4章 穏やかな朝

祭りの夜を明かした街の朝は朝霧が淡く立ち込めていた。

昨日の夜見せていた喧騒けんそうはなりをひそめ、静寂が隣に並んで。

朝日はまだ光を落としていない刻。


クリシュオラは旅立った。


「いつか、家族と合流出来たら、お二人のことを家族にも話します。こんな優しい人族ひとぞくがいたと」


感謝と敬意の念を置いて。

きっと家族に良き知らせを届けるだろう。

見送ったのはエリスとヴェル。

イーラは一人夢の中。


「では、ありがとうございました。あまり話していると見つかってしまうので、失礼します。お世話になりました!」




イーラが夢の世界から戻ってきたのは朝日が小鳥の声を届けに来た頃。

コーヒーの残り香が穏やかに立ち昇るダイニングで。

まだ重みの残っているまぶたをこすりながら、くつろいでいるエリスに挨拶をする。


「ばあば、おはよー…」


あれ?


「ねえ、ヴェルと魔族のおじさんは?」


見かけなくなった二人をキョロキョロと探して彷徨さまよう視線。

奥にあるのはもぬけの殻の客室。

魔法陣のシーツも片づけられた後だった。


「おはよう、イーラや。魔族の方は朝早くに帰りましたよ」

「そっか。お話聞いてみたかったな」


残念そうに客室のドアを閉める。


「うふふ、また今度遊びに来てくれますよ」


エリスの言葉に引っかかるイーラ。


魔族の方「は」帰られた。

あと一人、いた客人。


「じゃあ、ヴェルは?」

「市場に買い物をしに行きましたよ。コーヒーのお返しなのだとか」


ということは。


「帰ってくる?」


きらり。

イーラの瞳が輝く。


「ええ、そのうち。そうしたら、ご飯にしましょうか」


よかった!

先ほどの眠気はどこへやら。

両手を合わせてパチンと音を放ち、イーラは極上の笑みを浮かべる。

それを見たエリスも、くすっと笑う。


「色々お話は聞けましたか?」


あ。

バレちゃってた。


「うん…」


ばつが悪そうに頷き


「寝ちゃったけど」


と、はにかむ。


「あら、ずいぶんと安心できたみたいね」


ばあばは昔から私のことは何でもお見通し。

ちょっと悔しいけれど、イーラにとって嬉しいこと。


「何だかヴェルは不思議。どこか寂しそうなんだけど、すごく強くて優しくて。うーん、でも私は好きでー…」


この気持ちも、ばあばはわかってくれる。

エリスは、イーラの気持ちをゆっくりと頷いて理解を示す。

だから何でも話せる、ばあばになら。


「私ね、ヴェルのこと好き」


自分でも納得。

イーラはヴェルのことが好きなんだと自然と受け入れることができる。


「そう。それはよかったですね。さ、あなたは朝の水浴びでもしてきたらいかがですか?」

「えー、水冷たいー」


何でも話せるばあばは、こういうときは折れない。

勝負など、とうについている。


風呂場へと追いやられるイーラ。


「ほらほら、目を覚ましてきなさい。ここ閉めますよ」

「うー」


低く唸ったところで、敵わない。

イーラは諦めたように、とぼとぼとお風呂へと入っていった。


ぱたん。


エリスは戸を優しく閉じ、孫娘を見送る。


朝食は何にしようかしら。


キッチンへと向かう足がはたと止まる。

入り口のドアが開き、敷居しきいをくぐるようにして戻ってきたものがあったからだ。


「今戻った」

「あら、ご苦労様でした。ありがとうございます」


手にした袋をエリスへと手渡しながらヴェルは今までこの場をにぎわせていたものを感じる。


「この程度のこと。イーラは起きたのだな」

「今水浴びをしております。ヴェル様はそちらにかけてくつろいでください。今ご飯の支度をしますので」


風呂場の方から、水音が聞こえてくる。

一緒に、つめた!とか声が耳に届く。

水浴びでも賑やかにしているのだろう。


「ふむ」


エリスの言葉に従わず、きびすを返す。

今しがた入ってきた戸をくぐろうとするヴェル。


「あら、どうされましたか」

「私は少し外の掃除をしてこよう」


慌てて止めようとするエリスを差し止め、ヴェルは外に出て行ってしまった。


「気にするな、昨日規律違反だとイーラに言われたのでな」


と残して。


まあ、イーラったら。


エリスはため息一つ。

同時に。


ばーーーーん。


もうおわかりであろうか。

お察しの通りである。


そこには、元気に…とはいかない、寒さに身を震わせているイーラがいた。


「うーー、寒い寒いー!」

「あら」


慣れた様子でエリスはイーラを見やる。

日常の光景。


「あれ?ばあば、ヴェルは?今いなかった?」


日常にはなかった者を探し求めるイーラ。


「掃除をしに、今外へ出られましたよ」

「そっか」

「それよりイーラや」


再び戻る日常。


「お風呂場で服を着なさいと、いつも言っているでしょう」

「あ」


自分の姿を確認してイーラは舌をちらりと出してみせる。

今日も何もまとっていない、この姿。

寒いわけである。




朝日が今日も良き日であることを示すように紛れ込んでくる食卓。


「ごちそうさまー!」


本日の朝食、パンと目玉焼きと果実のジュースを

見事平らげてイーラは満足げ。


「はい、お粗末様でした」


今日も孫娘は元気だ。

エリスはそれが嬉しかった。

食卓を共に囲っていたヴェルもイーラへと優しい眼差しを向けていた。


「エリスは料理も達者なのだな、馳走ちそうになった」

「そんなことはありませんよ。お粗末様です」


味わった温かな朝食。

ヴェルにとってはどれくらいぶりであろうか。


こともなげに言い放つエリスの料理は、素朴で優しい味わい。

食材も、調理されて本望であったろう。

当のエリスは、片づけにと、キッチンへ姿をくらませていた。


「ねえねえ、ヴェル!今日もお話して。魔族のお話!ヴェルの知ってること!」


ヴェルの隣に椅子をずるずると引っ張ってきて、

ちょこんと座ってイーラはヴェルを見上げる。


「ふむ。では今度はヴォルカスの従者達の話をしよう」


昨日もヴォルカスのことは語られなかった。

イーラの知りたい、魔王ヴォルカス。


「えー、またヴォルカスのお話じゃないの?」


まさか、知ってるなんて嘘じゃないよね?

視線に疑いを混ぜてイーラはヴェルを不服そうに見つめる。

ほんの少し、ヴェルは目を泳がせる。


「その者のことも知っておるが、なんとなく気恥ずかしいのだ」

「むー」


うなってみたものの、ヴェルは折れる様子がない。

これだから大人は。


カチャカチャとキッチンから食器の音がどれくらい届いてきたか。


「じゃあ、いつかはお話してくれる?」

「約束しよう」


いつか。

叶うかわからない約束だが、イーラのご機嫌は立ち直る。

いつか、きっとヴェルとまたお話しできる、これはイーラにとって嬉しいことだった。


「にへへー。じゃあ、ヴォルカスのお友達の話でいいよ」


お友達。

従者のことをイーラはこう呼んだ。

それがたまらなくヴェルには不思議に聞こえた。


「お友達か。変わった表現をする」

「そうかな?仲がいい人はみんな友達だよ?」


なんでもないかのようにイーラはヴェルの不思議を一蹴し、小首をひょこと傾げる。

懐かしい、この感じ。

ヴェルは自分の不思議を手折たおった少女を見返して、一つ頷く。


「ふむ。わかった。今度から友人と、そう呼ぶこととしよう」

「わかればよろしい。ヴェルはいい子ね!」


なでなで。

椅子から立ち上がり、ヴェルの頭をよしよしと撫でるイーラ。

なかなかに滑稽な図である。

これにはヴェルも「ふむ」と一言返すしかなかった。


再び椅子に座り直して、イーラはせがむ。


「聞かせて、ヴォルカスのお友達の話」

「少々過激になるかもしれぬが、よいか」

「また戦争のお話?」


昨夜と同じく。

イーラは不満顔。


「思い返せば、いつの時代にも戦しかしておらぬものでな」


肩をすくめてヴェルは昔を見つめる。

戦いの記憶。


「へぇー、そうなの?うん、いいよ!」


垣間かいま見たい過去を、イーラは感じながらヴェルの話を促した。


「わかった。…魔王ヴォルカスには二人の友人がおった」


昔を辿るヴェルの瞳。

イーラのキラキラとした瞳とは対照的な。



海を臨む陸には、風がごうと吹いて寄せている。

そこで起きていた、過去の映像。

今では変えられない、過ぎ去りし日。


そこにはあったのだ。


魔王と共に戦場へ出向く弟のような存在。

そして城のことを取り仕切る姉のような存在。


弟のような、何にでも化ける傀儡師かいらいしオレンド。

姉のような、死人兵を作れる呪術師じゅじゅつしサラ。


この二人の友の物語。

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