歎きの魔女王 †Another Prototype†

ウツユリン

プロローグ.繊月

「やぁーいっ」

「どうしたどうしたぁ~?」

 大、中、小と見事に背丈のそろった三人組が輪になって野次を飛ばしている。ケラケラとはやし立てるのは、おもにノッポと中背だ。顔立ちはまだ幼く、三人とも十歳かそこら。皆、肌の色も体つきも異なり、兄弟ではないらしい。近所の悪小僧たちといったところか。

 無邪気で威勢はいいものの、服装は粗末でボロボロだ。

 ところどころ穴の空いた布きれのような衣に、いちばん背の低い小坊以外は、頭から使い古した箒のような髪が伸び、頬は痩け気味で血色はあまりよくない。時おり木枯らしが駆け抜けるなか、三人の少年たちは、さむそうに足踏みしながらも、ふうふうと湯気をこぼしてはなにやら息巻いていた。

 午後の陽射しは弱々しく、通りを一本入ったレンガ造りの細い路地に人影はない。

 坊主頭がふうっと、ため息をついて泥まみれの素足を踏みだす。背は低いが、三人のなかではいちばん目つきが鋭い。リーダー格の少年だ。

「おい」

 それだけのことで、三人組の中央では「きゃっ」と、小さく悲鳴があがる。同じ泥棒でも野良の仔猫だって「シャーッ!」と威嚇くらいはするものだ。これでは、ただ自分たちが虐めているようで、リーダー格の少年はギリッと、奥歯を噛みしめた。

 さきからずっと、この調子だ。

 なにかを尋ねようとするたび、相手は、殴られるとでもいいたげに縮こまって情けない声を出す。殴ってやりたいほどに腸が煮えくりかえっているのは間違いない。大事な食料を盗まれては怒らないほうが変だ。あるいは殴って肉が取り返せるなら、躊躇もしない。

 けれど、ジリジリッと後じさるこの盗人が、肉など持っていないことは明らかだ。町の子どもには見たこともない、花柄のドレスに金の腕輪、結った赤毛は、少年も名前を知らない虹色に輝く珠の髪留めが彩っている。おまけに履物。町の商人ですら縄で編んだサンダルがせいぜいなのに、自分たちより年下にしか見えない盗人は、上等な布サンダルだ。しかも宝石のような飾りまで付いている。

 どれをとっても、売れば一生遊んで暮らせるカネになるだろう。

 だからといって、少年にはそんなことをすればどういう目に遭うか、知らないほど世間知らずでもない。もう何度、あの" ネコ被りジジィにどやされ、屋敷の草抜きをさせられたか。そのせいで町の子どもの数もめっきり減った。

 さっさと食料をどこへ飛ばしたか聞きだし、とっととここから離れる。

 怒鳴りたい気持ちを抑え、坊主が質問をつづけた。

「おまえ、オレたちの干し肉、どこにやった?」

「え、あ……そ、その……」

「あんっ?」

 しどろもどろな返事に、右隣のノッポがガンをつける。頭ひとつ分、身長が抜きん出た少年は、精いっぱい眉間にしわをよせてコワモテを作っているが、童顔と、キーキー声が子どもらしさを隠しきれない。

「なんだなんだぁ? きこえねぇよ、きこえねぇな」

 言葉を繰り返すのが得意なのは、左の中背の少年だ。小刻みに首を振ってカタカタいわせている。壊れたカラクリ人形のような動きだが、くりっとした目と、ぶらぶらさせた細い拳が年端もいかない証しだ。

「二人ともだまってろっ!」

 ヘラヘラ笑う取り巻きをキッとにらみつけると、ばつが悪そうに視線をそらした。

「なあ」

 しゃがんで、盗人と目線をあわせる。きゅっと、つむろうとする垂れ目にむかって声を低くした。キリキリと鳴る拳を背中に隠すが、にじみ出る怒りにかえって、威圧感が増している。落ち着け、と自分へ言い聞かせながら、少年は静かに問いかけた。きょうの食材がかかっているのだ。

「魔女っ子、こんどはなにに化かした? また靴か?」

 そういって少年が無造作に足をだすと、蹴られるとでもおもったのか、魔女っ子はひぃっと、息をのんだ。

「まえの菜っ葉、おまえがサンダルに変身させたっていうから、コイツが食ったら腹をこわしたぞ」

「そうだそうだっ! ぜんっぜん、うまくなかったぞっ」

 指された中背が胸を張る。

「おまえさ、ジジィ……〈ヴェネフィカス〉の子なら、なにしてもいいっておもっているのか?」

「ち、ちがうよ。アタシ、で、弟子だし……」

「でもオレたちの肉を盗っただろっ?!」

 声をあらげてすぐ、少年は後悔した。花柄の肩がびくっとふるえ、仲間の二人ですら、驚いて少年の顔をみている。これでは逆効果だ。

「チッ……あきらめるか……」

 舌打ちし、立ち上がりかけた少年の耳に、おっかなビックリ言葉をつむぐ澄んだ声が届く。

「る、ルクス(転位)のれ、練習でね。その、ぴゅあって、と、飛ばしちゃったの! あ、アタシ、うまくできなくて……ほ、ほら、空間制御ってむずかしいでしょ? それでね……」

 風に紛れそうな小声がだんだんと大きくなっていくのを聞いているうち、リーダーの少年は言いようのない疲れを感じる。腹がへったせいか、怒りさえ薄らいでいく。

 彼女の言葉は、高度な魔法を幼くても使えるという自慢にほかならない。魔法を失敗した負い目はあっても、少年たちのものを勝手に使ったことに、微塵も罪悪感がない。

「もういい。それでどこだ、オレたちの晩メシは?」

「ええっと……た、たしか、西のみずうみまで飛ばそうとして……」

「湖?」

「うん」

 指を折って方角を確かめるウィザードの娘。幼さに似合わず、カサブタや新しい傷のあるその手には、狼の頭をかたどった、金の指輪が輝いている。〈ヴェネフィカス〉の紋章だ。その名前だけで人々をかしずかせる。

 けれども、少年たちのだれひとりとして、目の前のひ弱で色白、泣きべそがトレードマークの少女を、高名な魔法使いの娘だと考えていなかった。

〈ヴェネフィカス〉の娘ならば、何度も同じ過ちを繰り返さないだろうし、魔法の練習をいつも、町の子どもの食料で試さないはずだ。飢饉は過ぎたが、町は豊かとは言えない。食べ物にあぶれる時代を見てみたいとも思うが、自分の一生はせいぜい農民だろう。

 娘の愚行を咎めもしない父親もどうかしている、とリーダー格の少年はつくづく思うのだった。

 押し黙る少年の握りしめて白くなった拳に気づかないまま、ウィザードの娘は陽気な声で一方向を指さした。

「あっ、あっちかな。スノードニアの山のほう」

「スノードニア山の湖……」

 ハッとして顔をあげると、娘に詰め寄った。

「魔女っ子! おまえ、まさか肉を"ウルフ沼"におとしたんじゃないよな?」

「……えっ」

 少女の表情が固まる。

「り、リバルクス(逆転位)できなかったから、水にはおちちゃったかも……」

「落とした?! なんでそんなとこにとばすんだよっ?!」

「ピンポイントで山の頂上にいけるかな~、って」

 可愛く首をかしげる赤毛に、少年の怒りが蘇る。

「いけるかっ! おまえ、変身もうまくいかなかったじゃねぇか! ていうか、狼人の巣に食いもん落とすなあっ!」

 欠けた前歯からツバがとび、ドレスへ腕をのばす少年。もはや、相手がだろうと関係なかった。

 娘がたかが"練習"のために盗っていった干し肉は、少年が一週間、畑を手伝い、町を駆けずり回って稼いだ金で買ったものだ。仲間たちと分け合って食べるのを楽しみにしていたのに、犯人は取り戻すどころか、謝る素振りもみせない。

 そのとき、少女の指輪から、まばゆい光があふれた。

「わっ!」

 少年の手がみるからに高価そうな衣装にふれる寸前、突風のようななにかが、仲間の二人ごと吹きとばした。

 せまい路地でレンガの壁に次々、叩きつけられる三人組。その光景を赤毛の少女はあっけにとられて見ているだけだ。

「いててっ……」

 頭をさすりながらリーダー格の少年がすぐに起きあがる。幸い、大きな傷はなさそうだった。

「このっ……!」

 今度は中背が立ち、拳を振りあげて少女にむかっていく。

「バルっ、まて!」

 リーダーが引き止めようとするが、耳を貸す気配がない。ボサボサの頭から赤い筋が流れていた。

「べ、ヴェネフィカス……」

 バルとよばれた中背の少年は、すぐそこで立ち止まっていた。出現した青ローブを見あげ、ぽかんと、口をあけている。

 二メートルを越える青ローブは、盗賊の首領のような太い首から黄金の三日月チェーンを下げ、紫の肌着に凹凸をつける分厚い胸板はさながら鎧だ。ジャラッ、とチェーンを鳴らした大男が胸元まで垂らした灰色のヒゲを揺らす。

「てめぇら、三人でひとりの相手をするとは、感心せんのう」

 変わった口調で話す大男はバル、ノッポ、リーダー格の少年へ順に視線をめぐらせると、馬の尾のようなヒゲを撫でつけた。瑠璃色のローブから出た腕は少年たちの胴回りほどもある。白く変色した古傷が目立つ巨大な手はすべて指輪がはまり、中でも親指の金色に輝く狼の頭がひときわ大きい。

「卑怯、とは思わんかの?」

 見下ろする男の目は、空より青く、少年たちが物語に聞く海より深い。射すくめられたバルはガクガクと震え、立っているのもやっとだ。

「あんたのほうがよっぽど、卑怯だ。ヴェネフィカス」

 そう断罪した声の主へ、ヴェネフィカスが碧眼を移した。紺青の瞳が獲物を見つけたように光っている。

「ふむ。ならば、告発の証拠を聞かせてもらおうか」

「こ、告発……?」

 バルが首をかしげている。ヴェネフィカスの言葉が理解できないのだろう。ノッポに支えられ、バルの横まで歩いてきたリーダー格の少年がキッと、睨めつける。

「やめろってルカ……」

「やたらむずかしい言葉ばかりつかって、卑怯じゃなけりゃなんだ?」

「学が浅いだけのことじゃろうのう。てめぇらも、余のもとで鍛錬を積めば案外、騎士も夢ではないかもしれんぞ」

「あんたにこき使われて何人、死んだ? おれはまっぴらだ」

 リーダーの少年の額に汗がにじんでいる。相手は王ですら、おもねる〈ウィザード〉だ。言っていることのほとんどは少年にもわからないし、仲間の二人はこの場を離れたくてしきりに目を合わせてくる。肉のことは癪だが、生き延びなければ元も子もない。

「おれたちを馬や牛だとおもうな。ウィザードの助けなんていらない。だから放っといてくれ!」

 ヴェネフィカスの後ろで俯いている少女へ目をやると、少年たちは踵を返した。その後ろ姿は憐れなほどやせ細っているが、曲がり角に消える寸前、振り返った坊主頭の瞳は闘志がたぎっている。

「よい目をしとる。あのような目が世界を変えるのだろうのう……ひきかえ」

 ビロード生地の裾を払い、ヴェネフィカスが振り返る。その影が少女をかすめ、ドレスの体がますます縮こまった。

 少女を見下ろす〈ウィザード〉の目は深海の闇のごとく暗い。

「おまえはまったく、乞食も追い払えんのか、ヴィヴィアン」

 養父であり、万人に恐れられる師匠の失望の言葉に、少女はただうつむいたまま、歯をくいしばっていた。


 それから七百年後―――。

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