CONGENI!!(コンジェニ)

 二ノ前 宏

第1話 ファーストカンファレンス:アンダーザチェリーブロッサム

 辞令:関西小児医療センター 小児心臓血管外科 医員 を命ず


 突然の出来事に目を白黒させたのは僕だけではない。ちらちらと僕の方、正しくは僕の持っていた封筒の中身を盗み見していた医局の連中も一様に驚きの声を上げた。   特に隣に座っていた小児科の山根女史の反応が著しかった。

「関西医療センターって、関西から優秀な人材を集めて最高の医療を提供しますって大々的に宣伝して今年の4月から開院したあの病院?」

 形良く整えた眉を上げて、声を張り上げた女史の周りに暇な連中が集まってくる。

「いつ選抜テスト受けたんだよ」

 学年が1個上の森が右手で自分の左上腕をさすりながら、口を尖らせて割り込んできた。森の専門は整形外科。まだまだ下っ端の僕たちの世代は手術の術者などは程遠く、森も手術時に患者の手や脚を支える役が多いらしく、いつも筋肉痛の腕をさすっている。

「――この間東京で学会に行った時さ」

 しぶしぶ答えたが、実際関西医療センターの就職テストを受けるなんてことは誰にも話してなかった。受かるとも思っていなかったし、抜け駆けみたいでなんとなく嫌な気がしたからだ。しかし現実には受かってしまった。しかも僕が憧れていた小児心臓血管外科、コンジェニ――。

「水くせえよなあ」

 同じ外科の同期の近藤が頭の後ろに手を組んで突っ立っていた。出身大学が違うものの、初めての外科で同じ頃にこの病院に来て、同じ頃にラパ胆(腹腔鏡下の胆嚢摘出のことだが)を習い、2人して(我々の手技が拙すぎて)苦しくて涙を流す患者さんにあやまりながら胃カメラ検査をさせてもらった、いわゆる良きライバルである。少し寂しそうな口調なのは、僕の意識過剰のせいか。

「一言ぐらい言ってくれよ。お前がこの病院を飛び出したいと考えているのはなんとなく分かっていたけどな」

 山根女史もかすかにうなずいた。


 恵まれた環境に別に何が不満な訳でもなかった。強いて言えばそれが不満であったのかもしれないが――。医学部を卒業して2年間大学で研修して、3年目からレジデントとして外科希望でこの病院に来た。卒後3年目のこの年代は(たぶん)我々に限らず研修医上がりということで無論即戦力としては期待されてはいない。学ぶことは日々たくさんあったが、基本チョンボをしても怒られながら、どうにか上の先生がカバーしてくれる。真剣な医療の現場では僅かなミスが患者の不利益となるため必然的に僕たちの出番は限られてしまい、カルテへの検査データ写しとか検査室へ患者さんを車椅子で連れて行くとか、そんなことが主な仕事となった。今や何でもこなす上の先生たちも皆が通り抜けてきた道であろうが、果たしてこんなことで医師になれるのかと自問自答する毎日であった。これではただの下働きではないか。どの世界にも縁の下をささえる人がいるのは事実であり、実際僕らの仕事が全く役にたっていないわけでもない。しかし考え様によってはこういった仕事は医師でなくてもできる。僕のオーベン(指導医)である岡田先生が言っていたが、アメリカでは外科チームは文字通り色んな専門職を持った人の集まりであり、術者が各個人を雇っているらしい――。

 例えばこの病院で胃の手術をするとしよう。僕らが患者を病室から手術室へ連れて行く、麻酔の先生が麻酔を導入し、無影灯の位置や患者の体位を僕が固定する。イソジンで腹部を消毒し離被架(リヒカ)を立てる。これらも全て僕の仕事だ。岡田先生の話では、アメリカではこの細々した役割が1つずつ専門の人に割り当てられており、皆それが個人個人唯一の仕事であるのでソツなく準備ができるそうだ。反対に少しでも雇い主(ここではsurgeon(外科医)か)が気に入らないとすぐにクビになるため、気は抜けず、完璧にこなすそうだ。もちろん患者を運んだり、手術台を整備したりという仕事は、必ずしも医療行為そのものではないから、ゆえに医師である必要もないため、(岡田先生の言葉を借りると)『そこらへんのオッサン』が消毒のプロであったり体位固定のプロであったりするわけで、人件費も大いに節約できるそうである。別にお金の心配をしているわけではないが、コストパフォーマンス的に僕の立場はどうであろうか。時間を掛けて術者になるのが徒弟制度を踏む外科の世界の規定路線であるが、悠長に『そこらへんのオッサン』ができる仕事を高額?で雇われながら続けているのも虚しい。せめて下請け的な仕事でも、もっと専門的な、医師しかできない役割が待っている世界があるのではないだろうか。

 同期の近藤と共に、小さな手術や手技から習い、最近少しずつ自分のできることが増えてきたのも事実である。しかし今振り返ってみると、その間若手ナースと連日飲みに行って夜更かししたり、バブル直後の余韻から業者の接待をふぐ鍋からピンクバーにいたるまでチヤホヤされて受けているうちに大きな勘違いをしてきた気がする。そろそろここを出るときだと考えたのも僕がストイックだからというわけではなく、熟れ過ぎた元禄文化の残照のようにいずれは腐っていく自分に気づいて怖くなったからかもしれない。楽しく過ごしていつのまにか術者もできる外科医になって、という人生も勿論ありだが。。。


「まあ、とにかくおめでとう。ハタナカクンって、前から子供の心臓に興味あるって言ってたモンね」

 山根女史がクールな目つきで僕を値踏みしていた。

「…ちょっとカッコいいかも、ね」

 ――白状しよう。僕は山根女史に3回振られているが、今回はいけるかも、なんてこの時思ったんだ。タイトなミニスカート(といってもしっかり膝小僧まで半分隠れているくらいの長さだけど)から出たすらりとした脚をクロスさせているスタイルはやっぱり最高だ。よし、今日こそ…。

「で、いつから行くんだ」

 森が僕の妄想を破る。

「しょうがないから送別会やってやるよ」

 お前が飲みたいだけだろ、という言葉を飲み込んで僕は頷いた。


                     *


 ――2025年、国家医師選定委員会National Doctor Select Association(NDSA)が設立され、医師過剰に歯止めが掛けられることになった。すなわち今日まで医師会が牛耳っていた閉鎖的な医師社会に国がメスを入れることになったのである。1990年代後半より医局制度崩壊と言われて久しいが、地方においては大学教授を頂点とする医局制度は依然として勢力を持っていた。高度経済成長期に『一つの都道府県に一つの医科大学を』をスローガンに国が国公立大学病院を設立し、その関連病院がサテライトとなって地方を覆い尽くし一定のレベルの医療を万遍無く供給するシステムは、日本の歴史上戦国時代として位置付けている、群雄割拠時代の武将勢力図に類似している。地方の医療レベルはその都道府県の医学部・医科大学の実力に依存するのは当然であり、医療を供給する側もされる側も高度なものを要求するため自然と人材は都会へ集まる羽目となった。まさしく各国の大名は中央を目指す、という範図である。

 ここで再度問題となりクローズアップされたのが、地域医療の崩壊である。質の良い治療が中央集権化すると、地方はどう躍起になっても人材が集まらない。かつてあの手この手で研修医を集めようと試みた地方大学もあったが、すべて一時的な効果に終わり、現在に至っている。マッチングシステムなどは形骸化しており、嫌々ながら希望から外れた研修を地方で終えた医者の卵たちは、すぐに都会のネオン(いや現代ではLEDか)に群がる蛾のごとく、研修システムの確立した中央の大病院に飛んでくるわけだ。これでは地方の医療レベルが向上するはずもなく、国としても常に頭を痛め続ける問題であった。


 では地域医療の普及には何が必要か。郷土を愛する心? 出身大学での規定期間の勤務義務化? 様々な識者がこの状況を打破すべく政治家と共に政策を練ったわけだが、一方では国が豊かになるにつれ私立大学系の病院も乱立し、地方医療はサービス過剰の時代となった。医師確保にも多額のお金が動くこととなり、病院ならぬ医者の誘致合戦がここかしこで始まった。そうなると少しは地方にも、中堅どころの医師が散在することになった訳であるが、肝心な働き手である若手医師はやはり少なく、結局疲弊した地方の中堅医師たちも都会に戻る…といった図式が永久機関のごとく続く羽目になっていた。そして――。


 ――長々と、かつ混沌とした顛末は後に語るときがくるかもしれないが、最終的に社会に確立した医療制度が、各専門分野のセンター集約化と政府による個人医統括システムであった。つまり、大学入試におけるセンター試験のごとく医師全体が試験を受けて、適正を量られ各人の所属を決定されるのである。国に対する勤務医師という地位なので、その身分保障は今までの制度よりも安定している。しかし個人の希望は二の次であり、例えば子供を診たいと小児科志望だった女医が整形外科へ配属されたり、地域医療を志していた村の希望の神童が否応なしに都会のチーム医療に組み込まれたり・・・と、列挙すればきりがないが就職先は国家のみぞ知る、といったまるで社会主義のような閉鎖された世界になってしまった。実力社会といえばそれまでだが、子弟を我が医院の跡継ぎに、と考えていた一般開業医の猛烈な抗議にさらされたのは言うまでもない。これもまたの機会に触れるとして、とにかくそういう制度のなかで僕が密かに希望していた小児心臓外科行きの切符を手にしたことはまさに神の悪戯であった。自分でもそう思っているし、また周りの仲間たちも同様の気持ちであろう。

                   *


「でも、一念巌も通す、っていうけど、本当にこういうこともあるんだな」

 僕のつぶやきに山根女史が少し上目遣いで僕を見やった。

「ハタナカクンのおかげでみんなやる気になったわよ」

「ああ、お前ができるんなら、俺たちも・・・ってな」

 近藤が続ける。

「なんにしろ、小児心臓外科、コンジェニだろ。半端じゃできないぜ」

 近藤の平手が僕の肩を叩いた。

「がんばれよ。まあ、俺はお前が居なくなった分、俺に症例が多く回ってくるから助かるけどな」

 とは言うものの、少し寂しさが声に混じっていたのは気のせいか。

 森が僕の頭を小突く。

「いつまでも仲間だからな。忘れんなよ」

 忘れたくたって無理だろ、この青春の2年間は。

「がんばってね」

 山根女史が微笑んだ。

 窓の外には満開の桜。さわやかな風が木々を揺らし、花びらが舞い上がった。

 森と近藤が、今夜の店をどこにしようか話しているのを遠くに聞きながら、僕は窓の外に目を向けた。

 春の嵐――。一陣の風と共に僕の運命も動き出した。


 今日は飲もう。さらば青い時代――。

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