第9話 憧れの王子とお嬢様の涙

 王城の物々しい扉を前に、お嬢様は小さくふぅと息をついた。

 今日のお嬢様はいつになく緊張しておられる。

 

 なぜなら今日はレオポルド殿下を殺そうとしたニクラウスの裁判の日だからだ。

 法廷に出席するお嬢様を、私とダニーロさんで護衛している。

 ギィと重苦しい音と共に扉が開いた。

 

 ぎゅっと握り直したお嬢様の手は、僅かに震えていた。

 それもその筈。

 ニクラウスはお嬢様の元師匠だ。

 とても親しい様子だった師が、実は愛する方を苦しめていたと分かった時のお嬢様の苦しみは図りかねない。

 更にお嬢様自身がその師を断罪しなければならないのだから、尚更だ。

 

 魔力を封じる枷を付けたニクラウスは、鋭い目でお嬢様を睨んでいた。

 お嬢様はそれを見て悲しそうに瞳を揺らした。

 しかしそれでも怯まず顔を上げ、毅然とした態度で証言台に立った。

 

「ツッカーベルク侯爵が娘。グリーゼルが証言致します。その者ニクラウスが、レオポルド殿下を殺そうとしたことを――」

 

 さすがはお嬢様だ。

 心労いかばかりか私には分からないが、少しも表に出さずに理路整然と証言を終えた。

 それには私たち護衛騎士も、胸を撫で下ろした。

 

 お嬢様が証言終えるまで、私たちはずっと気を張りつめていた。

 ニクラウスに与する輩がいれば、証言の前にお嬢様が狙われる可能性も多いにあったからだ。

 

 だが無事裁判を終え、法廷から出ることができた。

 何事もなくて、本当によかった。

 レオポルド殿下は被害者としてまだ審議に参加するようだ。

 先に私たちだけで、お嬢様をお連れしよう。

 

「お嬢様、お疲れでしょう。お菓子でもいただいて、レオポルド殿下をお待ちしましょう」

 

 早くお嬢様を安心できる場所にお連れしたかった。

 でもそんな私の気持ちは、すぐに打ち砕かれることになる。

 

「先程の証言、お見それいたしましたぞ。グリーゼル嬢」

 

 近づいてきたのは、鼻の下にちょび髭を生やした貴族だ。

 ゴテゴテと装飾がついた服が趣味の悪さを物語っている。

 その貴族はニタニタと嫌な笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「罪人の弟子でありながら、少しも怯まない毅然とした態度で、私も溜飲が下がりました」

 

 な、今のは嫌味ではないか!

 私は眉間に皺を寄せたが、騎士が貴族相手に食ってかかることはできない。

 

「えぇ、ありがとうございます。トンプソン伯爵」

 

 この男の嫌味にも、お嬢様は全く嫌な顔一つせずお礼を返した。

 しかしこの男はそれでも止まらず、嫌味な笑顔で続けた。


「これであのニクラウスも死刑が確定でしょう。弟子の証言で死ぬことになるなど、ニクラウスの悔しがる顔が目に浮かびますな。ははは」

 

 高らかに笑い始めた男を前に、私は思わず声を上げた。

 

「なんということを!」

 

 それを横から出てきた手に止められる。


「今のは口が過ぎるのではないか?」


 バートランド殿下!

 先程の裁判でもチラリと姿だけ見えた。

 一緒に出てきていらしたのか。

 

 殿下の厳しい表情に、伯爵はさすがに焦りを浮かべた。

 手をわたわたと動かし、弁解する。


「い……いや、言葉のあや、というものではありませんか。はは……それではっ、私は失礼いたします」


 それだけ言うと、その男は一礼してそそくさと逃げてしまった。

 バートランド殿下はそれを睨んで見送ると、お嬢様に向き直る。

 

「グリーゼル、気にするな」


「はい。……大丈夫、です」


 ふるふると震えたまま、俯くお嬢様。

 必死に耐えている様子だが、その努力も徒労に終わる。

 それまで気丈に振る舞っていたお嬢様の瞳から、一筋の涙がこぼれた。

 なんとかあの伯爵の前でだけは、耐えていたんだろう。

 一筋流れれば、また一筋と呼び水のように流れ出す。

 

「あれ……わたくし、お恥ずかしいですわ」

 

 顔を両手で隠して、必死に涙を止めようとなさっているが、その努力が身を結ぶことはなかった。


 バートランド殿下はそんなお嬢様の背に手を回して、その涙を隠した。


「オレが隠している間に、全て流してしまえ」


 私は胸がズキンッと痛んだ。

 ぎゅっと胸を掴んでそれを誤魔化す。

 

 しかし婚約者がいらっしゃるお嬢様に、今の距離は近すぎる。

 ダニーロさんが一歩近づき、バートランド殿下を手で止めようとする。

 

「バートランド殿下、それ以上は……」

 

 しかしそれよりも早くお嬢様が、優しく殿下の胸を押し返した。


「申し訳ありません。バートランド様。わたくしが不甲斐ない姿をお見せしたばかりに」

 

 目に涙を浮かべたまま、お嬢様はバートランド殿下を拒んだ。

 お嬢様はレオポルド殿下の婚約者。

 こんな所を他の誰かに見られるわけにはいかない。

 

 苦しそうに顔を歪める殿下は、すぐにお嬢様の背から手を離した。

 涙を流すお嬢様に何もしてあげられない歯痒さが、その表情から見てとれる。

 その時――

 

「バート、これはどういうことだい?」

 

 この場にいる全員がその声に凍りついた。

 振り返ると、冷たい表情のレオポルド殿下がそこにいた。

 

「あ……」

 

 二の句を告げないバートランド殿下を待たずに、レオポルド殿下はお嬢様の肩を抱き寄せる。

 レオポルド殿下はお嬢様に「大丈夫かい」と優しく声をかけ、ハンカチを差し出した。

 そしてお嬢様をバートランド殿下から引き離す。

 

「すまない、バート。今は冷静に話を聞けそうにない」

 

 レオポルド殿下の声は、いつもより低く怒気を孕んでいた。

 そしてそのまま振り返らずに、その場を後にした。

 

 私とダニーロさんは慌ててお二人の後を追う。

 辺りにはしとしとと小雨が降り始めていた。

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