二、現場検証と事情聴取
奈緒の言で、とりあえず、その場所に行って何か手掛かりになるものを探そうということになった。しかし、奈緒は女子ソフトテニス部に入っているため、部活が終わってから、校門で合流し、「現場」に向かうことにした。私はというと、部活には入っていないものの、父子家庭ということもあり、夕食の支度をするために、また妹を保育園に迎えに行くために一旦下校した。タイムサービスで豚ロースが安く手に入った。今日はトンカツにしよう。ゲン担ぎとしても丁度良いだろう。食べるのは、「現場検証」が終わった後だが。
中学校に私服で向かう。白いTシャツにクリーム色のカットソー、裏起毛のグレーのパーカーを重ね、下はジーパン。冴えない格好だとは思うが、ある意味一番私らしい。家を出るときの寂しそうな妹の顔と「はやくかえってきてね」の声に申し訳なさが芽生えたが、今日だけだ。少し我慢してもらいたい。本当は一緒に連れてきたかった。だが、事故に遭いかけたことを話すと余計な心配をかけてしまうため、「友達と約束している。なるべく早く帰る」と言って家を出た。嘘は言っていない。
普段制服で歩いている道だからか、私服で歩くとひどい違和感だ。まだ六時前とはいえ、もう十月、日中は暑くても夕方になると冷え込む。裏起毛パーカーを着てきて正解だった。校門が閉められる十五分前、五時四十五分に校門に着いた。
「あ、麻結」
逆光で見えにくい中、こちら側から見て校門の右側に立つ、一つの人影がこちらに気が付いた様子を見せた。奈緒だ。
「あれ、早いね」
そういいながら、私は奈緒の元に向かって歩く。奈緒もこちらに向かって歩いてくる。いつもなら、校門が閉まるギリギリで駆け出ていると聞いていたのに。
「今日は早く終わったのよ」と奈緒が言う。「練習日程を組む時は、早く終わったりするの」
「待った?」
「ううん、今さっき終わったから。それよりも、「現場」が早くみたいんだけど」
確かに主たる目的はそれだけれども、面白がっているのが見え見えである。
「はいはい、行こ」
私は今来た道を戻りながら、呆れた顔で言った。
*
走る、走る、走る。今朝のことからして、この指輪の効果は絶大だ。しかし、その後の疲労感が凄まじかった。まさかしばらく立ち上がれなくなるなんて。自分の体力のなさが原因か、または自分の指輪の使い方が悪かったのだろう。前者ならば、ランニングをするなり、筋トレするなりすればいい。後者なら、指輪自体がどのようなものか、調べなくてはならない。まずは現状を、自分の体力を知るべきと思う。そのために走る。走る、走る。頭の中が真っ白になる。体中から汗が噴き出す。息が切れる。足が止まる。
「はあ、はあ、はあ」
弱い、と思う。自分は弱い。こんな短い距離を走っただけで、息が上がる。
今朝は偶然うまくいっただけだ。今後、同じようなことに出くわしたら、何もできないかもしれない。そうならないためには、もっと、もっと強くならなければ。そう、もっと強く。もっと強く、なりたい。
◇
「ここなんだけど」
「普通の交差点ね」
私は「現場」に奈緒を連れてきた。奈緒の感想は当たり前と言えば当たり前だ。私が通学路として毎日歩いている普通の道の、どこにでもあるような丁字路の交差点なのだから。
私は今朝、丁字路の一画目の部分を、まさに書き順通りに歩いていた。すると、居眠り運転のトラックが、こちらに向かって来て、すんでのところで「誰か」に助けられたのだ。横抱きで。所謂お姫様抱っこだ。そしてその人物は丁字路を少し過ぎたあたりの角で折れていったが、その先に走り去った人はいなかった。角にクラスメイトの高宮君がいたが、彼は誰も見ていないと言っていた。その話を実際の場所を大体指し示しながら、奈緒に説明した。
奈緒の方は何か釈然としない様子で、
「そもそも、なんで、事故に遭いかけたの?麻結の性格からして、らしくないような気がして」と言った。
確かに、普段だったらそうだろうと思いながら、私は答えた。
「茉実が、全然寝てくれなくて」
茉実とは、私の妹である。十歳離れている。現在四歳である。最近、すぐに寝てくれなくなり、夜に寝不足になることもしばしばである。
「ああ、なるほど。寝不足だったのね」
「ぼーっとしちゃって」
「大変ね」
「でも、かわいいから苦じゃないよ」
「さすが、お姉ちゃん」
「流石って」
奈緒は上に兄がいるが下にはきょうだいがいないため、たまに羨ましそうにする。妹はかわいい。妹は一番大事な人、傷つけたくないし、誰かに傷つけられたくもない。しかし、時々思ってしまう。妹が生まれたあの日、もしもが起こっていたらと。そんなことを思っていても詮無いことではあるのだが。私が不毛な思考を断ち切ろうとしていると、奈緒は、「それで、他に覚えていることは?」と言った。
「その人に関してではないけど、さっき言った通り、そこの角で高宮君が座り込んでたんだ。なんか辛そうだったから、朝それも気がかりだったんだよね」
例の男性が折れた角に、高宮君はなぜか道路に座り込んでいた。はたから見ても辛そうに荒い息をしていた。
「ああ、確かに時間ギリギリに教室入ってきたよね。珍しいなとは思ってた」
「関係、あるかな?」
「ないんじゃない?あいつモヤシだし」
高宮君は黒縁のウェリントンの眼鏡を掛けているサラサラ黒髪の、良く言えばほっそりした、悪く言えば非力そうな男子で、実際非力だと思う。体育でバテているところはよく見る。
「他には?」
「いや、これで全部」
「どういう人か、分かるようなことは?」
「そもそも、一瞬だったし、体格とかも」
わからない、と続けようとして、丁字路にある止まれの標識に目を止める。
「どしたの」
奈緒の言葉に反応するよりも前に、気が付いた。少なくとも、大体の身長は分かりそうだ。
「そこの止まれの標識さ、ポールの途中、汚れてるよね」
「うん」
「その汚れのあたりが肩の高さだったんだ。走り過ぎた時、横を通ったから」
「え、じゃあ」
止まれの標識の、何かのインクが付いたような汚れ、それが探している誰かの身長を示す手掛かりになる。私たちは車に気を付けながら、止まれの標識へ近づいた。インクの位置は思っていたよりも高くない。私の肩よりも一、二センチ低い位置だ。どうやら助けてくれた誰かは私と同じくらいの身長か、それより低いようだ。私の身長は現在一五〇センチ無いくらい。助けてくれた人はどう見ても男性だったから、年齢も同じくらいだと推測できる。
「私と同じくらいの身長で、おそらく中学生の男子。中学生だとしたら、登校途中で私を助けてくれた可能性が高い。なら、うちの中学校か、駅に向かう途中の私学の生徒。私が事故に遭いかけたのは登校していた時間から、七時五十五分頃。ここから電車に乗っていける私学は一番近くて烏丸学園だけど、その時間からだとどんなに始業時間が遅い学校でも間に合わなくなるから」
「じゃあ、まさか。うちの学校にいるの?麻結を助けた奴」
「奴って。でもそういうことだと思う。もし小学生だとしたら、登校班で登校していないことになるから、目立つし、わざわざ変装している意味ないもの」
「変装か、ん、変装?」
「そうだ、服装の話をしてなかった。その人ね、真っ黒いスーツ着て、サングラス掛けてたの」
「黒スーツにサングラスってどっかのSP気取ってんの?」
「さあ?」
「それじゃあ、人相わかんないわけだわ。そんなカッコじゃ」
奈緒は少し呆れた顔でそうつぶやいた。
「どこかで着替えて私を助けて、また着替えてそのまま何食わぬ顔で学校に登校した」
「そんなに荷物多かった人いた?」
奈緒の言葉に少し首を傾ける。
「いや、いなかった、と思う。でも、一学年七クラスのうちの中学校で、『特定の大荷物』を持った生徒を探すなんて至難の業だと思うよ。運動部の人はほとんどが大荷物だし」
「確かにね、振り出しかなあ」
困ったという顔をする奈緒に私は笑いかける。
「でも、学校の男子生徒で、身長で区切るとかなり絞り込めると思う。荷物は、たぶんあてにならないと思うから除外するけど。ここまで分かったのは奈緒のおかげだよ、ありがとう」
「わたし、何もしてないよ」
「でも、奈緒が言い出してくれなかったら、いつまでも分からないままだったもの。だから、ありがとう」
「うん、どういたしまして」
奈緒は照れながらそう口にした。
「帰ろうか」
「そうだね」
十月ともなると日が暮れるのが早くなってくる。夕方もそろそろ終わり、夜がやってくる。父と妹のためにも早く帰らなくては。
*
息を切らしながら家に入る。
「ただいま」
「お帰り」
母親の返答を聞きながら、崩れるようにソファに座り込む。
「珍しいわね、『走ってくる』なんて」
「ちょっと、もう少し、体力、付けようかな、て、おもっ、て」
息が整わない。学校から帰って着替え、少し走っただけでこれだ。足も重い。明日はひどい筋肉痛になりそうだ。本当に体力がないなと思いながら、左手の人差し指にはまった指輪を見る。ゴツめの銀色の指輪に彫られている、こちらから見て右を向いた烏の、赤い石でできた右目がこちらを睨んでいる。まだまだ、足りない。今のお前では足りないと訴えかけられているように感じた。
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