ぼっちではありません。宮下くんはソロ充です。

維 黎

第1話

 子供の純粋無垢な残酷さは、時として大人の世界に溢れているそれとは違った異質さで心に刺さることがある。

 正しい善悪などこの世に存在し得ないが、子供の世界では明確に存在することもあるのだ。


 例えば、親が人殺しの子供は悪である。


 少女が転校してきたのは小学四年生の秋。

 当時は知る由もなかったが、三回目の転校だった。

 親の仕事の都合で――というわけではない。

 転校を繰り返しているのは、その少女が受けるいじめに耐え兼ねるからだ。人殺しの子供――と。


 今のご時世、どこでどんな風に情報が洩れて流布されるかわからない。また、うわさ話やちまたの話に妙にはしこい者はいるものだ。

 三度目の転校先でも、どこから出たのかわからないが半月ほどで『人殺しの子供』だと言われるようになった。


「違う! パパは、パパは人殺しじゃないッ! 千佳ちかに言ったもん! 『パパは人を殺してなんかない』って!」

「じゃぁ、おまえのとーちゃんはウソを言ってるんだよ」

「おまえのお父さんはウソつきなんだ! 人殺しのウソつきぃ!」

「違うもんっ! パパはウソつきじゃないよッ! 違うよーッ!」


「「人殺しのウソつき! 人殺しのウソつき!」」


 休み時間に数人の男の子が少女を囲んで騒ぎ立てている。

 周りの生徒はその騒ぎに参加することはなかったが、目に涙を浮かべ唇を嚙んで耐える少女を助けることもなかった。

 同級生がどんな思いでその様子を見ていたのかわからない。

 大人たちは言う。


『いじめがあるのを知っていて見て見ぬふりをするのは、いじめているのと同じだ』


 それは間違っていないだろう。

 しかし、ダメなことを正すという行為はとても勇気のいることだ。子供たちを諭す大人たちでさえ、いやむしろ大人たちの方が難しいと言える。

 時としてそれは、正しいことをダメだという行為になり得るから。

 多数の意見が正しくて、少数の意見が間違っているという理屈が確かにある。子供たちの世界にも。

 

『人殺しの子供』はクラスの子供たちの中で明確な事実となった。

 少女を囲む男の子たちの言葉は


「やめろよッ!!」


 少年はと思った。

 思いの強さの表れか、少年自身もびっくりするくらいの大きな声で叫んでいた。

 男の子たちも他の生徒たちも少年を見る。束の間の静寂。静まり返った教室はある種、異様な雰囲気に包まれた。

 少年は吞まれないように奥歯を噛みしめ両の拳を握る。

 男の子たちの一人が静寂を破った。


「なんだよ、人殺しの味方をするのかよ?」

「――味方とかそんなことじゃないだろ。男が集まって女の子一人を攻撃するなよ」

「なに? もしかしてこいつのこと好きなの?」

「おー、告るのか!? 告白するのか!?」


「「こーくはくッ! こーくはくッ!!」」


「そ、そんなんじゃねーよッ! うるさいッ!」


 少年は怒りからか、恥ずかしさからかわからぬままに頬を染めて、目の前の男の子たちを追い払うような仕草を見せる。

 特に少女に対して好意を感じているということはなかったが、小学四年生ともなれば、男子も女子も異性を意識し始める頃でそういった話題には敏感にもなる。茶化されれば気恥ずかしさに頬が赤くなるのも無理はなく、ともすれば鐘の音チャイムが鳴らなければ殴り掛かっていたかもしれない。

 ともあれ鐘の音チャイムにより教室の雰囲気は普段のそれに戻り、男の子たちも自らの席へと戻っていく。

 ふと少女を見れば少し顔をうつむけたまま着席している。

 泣いているかもしれないと思ったが、少年は近寄って確認することも、『大丈夫?』と声をかけることも出来なかった。



 その日以降、少女が責め立てられるような場面を見ることはなかったが、いじめが無くなったのかどうかはわからない。

 ただ少女はクラスに打ち解けることはなくいつも一人で、誰かと一緒にいるところを見たことがなかった。

 そして少年もまた一人でいる時間が多くなった。

 目に見えて何かがあったわけではない。

 暴力を振るわれたり、物が無くなったりといったことはなかったが、なんとなく避けられている。

 多数の意見を否定し反対すること――。迎合、同調しなければ孤立を作ることは多い。


 翌年、五年生に進級するとクラスが違ってしまったので、少女と同級生クラスメイトとの様子を詳しく知ることはなかったが、五年生の夏休みを前に少女は転校していった。

 そのことから察するに、結局少女の取り巻く環境は変わらなかったのかもしれない。

 そして少年もまた。

 クラス替えとはいっても、総ひっかえになるわけではない。四年生の時の同級生とまた同じクラスになることもある。

 それだけが原因ではないが、少年はいつの頃からか無自覚に心の壁を作っていたのだろう。

 

 意識的に人を避けていたわけではない。ただ積極的に関わろうとしなくなったのは確かだ。

 中学、高校、大学と進学した後も変わらない。

 不登校になることもなく、学校行事にも参加した。今のバイト先の忘年会にも一度だけではあるが参加した。

 ひとりになりたいわけではないがひとりでも構わない。ひとりの方が楽と思うことが普通になった。

 小学校低学年くらいの頃は積極的に友達と率先して遊ぶ子供だったが、今では日常的にひとりが多い。

 二十歳をいくつか過ぎた程度で人生を振り返るのは早いが、人生はともかく今の状況に不満はない。


 仕事の手を止めてテレビに魅入る青年は束の間、少年時代の頃を思い出していた。

 テレビのスピーカーからニュースキャスターの原稿を読む声が聞こえてくる。


《本日18:30から冤罪により11年間もの長きに渡り服役していた山原さんの無罪判決確定を受け、本人同席による記者会見が行われる予定です。尚、この後17:15分から特別番組『なぜ冤罪は起こるのか』をお送りいたします》


 ふとあの時の少女の言葉が鮮明に思い浮かぶ。


『違う! パパは、パパは人殺しじゃないッ! 千佳ちかに言ったもん! 『パパは人を殺してなんかない』って!』


 テレビからはトピックニュースとして、春本番の花見シーズンを迎えて賑やかさを増す桜並木などで宴会を楽しむ人たちが映し出される。

 青年はひとりで行くことはあっても、誰かと花見やバーベキューに行くことはほとんどなくなった。もしあの時、男の子たちに声を上げなければ、他の生徒と同じように沈黙していれば状況は違っていたのだろうか――と、一瞬頭をよぎる。

 今のひとりでいる状況に不満はないが、大勢で賑わうことも、もちろん嫌いではない。


 青年は軽く頭を振るとほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべる。

 あの時、と感じて衝動的に叫んだことに後悔などしていない。言わなければよかったなどと、一度も思ったことはない。


 青年はひとりぼっちではない。

 見栄や強がりではなく、今の状況に満足している。

 先ほどよりも笑みを強め、青年は呟く。


「――良かったね。千佳ちゃん」


 テレビを見つめる視線の遥か過去むこうに、一度も見ることはなかった少女の笑顔を見たような気がした。


「お~い、宮下く~ん! 手が止まってるよ~。テレビなんて見てないで仕事してね~」

「あ、はーい! すんません、店長ッ!!」



                    ――了――

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