12章 柳の森の決闘

ふいにサラの執務室の扉があく。

開けたのは恐らく外出の支度をすませたであろう格好の魔王ヴォルカスだった。


「ふむ。サラよ」

「どうされましたか。」

「傀儡師のことはどうなっておる」


傀儡師。

先日、長のオレンドという者が戦線の離脱を申し出た魔の一種族だ。


「死人を用いていますが保護は難航しております。…近頃、戦争を離脱した傀儡師をよく思わない魔物たちが、傀儡師をひどく扱っています。」

「ふむ。どのような話か」


ヴォルカスは予測していた。

腕っぷしの弱い傀儡師が魔物の集団から孤立した時、どのような扱いを受けるか。

オレンドの申し出を受けると同時に、傀儡師の保護を開始した。それでも数千といる傀儡師たち全てを守るには間に合わない。


「…傀儡師を人型に封じ、繰り返し四肢をもぎる。巨大な岩に取り憑かせ、動かせなければ海深くへ放るなど。

いずれのケースもひどく罵倒された挙句死に追いやられているようです。悪趣味な族もおりますから」


戦争で荒れた魔族の心は、ふとしたきっかけで仲間にも牙をむく。

分かり切ったこと。


「ほう。して、オレンドという男はどうしておる」

「さぁ。魔王城の周囲にはいないみたいです」


そうか、と小さく頷くとヴォルカスはサラに背を向け

執務室の出口へ向かす。


サラはその背に向かって声をかける。

「助けに行くのですか?」

「ふむ。助けはせぬ」


助けはしない。

しかし、オレンドのところへ向かうことを否定はしない。


「…そうですか。ヴォルカス様がそのようなお方なので、皆、忠義を立てております。」


サラから顔は見えないが、少しだけヴォルカスを包む空気が緩む。


「そうか。…サラよ。頼みがあるのだが」

「なんでしょうか」

「泥を払う布を、追って届けてくれ」


最後に、振り向きもせずそんなことを言う。

何かの物語にでも憧れがあるんですか、と言いたくなる。

たとえ泥がついたとて、魔法でも使えば払えるだろうに…。


「…わかりました。お気をつけて」

サラはその大きな背中が扉の外に出ていくのを確認してから、

手元の書類に再び目を落とした。






…イトが死んだ

…ベットラが死んだ

…ジュゼットも死んだ

…あぁ、おめぇら…


「あぁ、あぁ、あぁ…俺は待ってるのに…誰もこねぇ、一人もこねぇ」

風は何と答えたか。


男は呆然とした声を漏らしていく。

名を呼ぶことを弔いだとでも思っているのか。


風に導かれたのか、声に導かれたのか、はたまた気配を感じ取ることができたのか。

もうひとつの、ここにはありえない影が明確な人型を成す。


「ここにおったか」


影が発した言葉にも、男は耳を向けていなかった。

聞こえていなかった。聞きたくなかった。


「カティア、ペペタノ…」

構わず続けられるのは同族の名。自分を責め苦する言葉。

顔も知らぬ姿なき同胞がため。


「そなたは、そこで、何をしておる」

再び弔いは破られる。


男は来訪者を睨む。

「お前…」

森に吹く風の鋭さが増す。

男の心に呼応するように、痛く、悲しく。


「ふむ。見事な柳の森である。」

意にも介さぬ来訪者。

背にかかる王の証だけが、風に煽られ音を立てる。


「ははは…なんだよ。笑いに来たのか。なら、間抜けでおもしれーだろ」

「ほう。そうみえるか。」


ため息、そして。


「もうどうでもいい」

風向きが諦めに向いたか、或いは、強がりか。


「ここは、傀儡師の生まれ落ちる場所か」

「…そうさ」

海よりそう遠くない、潮風が吹き込む森の一区画。

遥かな時を生きる柳の大木たちが鎮座する森。


ポタリ、と。

地に垂れる葉から魔素の雫が地に落ちる。


「ふむ…。ほう、立派な木だ。これがそなたの親か。」

その森の中央にひと際巨大な柳がある。

数千の時を生き、森で生れ落ちる傀儡師を見守り続けた母なる大樹。


「特に秀でておる。ふむ」


再び、びょうっと風が吹き、森が鳴く。


「なぁ、もう帰ってくれよ」

「なぜだ」


折れた心は荒み、割れガラスのように鋭くとがる。

荒れた切っ先に触れようとする物があれば。

たとえそれが、的外れだとしても。


「なぜ帰らねばならぬ」

そして来訪者はひるまない。

背に背負う王の証がただ翻るだけ。


「鬱陶しいんだよ…」

「ほう」


ついにオレンドは激しく怒鳴った。

「…鬱陶しいんだよ!俺にかまうんじゃねぇ!!」

「ふむ。わからんな。そなたはここで傀儡師が全て死ぬのを、ただ待っておるのだろう?暇な男が何を鬱陶しがる」


しかし

怒気にあてられるほどこの来訪者は甘くない。

魔王は如何なる強風にも折れることはない。


「てめぇ…元はといえばてめぇが…!!」

「ほう。続けよ」


一理ある。


「わかってたんだろーがよ!こうなることが!あの時、俺が戦争の離脱を言った時、わかってたんだろーがよ!」

「当然だ」


ギリギリ!!!

森中に響くほどの歯ぎしりの音。もし男が人ならば、口から血が垂れてくるほどの強さで、悔しさをかみしめる。


「お前は焚き付けた!俺が、傀儡師が大した力もねーくせに、デケェ口叩いたから!」

「ほう」


そう見えるか、とヴォルカスの眼はオレンドに語り掛ける。

深い紅の瞳。


「うざってーから、魔物同士で殺し合うこともわかって!」


そして口を開く。本人が認めない一つの事実を伝えるために。

無力に嘆き荒んだ心ですら海に放り捨て、風に流した男に再び。


「では、聞くが。なぜ、逃げておらぬ。なぜ、一人でも多くの傀儡師を救おうと戦っていないのだ。」

「うるせえうるせえうるせえ!!」


ふむ。


「大体…よ…お前が…お前が…魔王なんだろ…」

「そうだ」

憎しみともとれる言葉を、魔王は肯定した。


こいつが!オレンドは懐から数本の刃物を取り出し、

眼前にいる王にその牙を投げつける。

「くそ、くそ、くそ!!!とめろよおお!じゃあ!!!」


でたらめだった。

それでも止まらない。この心はどこに置けばいい。

術に操られた刃もまた空を切る。


「魔物の王なんだろおおおお!!!」

イト。


「ほう。私に力を振るうか」

ベットラ。


「くそ、くそ、当たれよおお!!」

ジュゼット。


仲間の、悲しみの風が吹く。オレンドはそれを感じていたのか。

叩きつけた。

でたらめでもいい。

自分のありったけを。


「術は達者だが、怒りに任せた投擲では当たらん」

ありったけが躱され。

目前に余裕の表情があった。


いつ、と思う間もない。

距離はあった。


「ほれ、身を守るのだ」

憎らしい余裕の顔が揺れると同時に、風が後ろからやってきた。

酸い液体が喉を逆流する。

肺へ空気が行きわたらない。

腹部に痛みが遅れてくる。

膝をつき、そこまできて、ようやく腹を殴られたのだと自覚できた。


「くそ、くそ、くそおおおお!!!」

オレンドは嘆く想いをナイフに託してぶつける。


「なぜ、長が放り出した族を私が守らねばならんのだ」

含まれた思いは一つも届かない。


またも眼前。


「足が空いておるぞ!」

払われた足がもつれて、勢いのまま倒れ伏す。


「ぎゃああ!」


足も腹も痛かったが、

それよりも。なによりも。仲間の痛みの方がもっと強かったはずだ。

それを諦めた自分にも、助けなかったこの男にも。そしてこの戦いも、すべて、憎い。


立ち上がるより早く。

「受け身も取れんのか。起きるのだ」


蹴とばされた。

術によって浮いたナイフが力を失い地に落ちる。

気を失うこと数瞬。体は宙に浮いていた。


そうか、顎を蹴られたのか。

気づくか、否か。正面から声がする。


「反撃もできぬか。ふむ。」


視界が白で埋め尽くされた。

相手が何をしたのかもわからない。魔王が空を小突いた。ただそれだけだった。


次の瞬間には再び肺がつぶれた。

頭を打った。背中も打った。


霞む視界の遠く、魔王の姿が見える。


「では、そなたの親と共に葬ってやろう。腑抜けはいらんのでな」

魔王の声が聞こえる。

そうだ…到底かないっこねえ。

俺があがいたところで、どうせ勝ち目なんかねえんだ…。

傀儡師も、魔王軍にはもういらねえ。

力のない、俺たちなんか誰の役にも立たねえ。


刃の切っ先すら届かない力を前に心はいとも簡単に壊れそうになる。


嘆きの風が漂ったか。

しかし、魔王はそれすら許さない。立ち向かえ、と。


「ふむ。今、また傀儡師が死んだぞ」


限界だった。手も足も、腹も背中も、心も頭も。すべて。

好きで長になったわけじゃない。それでも、仲間がコケにされるのを許したくなかった。


いや、それなのに…何もしないで…俺は…。


何よりも、自分が許せなかった。

しかし、もうどうしたらいいかわからない。八つ当たりだ。それでもいい。

「…お前が…お前が…戦争なんかおっぱじめなければあああ!!ぶっ殺してやる!!うあああああ!!」


勝てなくたっていい。

ただ仲間が、傀儡師がいたことをこの男に刻むことだけでも…


しかし

遠い


「ほれ、怒りに飲まれるでない」

「ぐっふぅ…げほげほ!」

再び腹。


酸い液体が喉を逆流する。これも何度目か。

それでも、どんなに痛くても、あいつらの痛みに比べたら。


伝わってくる。

海の底で命が消える瞬間が。

命が潰えるまで続く絶望の痛みが。


「…助けろよ…助けてくれよ…くそ…くそ!!…くそがああああああああ!」


立ち上がる。満身創痍に至るまで。

この身体が動かなくなるまで。


「ふむ。まだかかってくるか」


対する男は涼しげだ。

王の証の裾、巨大なマントに少しばかり泥が着いたか。


「許さねえええ!お前が魔王なんだろおおおおお!!!許さねえええええええ!!!」


オレンドは吠えた。


「ふむ。好きにするが良い。そなたが飽きるまで付き合ってやろう」



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ただ君だけを、守りたいと願う さぶろう&水稀乙十葉 @saburo_voice

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