第三話 獲物の反撃

 男の姿が見えなくなってからも、クリスはしばらく動けずにいた。状況は悪い。ここまで歩いた限り、島はさほど広くないし人もいないようだ。つまり狭い島の中で、自分を狙う男と一緒に閉じ込められているのだ。あの機長—ノアが生きているということは、副操縦士の方も生きて島に流れ着いているかもしれない。

 もしかすると、秀英も無事でいるかも知れない。だが自分も秀英も見つかって殺されるのは時間の問題だ。彼らに見つかる前に秀英を探さなくては。


 完全にノアの姿が消えてから数分経ったあと、クリスは意を決して小屋へ近付いてみた。薄い板を組み合わせただけのような壁は色あせて、今にも剥がれ落ちそうだ。薄い木の扉は開け放たれ、鍵は付いていない。ノアは収穫なしと判断したようだが、救助を呼ぶ手がかりがあるかも知れない。中を覗いてみた。

 中は五人程度ならストレスなく寛げそうな広さだ。古いホウキとバケツが置いてあり、隅にはボロボロの漁網が無造作に置かれている。どうやら漁師が休憩に使う小屋のようだ。部屋の奥は床が高くなっていて、数人が休憩や仮眠ができるようになっている。

 ここがまだ現役なのかは分からない。放置されているようにも見える。仮にそうでなくても、漁の間しか使用しないのなら次にいつ来るか分からない。漁師に助けを求めることは期待できない。

 何かに使えるかも知れないと考え、クリスはバケツと古い網を持って小屋を出た。

 ノアは島の内側へ向かって行ったから、海岸線沿いに移動すれば鉢合わせないはずだ。クリスは海岸を右手に見ながら岩礁を歩いた。波の音が気配を打ち消してくれる。


 歩きながら考える。—どうやって奴らから生き延びよう。

 ここに不時着したのは、彼らにとって想定の範囲だったのだろうか。だとすれば、クリス達を始末して悠々と迎えが来るのを待つ気だろう。話し合いで解決できれば良いのだが、きっと無理だ。


 一時間ほど歩くと、最初に流れ着いた砂浜が見えた。この時、日はすでに西へ傾いていた。この砂浜は島の南側で、漁師小屋があった場所は西寄りの北側。クリスは今のところ、島の南西半分を半周したことになる。

 岩陰から顔を覗かせ、誰もいないことを確認する。


 丸腰では対抗できない。奴らはプロ。手段が必要だ。クリスはおもむろにシャツとズボンを脱ぎ、海へ入った。

 記憶を頼りに、自分がヘリから落ちた辺りへ泳ぐ。使えるものが落ちているはずだ。

 水深は浅く、透明な海の底がはっきりと見える。しばらく周囲を泳ぎ回って、場違いに目立つ小さな黒い物体を見つけた。—拳銃だ。潜って拾い上げる。カルロスが落としたものに間違いないだろう。

 あのヘリの中でクリスは、カルロスの手から落ちた拳銃を拾おうとした。しかし揺れで結局掴むことができなかった。だが、クリスが落ちた時にその拳銃も一緒に振り落とされたような気がしていた。


 水の滴る銃身にはP220と書かれている。水没しているが使えることを祈る。

 陸へ上がってから、マガジンを抜いて弾を確認した。残りは五発。—正直言って扱う自信がない。銃を撃つなんて、練習場で少し習った程度だ。しかしこの状況で選択肢はない。これが身を守る唯一の武器なのだ。クリスは覚悟を決めた。


 これ以上闇雲に動かない方が得策だ。休める場所を探そう。

 林へ入ったところで、少し背の高い木が密集している場所を見つけた。ここなら見つかりにくいかもしれない。

 クリスは野営の支度を始めた。まず枝を集めて地面に敷き詰め、寝床を作った。次に枝を寝床の上で交差するように組み合わせ、三角形のテントの枠組みを作った。その上に枝と落ち葉を乗せて屋根を作った。

 貧乏だった二十代の頃を思い出す。金がなく、一緒に旅をしていた友人達と毎回、安モーテルや車で寝泊りをしていた頃を。野宿をすることも日常的だった。強固なセキュリティに守られた高級ホテルで暮らす今の彼女を知る人には、そのような過去を想像することもできないに違いない。外で寝るのはどのくらい振りだろう。

 それが終わった頃には、太陽は西の水平線の彼方へ消えていた。クリスは体を横たえ目を閉じた。恐怖で気持ちが張り詰め、とても眠れそうになかったが体力回復のためだ。これまでの疲労もあって、目を閉じてしばらくすると、いつしか眠りに落ちていた。




 小石の入ったバケツが宙に揺れ、ガラガラとけたたましい音がしてクリスは飛び起きた。

 枝と落ち葉で作ったテントの側で、倒れた人影が起き上がる。テントの周りに張り巡らせた、草と草を結び合わせる古典的なトラップに引っ掛かったのだ。

 周囲に貼った蔦は、接触するとバケツが鳴子のように音を立てるようにしてあった。誰かが草に足を取られてテントへ倒れ込み、バケツが鳴ったらしかった。

 月明かりに照らされたその人影は、すかさず体制を起こすと、躊躇いなくテントの中へ向かって銃弾を浴びせた。暗闇の中に銃声が連続して響く。面長の顔に短く刈り上げた頭髪、そのシルエットはあの副操縦士だった。機長からグスタボと呼ばれていた男だ。


 クリスはその様子を”木の上”から見ていた。

 操作に手惑いながら安全装置を外し、銃口を男に向け狙いを定めた。が、その手は震えていた。これまで自衛のために止むなく人を傷付けたことはあっても、殺めたことなどない。—どうしても撃たなければいけないのだろうか。彼はまだこちらに気付いていない。

 だが男は自分が罠にかかったと知った途端、何の迷いもなくテントを蜂の巣にした。殺意は明確だ。


 ……やらなければ、やられる!


 闇の世界に住む男の一切の躊躇がない殺意を目の当たりにし、恐怖に掻き立てられるようにして引き金を引いた。


 パン、という音と共に反動が来て、思わずバランスを崩す。やっと撃った一発は外した。

 副操縦士の男グスタボが、クリスのいる木の上を見る。グスタボと目が合った。殺意に満ちた冷たい目に、ゾッと背筋が凍った。

 彼は向き直り、クリスへ銃口を向ける。


 銃口を向けられたことで半ばパニックになり、続け様に発砲した。一発が肩に命中し、グスタボは後ろへよろめいた。しかし致命傷ではなかったらしく、再び構えて銃口を向けてきた。クリスは全神経を研ぎ澄ませ、もう一度狙いを定めた。

 少しはコツを掴めてきた。

 乾いた音が複数回鳴り響く。グスタボも発砲したのだ。


 彼が発砲して来た弾はクリスに当たらず、木の幹へ当たって木が揺れた。

 クリスが続けて撃った二発の銃弾は、一発が男の頭部へ命中していた。脳天を貫かれたグスタボは、壊れた人形のように後ろへ倒れた。


 息が上がっていた。震えが収まらない。

 しばらく待って男が完全に動かないことを確認してから、木から降りた。

 首周りの脈を探そうとする。とたんに、ぬめりと生暖かいものが手に触れた。—どう考えても血だ。思わず後退りしそうになる。

 月明かりに晒して男の姿を見る。銃弾は頭を貫通しており、即死だった。よく見ると手にはナイフも持っている。最初はナイフで襲おうとして、失敗したから発砲したのだろうか。

 グスタボもルーベンノファミリーの仲間だ。彼も生きていた。やはりクリスを狙ったのだろう。

 クリスは彼の持っていたダガーナイフと拳銃を自分の懐に入れた。


 夜の闇の中、その男の足を引きずって二十メートルほど移動した。事切れて力のない肉体はなんて重いのだろう。暗くて遺体がはっきりと見えないのは、クリスにとって幸いだった。

 森の地面に丁度窪みがあったので、その中にグスタボの体を落とし、上から土と落ち葉を重ねた。死体を放置しておくのは、衛生的にもいい事はない。この程度でも地上に放置するよりは死者への弔いになるだろう。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 人を、殺してしまった。死体を埋めながら、吐き気が込み上げ涙が滲んできた。

 どこの誰だか知らない。本当に悪い奴だったのかどうかさえも。だが今、この男の命を奪った。


 本当に殺すしかなかったのか……殺さなくても良かったんじゃ……。


 浜辺で手と顔を念入りに洗う。生暖かい血の感触と、魂のない体の重みが手に焼き付いている。どれほど洗っても消えそうにない。


 野営場所へ戻り、再び木の上へ登った。この太い木の上は悪くない。途中で枝分かれした木の叉は、丁度横になれるくらいの大きさがある。囮のテントを置き、この木の上で寝たのは正解だった。

 先ほどの銃声は島全体に響いていることだろう。この島にはまだ、自分を狙う人物が残っている。ルーベンノファミリーの最も危険な男、ノアだ。銃声を聞きつけた彼が、ここを嗅ぎつけてもおかしくない。


 結局その晩は一睡もできなかった。

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