月夜に咲くD.バンピラ

佐武ろく

【1滴】ドラクラ・バンピラの花が咲く

いつもより少しだけ冷える夜。薄暗い夜道を一定のリズムで歩いていた九鬼くき 晴翔はるとは残業を終えての帰宅途中。コートを着る程ではないが今夜の気温はスーツだけでは少し肌寒い。だがそんなことなど気にならない程に体は疲れ切り自然とため息が零れる。


「はぁー。今日は疲れたなぁ」


1人呟きながらもくたびれた体に鞭を打って動かし歩いていると夜道を一際照らす自販機が目に入った。

その自販機に近づきながら何か飲もうかと迷う晴翔。しかし中々決まらずに結局、迷ったまま自販機の前を数歩通り過ぎた。だがやっぱりと足を止めると逆再生するように戻り再び自販機の光を浴びる。

そこに並んだ様々な飲み物を一見するとお金を取り出し投入口へ。流れるように温かいココアのボタンへ指を伸ばす。が、直前で止め数秒停止したかと思うと指を引っ込めた。


「んー。やっぱりどうしよう」


ホットココアかホットミルクティーか。晴翔の中では天使と悪魔のようにこの2つがせめぎ合っていた。

少しの間、自販機の前で迷っていると来た道の方から足音が聞こえた。それは歩く音でもジョギングの音でもなく駆ける音。どこか焦りを感じる逃げるような足音だった。

晴翔は心の中で首を傾げながら足音の方へ顔を向けた。彼の視線の先からは薄暗さでよく見えなかったが確実に誰かが走って来ている。逃げるように走る人がどんどん距離を縮め近づいてくるその光景は深夜と言うこともあってか恐怖を煽った。

そしてついにその人は晴翔の前までやって来た。少し速く脈打つ心の中ではこのまま何事もなく通り過ぎて欲しいと願っていたが、そうはいかず。足がもつれたその人はバランスを崩し晴翔へ飛び込むように倒れた。

突然のことに吃驚しつつも咄嗟に出た手でその人を受け止める。抱きしめるように受け止めたその人は何かのコスプレでもしてるのかローブで全身を覆い深くフードも被っていた。どれくらい走ったのだろうか呼吸はひどく荒れ、バグバグと脈打つ心臓の音を微かに感じる。

心配な気持ちもあったがもしこの人が厄介な事になってるのだとしたら関わりたくないというのが正直な気持ち。だがこうなってしまうと無視することもできない。心の中でため息を零しながら何もないことを祈ると座り込んだその人から手を離し声を掛けた。


「――あの...。大丈夫ですか?」


だが依然と晴翔に少しもたれかかるその人は、問いかけに対して返事のひとつもせず一度後ろを振り向いた。釣られるように晴翔も奥の方へ視線を向ける。しかしそこには人影らしきものはない。


「もしかして誰かに追われてるとかですか?なら警察とかn」


探るように再度声を掛ける晴翔だったが途中で勢いよく両肩を掴まれ思わず言葉を止めた。同時に鼻辺りまでフードで覆われた顔が晴翔を見上げる。その時、自販機の明かりで晒されている口元だけがハッキリと見えた。

白く綺麗な肌と赤く艶やかな唇。恐らくこの人は女性なのだろう。晴翔は驚きつつも声には出さずそう思った。


「このままじゃ...。奪われる」


余裕がなくぼそりとした声だったがそれは綺麗な女性の声だった。

晴翔はその声を聞きながら少し首を傾げる。


「えーっと。よく分からないんですけど...」

「―――仕方ないわね」


だが晴翔の声は聞いていないのだろう。女性は一人で呟く。

すると片手を肩から離し晴翔との間に移動させた。手の甲を見せるように動きを止めた手。黒く塗られた爪と細く長い指の手はCMなどにモデルとして出てきそうな美しさだった。

その手に少し気を取られていると先程よりも小さな声で女性が何かを呟いているのに気が付いた。耳を澄ましてみるが何を言っているのかは分からない。そもそも日本語なのかすら怪しい。

そんな言語をスラスラと呟いていくと突然、手を握り締め、花咲かすように開いた。するとつい先ほどまで何もなかったはずの手には赤く発光した何か。しかも握りこぶしより少し大きいそれは数cm程浮遊していた。

目の前で起きた摩訶不思議な出来事に言葉を失いつつも頭で説明をつけようと何かのマジックではないかと疑う。だがそんなことをする理由も目的も思いつかない。

晴翔が動揺していると女性は手を彼の胸へ向けた。そして赤い発光物を押し込むように勢い良く手を胸へ。同時にもう片方の手で晴翔の口を塞いだ。


「んん!」


咄嗟に抵抗しようとした晴翔だったがなぜか体に力が入らない。そのことに気を取られているとそのまま体を押され地面に背中からぶつかった。

晴翔は自販機の光にスポットライトのように照らされながら何が起こっているのか分からずただ力の入らない体で抵抗をする。だが離れることの無い胸に当てられた手。その隙間からは赤い光が漏れていた。

すると女性はどちらの手も緩めることなく顔を晴翔の顔へ近づける。


「いずれ取りに来るわ。それまでちゃんと大事に持っててね。坊や」


それは初めて晴翔へ向けられた言葉。その声は唇のように艶やかで色っぽいかった。

女性は言葉を口にすると顔を少し下げ首筋に唇を付ける。首筋に口づけをした唇が離れるとそこには絵に描いたようなキスマークが残されていた。


「これでいつでもあなたを探し出せる」


女性はそう言うと一度来た道を見る。そして再び晴翔に目を戻すと光の消えた胸の手を離し顔へ持っていった。


「じゃあね。坊や」


言葉の後、女性が撫でるように両目を閉じさせると晴翔の意識は途絶えた。

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