第4話 町で
次の週の金曜日、講堂で午前の講義を終えた相川は僕を合コンに誘ってきた。
相川は「違う違う、テニスサークルの飲み会にお呼ばれしただけなんだって、合コンじゃないぜ、合コンのような飲み会だ」とか言っている。
「テニスのルールもあんまり知らないやつが行ったら迷惑だろ、やめとくよ」
そう丁重に断った。
「あいつらもルールなんて適当にしか知らない奴らばっかだし、心配すんなよ」
それはそれでいいのだろうか。という疑問は置いておいて。
「そんな場所に行って僕だけ浮いてしまうのは嫌だよ」
「大学生活なんて目立ってなんぼだろ」
「目立つのが嫌な大学生もいるよ」
「確かにそうかもしれん」
いつもの相川ならここで「うーん、じゃ、まぁいいか、また今度誘うわ」と引くのだが、今日は違っていた。
「でもよコータロー、彼女もいないで、合コンにもいかないで、そんなんで大学生活終わっちまっていいのかよ。今のうちに遊んでおかないと、社会人になったら後悔するんじゃないか?」
「いいじゃないか、人それぞれだよ。それにスバルの脚本の締め切りがそろそろ迫ってきてるんだ」
話を終わらせようとした僕の両肩を掴んで真面目な顔で相川は続ける。
「変化を恐れてちゃだめだコータロー。成長するってことはな、変化していくってことなの。いろんな経験があった方が、人ってのは成長するもんなんだよ。だからほら、新しい経験の中で脚本のアイデアもポーンって浮かぶかもよ」
ここまで真剣な相川もめずらしい。
「それで、本音は?」
「よく知らないテニサーの合コンに一人で行くのが怖い。ついてきてくれ」
「素直だな!」
本音を隠す気が微塵もない様子に僕は呆れた。でも相川のこういう厚かましさというか、無計画で無鉄砲な行動力のおかげでスバルにいる今の自分がいるわけで。
「な、な、頼むよ。コータローぐらいしか頼めないんだって」
「そんなこと言われてもさ。合コンなんか初めてだし、着ていく服だって無いよ」
僕は長年着てヨレヨレになった一張羅のセーターを左右にひっぱってみせた。
「いい機会だし買ったらいいじゃん。どうせ遊びに金なんか使ってないんだろ?」
確かにその通りなので僕は何も言い返せなかった。
「わかったよ。でも僕はこんなんだし、盛り上げ役とかはできないから、それは勘弁してほしい」
「じゃあ参加ってことで連絡しておくな! そうと決まったら服買いにいこうぜ」
「え、今から?」
「ったりめーよ、今晩が決戦なんだぞ?」
本当に、この行動力だけはすごいと思う。
背中を押されるようにして僕は午後の講義をさぼり、バスと電車を乗り継いでここらで一番近い街に繰り出した。
そしてそのまま相川の勧めるままに服屋に連れて行ってもらった。
少し狭い路地を入ったところにあるその店は落ち着いた雰囲気で、少し大人な雰囲気がする服が揃っていた。
しばらく店の中を探索していると、黒いスーツを着た若い女性の店員さんが「何かお探しですか?」と尋ねてきた。
僕より少し低い身長で赤い眼鏡をかけた柔らかな雰囲気の店員さんだったけど、店で声を掛けられていることに慣れていない僕は、情けないことに何て答えたらいいのか分からずに固まってしまった。
「あ、えっと……」
店員さんは僕の言葉を笑顔で待っている。
すぐさま相川がやってきて「今夜の飲み会に来ていく服です、こいつ毎日同じ格好しかしてないから、な? とりあえず店ん中一通り見てるんだよな」と冗談を言いながら助け船を出してくれた。
「あらそうなんですね、試着もできますので、いつでもお声かけくださいね」
そう言って店員さんはレジの方に戻っていった。
僕がほっとして相川の方を見ると、にやりと笑い返された。どういう意味だ。
それから相川は僕が持っている服を見て「んーそれはコータローには似合わねぇべ、ほらこれ着てみんさい、ほら、これと、これも」とよく分からん言い回しで僕に次々と服を持ってくる。
「もうちょっとゆっくり見せてくれよ」
そう訴えたけど、相川は「やっぱコータローはこう落ち着いた感じのがいいよな。でも黒はだめだべ、似合わんもん。こっちの淡い感じのやつがいいぜ」と僕の意見を聞かずに勝手に決めてしまっていた。
一見乱暴にみえるけど、相川の行動は僕が優柔不断で服装には頓着がないことを知っているからこそであって。いろいろ勧めてくるけれど最後は選択肢を絞ってくれる。本音を言えば、嬉しかった。
服を揃えた僕たちは今夜の作戦会議と題する名目で適当にチェーンのカフェに入った。
席がいっぱいだったので僕たちは仕方なく窓際の喫煙席に座った。
相川の薄っぺらい経験則による合コン盛り上げ術に適当に相槌を打ちながら窓の外を見ると、平日の昼間だというのに人がたくさんいた。
ベビーカーを押す女性、平日が休みだと思われる大人、僕らみたいに講義さぼってきているような大学生、定年後の貴重な暇な時間をパチンコで消費しようとしている人達も。
意外なことにスーツを着て営業に出ているサラリーマン風の人たちもけっこういた。
そんな人たちを眺める中で、近い未来、僕もあの人たちのように働くのだろうかと、漠然と考えてしまう。
就職活動を始めたとはいえ、今の僕には全くもって自分の働いている姿というものが想像できなかった。なんだか遠い未来のことのように思えてしまう。
そういえば、先輩はどうだろう。この中のどこかにいてもおかしくないんだろうな。
「コータローさ、最近、何かあったのか?」
相川は唐突にそう尋ねてきた。ふと僕の頭には先輩の顔が思い浮かぶ。
「何かって何だよ、何もないよ。あるといえば学校の講義があって、レポートがあって、スバルの脚本の締め切りがある」
「そうか。いや、何かあったら言ってくれよな」
「大丈夫大丈夫、心配しすぎだって」
どうして相川はそんなことを訊いてくるのだろう。
そんなことを思っていると、ちょうど先輩ぐらいの背丈でスーツを着た人が目の前の歩道を横切った。
その人の前には少し背の高いスーツ姿の女性が歩いていた。そっちの人は肩ぐらいまで伸ばした髪をくくっていて、歩き方がシャキシャキしている。先輩のように見えた人がその後ろをついて歩いている。
その髪型や歩き方があまりにも先輩に似すぎていたため僕はぎょっとしてしまった。
「どうした? 鳩が豆鉄砲食らったような顔してるぜ」
相川は怪訝そうな顔で見てきたけど、うまく反応できなかった。
あれは先輩……いや、どうだろう。スーツを着ていたし、ここから見えるのは殆ど後ろ姿なので分からない。
二人はこちらに気付く様子もなく、僕らのいる店に入ってきた。そしてあろうことか僕らの座席のすぐ後ろの席に座った。
割と静かな店内で彼女たちの会話が耳に入ってくる。
「あんたさ、もっと気をつけないとだめよ」
「すみません。……あの、私なりに気をつけてるつもりなんですけど、気が回らなくて、あの、どこが悪かったでしょうか」
それは先輩の声に本当によく似た声だった。
僕は怖くて後ろを確認することができなかった。カフェオレの入ったコップを持つ自分の手が震えていた。
しばらく沈黙が流れた後、大きなため息とともに煙草のにおいが漂ってきた。
「あのね。学生のときと気の使い方が違うのよ。あなたはもう社会人なの。頑張ってるのは認めるけど、気の使い方のポイントがずれてるの」
「すみません」
「今日課長にも言われてたでしょう? いつまでも学生気分じゃダメだぞって」
その上司はどこが悪かったかは言わなかったが、部下の人はとにかく謝っていた。
「はい、すみません」
「申し訳ありません、よ」
また煙草の煙が流れてくる。
またしばらく沈黙があって、僕は張り詰めた空気と充満する煙草のにおいで少し吐き気がした。
「それで、あんた結婚するんだって?」
「はい」
「別にダメとは言わないけどさ、入社一年目で結婚って」
鼻で笑う声。
「私は結婚してもまだまだしっかり働くつもりです」
「……あのね、そういう意味じゃないの。そういうところが気が使えないって言ってるの。もうちょっと周りのことを考えなさい」
「……はい」
「あんたが初めてよ、入社三年目までに結婚しちゃう人って。これで今年中に子どもなんか作ったら……殺すわよ」
冗談のつもりなのか自嘲するような上司の人の含み笑いにゾッとした。
僕はいよいよ気分が悪くなり、なんだか自分がここにいるのはひどく滑稽で、恥ずかしい存在であるように感じ、自分が無力で世間知らずでどうしようもない愚かな存在のように思えた。
僕が俯いて黙っているのを察してか「さて、そろそろ行きますか」と、相川は何事もなかったように立ち上がった。
僕は頷きもできずに席を立って逃げるように外に出た。
自動ドアをくぐって煙草の煙から逃れるとやっと吐き気が少しましになった。
「よーし、コータロー、まだ時間あるしゲーセンで時間でも潰そうぜ」
「ん、ああ」
立ち去り際、どうしてもあの人が先輩によく似ているだけの別人であって欲しいという願いが僕を引き留めた。
ガラス越しに店の中を振り返る。
見慣れた顔が、そこにあった。
その時、一瞬目が合った気がして、咄嗟に目を背けてしまった。
気のせいかもしれなかったけれど、もう一度店の方を見る勇気はわかなかった。
胸の奥に漬物石でも入ったみたいで、そのまま僕の気持ちは海の底まで沈んでいった。
合コンが終わり、二次会に行く相川たちと別れて僕は一人で下宿に向かった。
下宿への暗い道をとぼとぼ歩く。
しんしんと静かに降る雪が地面に吸い込まれていた。
先輩はあれからどうしただろうか。上司と会社に戻ったのだろうか。戻ってからもまた嫌味を言われているのだろうか。他にもあんな上司がいたり、嫌がらせをする人がいるのだろうか。
……そんな、考えても仕方のない思考が頭の中を延々と巡っては、漬物石を重くさせ、僕はいつまでたっても海の底から浮かび上がれずにいた。
合コンに参加していた女の子の顔や、何を話したかさえ、僕はすでに思い出せないでいた。
いつの間にかいつもの暗い道を抜けて、僕は下宿にたどり着いた。
誰かが僕の部屋のドアの前でしゃがんでいた。
僕に気付くとその人影は右手をひょいと挙げて「よっおかえり」と気さくな笑顔で言った。
先輩だった。
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