銀髪女子高生にゼロから株式投資について教わることになった。
砂義出雲
第1話 プロローグ・死ぬ前に株式投資をやってみない?
死のうと思っていた。
僕の名前は
都内に勤める平凡な営業職のサラリーマンだ。
ことの発端は今から数か月前。
就職してから何もいいことのなかった僕に、生まれて初めての彼女ができた。
きっかけは休日に路上で綺麗な女の人に道を尋ねられて、是非お礼にとお茶などしているうちにいい雰囲気になったことだ。
舞い上がった僕は、彼女がお金を要求してくる度に二つ返事で答えてきた。
だんだんとその金額が大きくなってきておかしいなとは思っていたのだが、結婚をちらつかされたあたりで、どうせ結婚するのだからいいかと一気に大金を貸してしまったわけだ。
その瞬間に彼女は消え失せ、音信不通になった。
いわゆる、結婚詐欺だったことに気付いたのはそのあたりだった。
今思うと、典型的なパターンだったなと思う。
だけど、非モテは気付かないんだ。普段、悲しいほど報われてないから。
ろくな趣味もなく、自宅と職場の往復だけで生きてきた僕が社会人生活十年で貯めた虎の子の300万円は、数ヶ月ですべて持って行かれてしまった。
上京してくる時に両親は言った。
「凡太、いい人ができた時のためにお金を貯めておきなさいよ」と。
僕は、いい人ができたと思い込んでしまった。
いい人ができたのは、僕の思い込みの世界だけだったんだ。
全ての貯金を騙し取られた僕に、もう生きる気力はなかった。
だから退路を断つために、今日、会社も辞めてきた。
その足で――目的の場所に向かう。
「……………………」
死ぬ場所は決めていた。
彼女と初めて出会った、思い出の歩道橋。
そこから、真下を高速で流れていく車を眺める。
……これ、絶対痛くない?
いや、絶対痛いよね。違うやり方とかないのかな?
交通機関にもきっと迷惑はかかるんだろう。
でも、後先考えられるなら自殺志願者は自殺なんてしない。
うん。こうするしかないんだ。
だってもしニュースになったら、彼女だって――ほんの少しでも、僕のこと思い出してくれるかもしれないから。
例え、まんまと騙されたバカな男だというろくでもない思い出し方であったとしても。
「よし」
僕は涙を拭い去ると、人通りがなくなった隙を見計らって大股を上げ、歩道橋の手摺りを跨ごうとする。
半分足を跨いだその瞬間、びくり、と自分のタイミングではなく橋から落ちそうになった。
いつの間にかそばにいた銀髪の少女が、僕のことをじっと見つめていたからだ。
紺色の制服を着ているからには、きっと女子高生だろう。
小柄な身体に、腰ほどまで伸びた銀髪が
「……ふーん」
そして彼女は妙に高慢ぶった表情で、一言短く呟く。
「……ねえあなた、死ぬの?」
いきなり、女子高生は僕に向かって訊いてきた。
「……いや、まあ……そうしようと……思ってますけど……」
どう見ても年下な相手に敬語を使ってしまった。
こういう気の弱いところも僕が図々しく生きていこうと思えない理由だ。
「内臓が出て、脳みそがぐちゃーって出ちゃうけど大丈夫?」
「うっ……」
僕を怖がらせて止めようとするのか。
今さらそんなことを言われても、僕の決意は固い。
「とっ……止めないでくださいっ……! い、今さら、今さら僕に残されたものなんて――」
「止めないよ?」
「……え?」
女子高生は、にべもなく言い放った。
そして、にんまりと笑って僕を見つめると――
「人が死ぬとこ、見たことなかったから、楽しみだなって思って」
こともなげに言った。僕は思わず耳を疑う。
「とっ……止めないんですか……!? 普通なら止めるでしょ!?」
僕が思わず驚いてしまい、引き攣った顔を見せながらそう言うと、彼女は答える。
「あれ、止めてほしかったの?」
「い、いや、それは」
「……じゃあ、一つ聞いてもいい?」
そう言うと、彼女はしゃがみ込んで、真下から僕の目をまっすぐに見つめて言った。
「死ぬ理由は、なに?」
「……貯金を騙し取られたんです。結婚詐欺にあって……」
僕の答えに、彼女はやはり心底呆れたような表情で溜め息を吐いた。
「なあんだ、やっぱりくだらない。たかがお金で死ぬなんて」
「く、くだらないって! 僕が……やっとの思いで十年かかって貯めた金なんですよ!」
「また稼げばいいじゃない」
「それも……無理です」
「なんで?」
「後腐れ無く逝くために、さっき会社を辞めてきましたから。勤続十年の会社です。32歳無職、もう潰しも聞かない!」
「そう。それはますます好都合……ちなみに、いくら騙し取られたの?」
「好都合って何がですか……300万円です」
「あなた、普段凡庸だって周りから言われない?」
繰り返し僕を値踏みするような、そして小馬鹿にするような少女の言葉に、思わずカチンと来てしまう。
「ば、バカにしないでください! 幾ら女子高生でも怒りますよ! 凡庸で何が悪いんですか! 僕が必死に貯めたお金を……」
「だって、そんな端金で死ぬなんて」
……はしたがね? いま、この女子高生は、300万を端金と言ったのか?
すると、女子高生はこんなことを続けて言ってきた。
「あのさ、一つ聞きたいんだけど。人間、死んだと思ったなら、なんでもできるって思わない?」
「それは――」
考えなかったかと言ったら嘘になる。でも、だからこそ退路を断ってきたのだ。
「それは、おためごかしです。実際に、300万を失った僕には来月の家賃も……」
「じゃあ、わたしが投資してあげる」
「……え?」
そう言いながら、女子高生はすっとスマホをフリックする。
「300万円、貸すわ。その代わり――その命、わたしに預けてみない? あなたにやってもらいたいことがあるの」
満面の笑みで女子高生は僕にスマホの画面を見せる。
そこには、300万円を送金する準備の整ったネットバンキングの画面があった。
「……どう? これで死ぬ理由もないでしょ?」
彼女は断言する。
だけど――それは、本当だ。
困った。死ぬ理由がなくなってしまった。
「……はい」
なので、とりあえず僕は、すごすごと歩道橋から半身を戻す。
同時にその瞬間、どこかほっとしている自分もいることに気付く。
身の丈に合わないことしなくて、本当に良かったなあ。
振り向くと、銀髪の女子高生はまだニヤニヤと僕のことを見つめていた。
「あの……教えてください。なんで、僕なんかのためにそこまで……」
「だってあなた、見た感じ絵に描いたような凡人みたいだし、奥田と全然違うタイプだから教えるには丁度いいかなって。それに、もったいないなあって思って」
「誰ですそれ。それにもったいないって、何が――」
「――この世界で一番熱い場所を知らないで死ぬの」
彼女は嬉しそうに言う。
「世界で一番熱い場所?」
どこのことだろう。赤道直下の国あたりだろうか。だが、彼女は言った。
「今この世界を支配してる『資本主義』の真ん中。マーケットの世界」
マーケット? バザーか何かか? それともはなまるマーケット? いや、女子高生がそんなことを知るわけない。
「わたしがあなたに教えてあげるね。資本主義のこの世界を生きるために必要な技術――株式投資のイロハを」
そこで僕は、彼女の言う『マーケット』が経済の世界の話だとやっと気付いた。
そして、彼女は僕に向けて手を差し出す。
「わたしの名前は、
「……浪川凡太」
「そう。よろしくね、凡太」
呼び捨てだ。序列が完璧に決まってしまった瞬間。
小雨の舞い散る中、彼女はすっくと立ち上がって笑顔で言った。
「じゃあ、わたしのことは、今日から吟子師匠って呼びなさいね!」
それはとても華やかな笑顔だった。
「……はい。吟子師匠」
僕も流されるままに、吟子師匠の名前を呼ぶ。
それから――吟子師匠は僕に背中を向けると、聞き取れないかぐらいの小さな声で。
「多分あなたが――わたしの最後の弟子になると思うから」
確かにそう言った。
その時は軽く聞き流していたこの言葉が、後にどんな意味を持つのか、僕は知らなかったのだ。
無職になった、気弱な元サラリーマンの僕。
株式投資を教えてくれると言う、妙に羽振りのいい銀髪の女子高生。
会話に出てきた奥田という謎の名前。
そして、世界で一番熱いという場所への誘い。
これが僕の、マーケットの世界への長い旅の始まりだった。
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