日本初ではなく日本人初。

 「この公式戦で100マイルをマークすれば。」

俺が登板した時に俺と由香さんは全く同じことを考えていた。

「日本人で初めて、プロの試合で。」

マイナーだってプロには違いない。俺はクッキーズには選手として「派遣」されているだけでレイザースと選手「契約」を交わしているのだから。


 ただ、この少しの力みが悪影響。先頭打者に99マイルの4シームをレフト前に弾き返されてしまう。いかんいかん。ここでキッチリと抑えないと。必要なのは球速ではなく結果。自分にはそう言い聞かせても頭の隅にムクムクとわきおこる功名心という「煩悩」⋯⋯いや、もはや軽い『凶戦士化バーサーカー』とでも言うべきか。


 俺はタイムを取って一回深呼吸。自分に解除魔法ディスペルをかける。突然訪れる「賢者タイム」。落ち着くんだけど軽い自己嫌悪が湧くんだよね。


 でもその甲斐あってか落ち着いて投げられる。続く打者をショートゴロ併殺、最後の打者を三振で抑えきってゲームセット。


 実はクッキーズの本拠地、リバーサイド球場スタジアムのスコアボード(バックスクリーン)はセンター後方ではなく左中間にある。だから右投げの時はチラチラ見れてしまうのだ。


「健、球速スピードにばかり気を取られてはいかんぞ。」

ベンチに戻るなりグレッグにお叱りを受ける。

「試合じゃ100マイルいかなかったろ?日本人なら『禅』の精神で投げるんだ。」

「無心」のことを言ってるならそうかも。


 残念ながら電光掲示板には100マイル表記は出なかった。ロッカールームに戻るとやはり由香さんも残念そう。

「99止まりだったね。」

「一応小数点以下も出てたでしょ?」

「どう言うこと?」

だから100マイルはきっかり160kmではない。160.934km。逆に160kmは99.42マイルなのだ。スピードガンだってそこまで厳密じゃないから小数点以下は1桁しか表記されない。

だからは99.5マイルを超えれば160kmを超えたことになる。


「それってどんな落とし穴よ。言われるまで気がつかなかったじゃない。」

意図を飲み込んだ由香さんは自分が撮った画像を懸命に確認する。

「あったぁ!ちゃんと撮ってた私偉い!」

両手を高々と挙げガッツポーズ。いや、投げたの俺ですけど。


 俺が最後の打者に投げた2球目外角低めへ外したボール。それが時速99.6マイル(約160.3km/h)だったのだ。


「健くん良かったね。これで亜美ちゃんに信じてもらえるね。じゃあインタビュー始めるから座って。」

「え?ロッカールームこんなところでやるの?」

「一応、ベンチもあるし。」

メジャーならきっとソファなんだろうな。


 日本とは時差が15時間。日本では由香さんの配信したニュースは日本のお昼頃に配信され、少なからぬ反応があったそうだ。


「大リーグ・レイザース傘下マイナー球団所属、沢村健が日本人初の球速160km/hを達成。」

とニュース速報で流したところも。


 昭和50年、ノーラン・ライアンがマークして以来34年。ようやく日本人もその域に到達したことになる。


 地元テレビ局の中継動画から引用した画面。マイル表記なので100マイル=160キロの認識がある日本人には?となったようだ。


「やっぱわかりにくいわ。100行ってないじゃん。」

それが亜美の最初の感想。

「いや、練習ブルペンの時は100マイル行ってたんだって。」


  ただ、全体的な意見では「マイナーリーグ」の記録は「正式」ではないということになり「※印アスタリスク」がつくことになった。ま、まだまだこれからもっと速くなるし。そのために頑張って身長を伸ばしたのだから。


 ちなみに左も速くはなっているが、本来の利き腕ではないので155km/hだった。


 ホーム6連戦が終わり、5勝1敗と貯金をさらに積み上げた。グレッグも次はAAAのダーラム・バレッツを回るそうだ。というか最初は3日とか言ってなかったか?試合後、ミーティングに集められる。


「デズモント・ジェンキンス、ケン・サワムラ前に出ろ。」

なんや?俺とデズが前に出るとグレッグが言った。


「この二人が来月12日にセントルイスで行われるオールスター・フューチャーズゲームの我々タンパベイ傘下チームの代表に決まった。」


 


 

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