深海散歩

加茂

平成五年

十二月九日 くめじま進水

 「これから大きな海に出ていく君に、一つだけ覚えておいて欲しいことがある。僕は、いつも君を想っているよ」

そう言うとその人は俺の肩を叩いた。叩かれた瞬間、あやふやだった世界がはっきりと輪郭を持ち、薄暗い屋根の下から明るい海へと艇体せんたいが滑り出ていった。大きな音を立て艇体が水に浮くとちょっと低めの歓声が聞こえた。声のする方を見れば同じような顔が四つ。自分とそっくりだと、なんとなくそう思った。

「おめでとう、【くめじま】。今日が君の始まりの日だ」


青い海と空の間にぽっかり浮かんだ未完成の灰色の艇がとても眩しく感じられた、寒い冬の日。二十四年三ヶ月と十八日の生涯の始まりの日。

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