輝ける場所へ【KAC20219】

いとうみこと

誰にでも輝ける場所がある

 昭和の雰囲気が漂うラーメン屋の、客が引けて誰もいなくなった店内に軽快な曲が流れ、と同時に人気アイドルグループがテレビに映し出された。短いスカートから伸びるスラリとした脚、キレのいいダンス、順番にアップになる顔は若々しくて皆華やかだ。私はカウンターを拭く手を止めて彼女たちの姿に見入った。やがてサビに入りセンターを務めるアイドルが大映しになると、彼女は大粒の涙をポロポロとこぼし、しゃくり上げながらそれでも必死に歌おうとしている。隣の女の子が彼女の肩を抱くと、それを機にたちまち幾重もの人垣ができてすすり泣きが画面から溢れた。


「懐かしいかい?」

 店の奥で新聞を広げていたはずの店長が、いつの間にか同じように画面を見上げていた。

「やだな、そんなんじゃないですよ」

 私は会話を切り上げたくて再び力を込めてカウンターを拭き始めた。こうしないと長年に渡ってこびり付いた油汚れはなかなか取れないのだ。台ふきんを掴む私の手にはささくれが目立つ。思いに反して店長は話をやめなかった。

「この子、ユメちゃんの同期だろ?」

「……まあ、そうですね」

「センターを何度も務めて凄いよな。今日で卒業か。この後は何か仕事が決まってるのかな?」

「さあ、知りません」

「仲良かったんだろ?連絡取ってないのかい?」

「私にはもう関係のない世界ですから」

「ふうん……」


 店長はそれ以上は何も言わずバックヤードに引っ込んだ。私は再び手を止めて、励まし合って歌う彼女たちを見上げた。その中央には目を真っ赤に腫らした棚橋リンカがいる。トップアイドルとして君臨した彼女は、モデルとしても度々女性誌の表紙を飾り、来年のミュージカルへの出演も既に決まっている。

 研究生時代は私の方が歌はうまかった。正規メンバーになれたのも私の方が先だった。彼女は私を頼り、私は彼女を励まし続けた。

 しかし、生まれながらの華やかな容姿も手伝って彼女は次第に頭角を現し、正規メンバーになるや否や立て続けにセンターを務め、程なくソロとしてシングルをリリースするまでになった。当時の私は同じ仲間として羨ましくもあり誇らしくもあった。いつか私もと闘志を燃やしていた。


 しかし、その日は突然訪れた。十七歳になったばかりの私は親と一緒に事務所に呼び出され、膨れ上がったグループの人員整理の対象になっていると告げられた。その後の選択肢はふたつ。ひとつはそのまま芸能界を引退すること、もうひとつはメンバーではなくひとりのタレントとして活動すること。

 親は反対したけれど、私は迷わず後者を選んだ。芸能活動に専念したくてとうに高校は辞めていたし、歌手としてソロ活動をするという夢を諦めたくなかったから。


 しかし、現実は甘くなかった。歌手としてどころか、タレントとしての仕事さえまともにやらせてもらえない日々が続き、収入を得るため、元業界人でそのへんの事情を汲んでくれる店長の元で働くことになった。その傍ら歌や踊りのレッスンに通い続けたのだけれど、それも虚しく私は何の成果も残せぬままあっという間に二十代も半ばを迎え、今やすっかりラーメン屋の店員が板についている。親は早く田舎に戻って結婚してくれと何年も前から言っているが、今さらおめおめと戻る気にはなれない。結局のところ、今もソロ歌手への未練が断ち切れないのだ。


「どこでこんなに差がついたかなあ」


 歌い終わって深々と頭を下げ、仲間たちと抱き合うリンカ。そう言えば研究生時代にも彼女はよく泣いていた。特にダンスが苦手で、殆どのメンバーが帰ってからも泣きながら振り付けを覚えていた。それだけじゃない、よく稽古場の片隅で半ベソかきながら高校の課題をやっていた。そう、彼女はいつも一生懸命だった。


 一方で、私はこの十年近く何をしてきたんだろう。自分の不運を呪い、彼女を妬んでなかっただろうか。投げやりになって無駄に時間を費やしてなかっただろうか。知らぬ間に、涙が私の頬を濡らしていた。


 その時ポケットのスマホが震え始めた。所属する芸能事務所の鈴木さんからだ。いよいよ最後通告か。私は涙を拭き覚悟を決めて電話に出た。

「お疲れ様です、坂田ユメです」

「お前、ボイストレーニングやめたんだってな」

 いきなりの言葉に、私は面食らった。

「……ええ、まあちょっと月謝が払えなくて」


 二年前、研究生時代からずっと見てもらっていた講師が引退することになり、高額だが評判のいい講師に師事することになった。彼女に代わってから音程が安定したり、高音が出しやすくなったりと良いこと尽くめではあったが、彼女はポップスで勝負したいという私の思いとは裏腹に演歌に転向するよう勧めてきた。しかしそれは私にとって受け入れ難い話だったので折り合わず、月謝を払い続けるのも難しくて、とうとう先月いっぱいでやめてしまったのだ。


「先生からさっき電話が来たんだよ、このままやめさせるのはもったいないから事務所の方で何とかできないかって」

「え?」

「お前、演歌を勧められてたんだって?先生が言うには、お前には素晴らしい素質があるそうだ。本人は全くその気がなくて困っているけれど、このまま埋もれさせるのは忍びないから何とか説得してくれって。あの先生とは長い付き合いだが、そんなことを言われたのは初めてだ。お前、もしかしたらとんでもない逸材かもしれんぞ!」

 黙ったままの私を意に介さず鈴木さんはまくし立てた。

「とにかく今すぐ事務所へ来い。ちゃんと会って話をしよう」


 電話が切れた後も私は動けずにいた。台ふきんを握りしめたまま立ち尽くしている私を奥から出て来た店長が現実に引き戻した。


「今事務所から電話もらったよ。凄いな、ユメちゃん、演歌の素質があるんだって?ここはもういいから事務所に行っといで」

「店長、でも私ずっとポップス歌手を目指して頑張ってきたんです。それを今さら演歌だなんて……」

「演歌だって素晴らしい音楽じゃないか。それにソロ歌手になるっていう夢が叶えられるかもしれないぞ。そのために今までやってきたんだろ?」

「でも演歌じゃこれまでやってきたことがみんな無駄になっちゃいます!」

 店長の顔から微笑みが消えた。

「ユメちゃん、本当にそうなのかい?」

「だって……」


 だって演歌じゃリンカに勝ったことにならない!


 私は自分の心に湧き上がった言葉に愕然とした。私はいったい何を求めてきたのだ。好きな音楽で生きていくために歯を食いしばってきたのではなかったのか。私の戸惑いの中身を店長は見抜いているようだった。


「ユメちゃん、リンカはリンカだ。まずは鈴木くんとゆっくり話をしてみてごらん。大人になってから事務所の人間と腹を割って話したことなんか無いだろう?今なら君の思いを自分の言葉で伝えることができるはずだ。その上で、芸能界に限らず君は君がいちばん輝ける場所を見つければいいんだよ」


 店長の言葉に、心の中で複雑に絡み合っていた糸が少しだけほどけた気がした。


「……そっか。そうですね。先のことはともかく、とりあえず鈴木さんとじっくり話し合うことから始めます。店長、ありがとうございます」


 手ぬぐいを巻いた自らの頭をポンポンと叩いて、店長は少し照れくさそうな顔をした。

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