。思わず反語で自問自答してしまうほどの衝撃だった。
眷属達が集まるまでと誘われて茶を嗜んでいるのだが、そこで出された茶がまずい。それはもう驚くほどにまずいのだ。
過食美食の日本の出身だからではなく、アルバートとして生きた経験を総動員してもここまでひどいかと思えるほどのそれ。カルロ相手に適当に入れた茶ですら至高の一品に思えた。
嫌がらせに豚の餌でも出されたと思ったほうがまだ信じられる。
しかし、当のコルネリアが最高の笑顔で手ずからに給仕してくれたものだ。好意と考えるのが妥当だった。
だが、泥水でもすすったほうがましと思えるそれに、アルバートは思わず失言していた。
「まずいな」
お茶のお代わりを注ごうとしていたコルネリアの肩がびくりと震えた。
しまったと思ったが、もう遅い。
せめてすぐに謝罪をして傷口を浅くしようと思うが、それよりも早くコルネリアが神妙な面持ちで頷く。
「さすが
「懸念?」
茶のことかと思ったが、どうも違うらしい。
真にアルバートに忠実たれと身をもって体現するコルネリアは、言いにくそうにしながらも、それでも必要なことだとありのままを語ってくれた。
「
言われてみればもっともな話に、アルバートはなるほどと頷いた。
同時に失言に気づかれなかったことに安堵したが、それよりもいまは重大事に意識を向けるべきだ。
カルロが説明しなかったからだが、それはこの時代の者達も同じ。
だからと言って私は人間ですよと大っぴらにやるのはいかにもまずく思えた。
人間と生存権を賭けた戦争をしている最中、お前達の過去の王だと人間が現れる。考えずとも分かるくらいに波風が立つ。
コルネリアの反応が全ての呪族のスタンダードだと考えるのは楽観が過ぎるだろう。
むしろ、人とわかった時点で命を狙われるくらいは覚悟すべきである。それに、いまは見つかっていないだけで、どこから
考えれば考えるほどにアルバートの種族が人間と知る者は少ないほうが良いと思われた。
「ふむ。ただの人間ではない。寿命も強度も、存在の在り様までも、呪術によって作り変えておる。吾輩は人にあって人にあらず……それでも、不要な楔は打たぬに限るか」
「い、いえ、きっと大丈夫です。
必死に言い募るコルネリアは、まるで自分に言い聞かせているように見えた。
少しばかりの悪戯心から、アルバートは問いを重ねる。
「気にする者が現れたらどうする?」
「そ、その時は……」
逡巡は一瞬、見つめ返す決意の瞳に溜息をつく。
粛清するつもりだと悟るのは容易で、その愚直なまでの想いに呆れかえる。
窮地を助けた印象が強すぎるのか、あるいは
「不要だ。立てずに済む波は立てなければ良い。それで、他の呪族に人と分からぬようにするにはどうすれば良いと思うか?」
「お顔をお隠しになられてはいかがでしょうか。肉体的には人とさほど変わらぬ種族も多くおりますので、顔を隠し、多少ゆったりとした衣服で身を包めば問題はないかと思います」
「お前もその肉体的には人とさほど変わらぬ種族か?」
問いに、コルネリアは小さく頷いて自身の目を指さした。
そこに揺れるのは炎である。
いささか信じられぬことながら、コルネリアの瞳は猫科の肉食動物のように縦に光彩が割れ、その奥の炎の動きに合わせて揺らめいて見えていた。
「炎とともに生きる我が一族は、体内に炎を宿します。目を見ればわかりますでしょう。しかし、近くでよくよく観察しなければわかりません」
「なるほど。確かに……人とは違うな。わかった」
アルバートは素直にコルネリアの言葉に従った。
この世界の常識を知らぬ彼からすれば、信仰心すら抱いているコルネリアの言葉に悪意はないと判断したのだ。
「顔を隠す、か……」
どうしたものかと悩むアルバートの視界に、壁の飾りが目に入った。
剣が二揃い、壁掛けとともに飾られているのだが、そのすぐ下に黒い全身鎧が飾られていた。どうやら
顔全体を覆い、見えるのは目元と口元のみ。日本でいう鬼のようにも見えるそれは、額から二本の角が直角に生え、その後急な弧を描いて直上に上がる。口元はわずかに開き、鋭い金色の牙が並んでいた。
固定する紐の類が見えず、試しに口元にあててみると、するすると面頬が伸長して後頭部を一周し、あつらえたようにしっくりと固定された。
「ふむ? これならどうだ、コルネリア」
意見を聞くと、コルネリアは一瞬頬を引くつかせた。
アルバートは知らぬことながら、その鎧は朱眼族に伝わる鎧だった。
己が物差しで測ることの愚かしさを噛み締め、コルネリアは頷く。
「大変、よろしいかと思います。さすが
「そうか。なら良い」
眷属が集合すると、コルネリアの後ろに着いて謁見の間への扉をくぐった。
まず最初に目に入ったのは、驚くほど広大な何もない空間だ。
いや、何もないは正しくない。
王座があり、その前に多くの臣下が傅くためのスペースが用意されている。そのスペースが恐ろしいほどに広いというだけの話だ。
一万や二万程度なら余裕を持って並ぶことができるほどの広さだ。最も奥には臣下達が使うだろう荘厳な装飾の鉄扉が見える。扉から玉座までの道は踝まで埋まりそうな長い毛足の赤絨毯が伸び、その上にはすでに四人の男女がいた。
恐らくは彼らが眷属の君主達だろうと見当をつける。
彼らもアルバートに気付いているようで、視線を感じた。
そこで彼らの表情に気づいて、アルバートは怪訝を感じた。
目を見開き、固まっている。
石化の魔法でもかかっているのかと思ったが、そんな気配もない。
考えを巡らせているうちに玉座に辿り付き、コルネリアに誘われるまま玉座に座る。コルネリアは横に控えるようだ。
四人の男女は己が目にしたものを信じられなかった。
玉座に本来座るべき主人が、脇に控える。
つまりそれは、権力が譲渡されたことを意味する。
四人の君主を差し置き、呪族の王を独断で決める?
そんなことが許されるのか?
いいや、許されるはずがない。
そんなことが許されるとしたら、唯一絶対の古の王くらいのものだ。
四人の困惑と敵意、そして恐怖の入り混じった視線を受け止めて、コルネリアは片手を高く上げた。
「控えなさい、眷属達よ。
朗と響くコルネリアの声は、電撃のように謁見の間に広がっていった。
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