最終話 旅立ち

海外留学を決めた玲は、その後忙しかった。

行くつもりでは無かったので、全然用意をしていなかったからだ。


母は最後まで反対していたけれど、兄が彼女に優しくしてくれるようになったので、家庭は以前よりも和やかで彼女はこれに安堵していた。

そして、旅立つ時がきた。



「見送りありがとう」


秋の深夜の国際便のロビーは人が少ないせいか、空気が冷たく別れの声が響いていた。


「おう。気を付けて行けよ」

「あ、優兄ゆうにい。ポケットから財布落ちたよ。それに、シャツのボタンが全部ずれてるよ?」

「……悪いね、百合ちゃん。暇な時でいいからおにいのこと、お願いね」


フライトまでの時間。玲の両親は雨宮の両親と挨拶をしていたのを見ながら玲は彼を向いた。


「そうだ。太郎さんのフライトは何時?」

「2時間後だ。おい、鳴瀬?海外に行ってもお前と私はライバルであることに変わりはないからな。肝に銘じておけよ」

「しつこいな!聞き飽きたよ……」


そんなうざい財前に雨宮は尻尾を振る子犬のように嬉しそうに話しに入って来た。


「心配しないで下さい、財前先輩。鳴瀬先輩には僕がしっかりついていますから!」


雨宮は実は結構不安だったが、玲も一緒に留学する事になったので、ずっとご機嫌なハイテンションが続いており仲間達をイラとさせていた。


「あのね、雨宮君。知っていると思うけど私達はカリキュラムが違うから、向こうでも別行動だよ。それに英語を早く覚えたいから、向こうでは一緒にいない方がいいと思うけど」


「never mind!?僕は話せるから」


そう微笑む彼は自分のことしか考えてないと判断した玲は、向こうについたらほおり出してやろうと心に決めていた。


「あ。あの人達、優兄の学校の人じゃない?」

「玲!おーい?」

「え」


ロビーの奥からあの三人が掛け寄って来た。


……皆、肩で息をしている?




驚き顔の玲に三人は必死に息を整えていた。



「はあ、はあ……良かった間に合って?おい、玲?気を付けて行って来いな。これは、お守りだ」


隼人はにっこり笑顔で彼女の手の中に、革製のキーホルダーをポンと置いた。


「これは?」

「……俺のバイクのキーホルダーだ。これを付けてからの俺は、無事故無違反だぞ?」


そう言って玲の頭をぐりぐりと撫でた隼人に彼女は、ありがとうの意味でうんとうなずいた。

ずっと握っていたのか温かいキーホルダーを彼女はぎゅと握りしめた。



「ええと……これは、俺からのプレゼントだ」


はい、と正樹が手渡したエメラルドグリーンのパスケースには、バンドの練習中に撮った写真が入っていた。


「俺達みんな写っているから。なんか辛い事が合ったら、これみて吹き出せよ、な?」


恥ずかしそうな正樹は、彼女の肩をポンと叩いた。


「隼人さん、正樹さん……ありがとうございます!大切にします」

「……玲」

「翔さん……」



あのライブ以来。勇気が持てない玲は、一度も翔に逢えずにいた。

そんな彼はじっと彼女を見つめていた。

そのまっすぐな顔の彼に玲は、じわと涙が込み上げてきた。


「翔さん。ごめんなさい」


「ほら。翔……?ちゃんと言えよ」


正樹に背を押されている翔はまだ黙ったままだった。


……やっぱり。怒っているんだな……



「あの、本当にごめんなさい。男の子だって、嘘ついて……」


ずっと胸に引っ掛かっていた事をようやく言った彼女に、彼は首を横に振った。


「いいんだ、それはもう!……これは……俺からの贈り物だ」


彼をそっと彼女の背後に廻り、髪に触れた。玲の首がひんやりした瞬間。その胸にはネックレスが光っていた。

そこには小さなハートのペンダントがコロンと揺れていた。


「玲。これは孫悟空の頭の輪と同じだからな。頼むから無茶せず……帰って来てくれ……」


そう頭の上で切なく囁いた彼は、背後から両肩にそっと手を置き、おでこを玲の後頭部にコンと当てた。


その手は重く、熱く、彼が自分を心配してくれている気持ちが伝わって来た玲は涙でグズグズの状態で、うんと頷いた。

そんな彼らに母が声を優しく掛けてきた。




「……玲、搭乗手続きよ」


この母の声に、優介が手をパンと叩き、腕を広げた。




「よし!熱いハグだ。来い!玲」

「うん。お兄!」


彼女は兄、百合子とハグをし、太郎は握手だけ。雨宮君は飛ばして、隼人、正樹とハグをした。

そして、最後は翔になった。


「翔さん!……本当に、ごめんね」

「玲……」


彼女を抱きしめる彼の力は強かった。


「やりたい事をやって来い!俺はずっと心配して、待っていてやるから」

「うん。気をつけて行ってきます」


こうして翔と長いハグを終えた彼女は、最後に両親とハグをして、日本を立ったのだった。





そして。

アメリカで猛勉強を終えた鳴瀬玲は、2年間の留学を経て帰国した。


その後日本の高校の卒業資格を取った彼女は飛び級で大学に合格し、司法試験に合格した。

そして国際弁護士を目指し、現在は御子柴弁護士事務所で働かせてもらっていた。







「お兄!起きて。間に合わないよ」

「ン……めんどいな」

「何を言ってるの。自分の結婚式でしょう。パパとママは親戚が来るから、もう先に行ったからね。ほら、早くシャワー浴びて!」

「ふわああああ」


今日は愛する兄の結婚式。

彼女は兄の支度も済ませて、一緒に自宅を出た。




「っていうかさ。何、お前のその恰好」


タクシーの中で、しみじみと妹を見ている兄は式場で着替えるため、ゆるいスーツ姿で呟いた。


「正装だけど」

「どこが正装だよ?それ就活スーツじゃん。花婿の妹がなんだよ、それ」

「この黒のパンツスーツのどこがダメなのよ?」

「はあ。やっぱり俺が間違っていた!お前に弟の振りをさせて以来、お前ってば制服以外は女らしい恰好、しなくなったんだもん」

「はい。その話し終わり。今日の主役は、花嫁でしょう?」


さばさばした妹の玲に優介は頭を抱えていた。



こうして文句ばかり言っている鳴瀬兄妹を乗せたタクシーは、挙式を行う式場に到着した。

兄を新郎の支度部屋へ送った玲は、花嫁の支度部屋へ顔を出した。


「百合ちゃんー!あれ?どうしたの、太郎さん?」


花嫁の百合子は不在であり、代わりに彼女の従兄弟の財前太郎が、礼服姿で不安そうに椅子に座っていた。


「……お前、今。花嫁の椅子に座っている俺を見て、バカだと思ったろう」

「うん」

「全く……。母が確認中だか、百合子の乗った車が交通事故を起こしたらしい。だから、まだ到着していないのだ」

「それ、本当なの?」


驚く玲に太郎はすっと立ち上がった。



「ああ、百合子は昔から修学旅行の前に体調を崩したり、運動会の前日に怪我をしたり、本番に弱いが、まさかここまでとは……」

「まさかの事態だよ、どうなるの?」


すると、この部屋のドアをノックして長身の男性が入ってきた。


「失礼します。あ、鳴瀬先輩。来てたんですね?まだ両家で協議をしてますよ。先ほど入った連絡ですと一応病院に行くそうなので披露宴は間に合うようですが、挙式は無理らしいです」


ワインレッドのスーツの雨宮は生け花の家元らしく、とても華やかでスタイリッシュに二人に説明をした。



「可哀想に……」

「だが、困った事があってな。今日の日を楽しみにしていた百合子の祖母が、退院してまでここに来ているんだ」

「あらま?これって披露宴の後に、挙式をやるとかじゃダメなの?」

「後の組が入っているから無理だ」


うんとうなづいた雨宮だったが、玲はおもむろに立ち上がった。


「大変な事になったね……あの?私、鳴瀬家の方に顔を出して来るね……?」

「鳴瀬?おい」

「鳴瀬先輩?」


そう言ってドアを背で閉めた玲は、一目散に非常用の階段で外に逃亡した。


……絶対これって。花嫁の身代わりを立て、挙式を決行するパターンだよ?


嫌な予感しかしない玲は、急ぎ式場の外に出ると、姿を隠す所を探した。



……気のせいかな。私を呼ぶ声がする……


そして、見つけた隠れ場所で時間まで彼女は身を潜めることにした。



……♪♪……


うるさいスマホは切った彼女がいる木の上のこの枝からは、式場の様子が良く見える絶好な隠れ場所だった。


式場にいる親戚達は廊下を行ったり来たりして、必死に誰かを探しているようで、失礼な事にゴミ箱の蓋まで開けているのが彼女には良く見え、さらに玲と同じ背格好の式場関係者の女性は何度も呼び止められて、実に嫌な顔をしていた。




「玲。みーつけた!」

「うわ?どうしてここがわかったの?」



彼女の脚元には、花婿衣装の兄がにっこり笑っていた。

青空の下、芝生の上に佇む白いタキシード姿の王子様に、玲は悲しくなっていた。



「もう観念しろ。お前はそういう運命なんだ」

「やっぱり。挙式はやるんだ」


ウィンクしながら彼女を指さす兄に対して、彼女は足をブラブラさせた。


「ああ。百合子のおばあちゃんは、めっちゃ楽しみにしていたからな。それにだ。例え身代わりでも、俺の相手は玲以外は嫌だって、百合子が電話で言ってるんだよ」

「……はあ」

「そんなに嫌なのかよ?」

「だって。ドレスでしょう?似合わないよ。私、女子力ゼロだもの……」


妹の顔を見た兄は、急に真顔になった。


「……玲。『俺の一生のお願い』はもう何千回も言ったけど、これで本当に最後にするから!頼む!百合子のためにも……挙式に出てくれよ!お願い!」


そう言って彼は目をつぶり、手を合わせて拝み始めた。



……この情けない姿。何万回見たことだろう。



しかし今の兄は自分の為じゃなくて、愛する奥さんの為に祈っているのだった。



……もう、お兄は……私だけのものじゃないんだ……



彼女は涙を飲んで、やっと声を出した。



「……わかった。そこどいて」


地面にさっと飛び降りた玲は、顔をみせないように背を向けた。

しかし声がどうしても涙声になってしまった。



「本当に!こ、これで最後のお願いだよ?もう、もう、私は、お兄の面倒は見ないからね……」

「玲?お前……」

「こ、これからは、百合ちゃんと仲良く幸せに……」


やっとの思いで声を出している妹の愛に、兄の心は強く揺さぶられた。



「玲……お兄はやっぱり結婚しない。ずっとお前といる!いたいんだ……」


そういって兄は、背後から妹を強く抱いた。その熱に玲は目を伏せた。


「何言ってんのよ……本当にバカね」



……バカなのは、私。この言葉にぐらつくなんて。



本当に私は、ダメな妹だった。優しい兄の気持ちにつけ込んで。世話をしているのは建前で。甘えているのは私の方だった。



……でも、お兄を送りださないと……


玲は心を鬼にして優しく腕を振りほどき、兄に向いた。


「お、お兄。ダメだよ」

「だって!俺は?お前がいねえと、ダメだよ……やっぱり」


涙ぐむ兄と、しゃくりあげている妹は見つめ合っていた。




……私だって。お兄がいないと、ダメだよ……


涙の兄は昔を変わらず自分をじっと見ていた。



……でも、でも!この兄を送り出さないといけない。兄を甘やかした妹の私の、最後の仕事だもの……




玲はシクシクと泣いている兄の顔を、ハンカチで拭いた。


「……大丈夫だよ。さあ。行こう」

「うううう。俺、結婚しない」

「ダメよ。ほら。私が行くから……」


そう言うのがやっとの玲はハンカチで目を押さえながら兄の手を引き、鳴瀬家の控室に向かった。




人目もはばからず泣きながら手を繋ぎ、親元にやってきた二十代の実の兄妹を見た瞬間。二人の両親は大粒の涙を流した。

そして鳴瀬家の四人は、固く強く、抱き合ったのだった。






「どうしましょう!?」


身代わり花嫁の玲の周囲では式場関係者が、パニックに陥っていた。

小柄でふくよかな百合子と異なり、玲は長身で良く言えばスレンダーだ。


百合子の着るはずだったウエディングドレスは、サイズが全く合わないのは誰の目にも明白なので、玲はただ言われるまま、じっと椅子に座ってこのドタバタを見ていた。



「お待たせして申し訳ありません。こういう事はよくあるので当店でも用意はしているのですが、お客様の合うサイズが、あ?ちょっとお待ちください!?」


玲と店長の元に若いスタッフがドヤ顔でドレスを手にして現れた。


「店長。脱がせてみたら、やはりジャストです!」


これに女店長は顔の前で手を合わせた。


「……まさか『幻ドレス』を人間に使う日が来るなんて?……あ。失礼しました、お客様?どうぞ、こちらへ」


店長の話しによると、この『幻ドレス』は女性の理想的なプロポーションサイズに制作されたため、誰も着る事が叶わずマネキンに着せていたという。今回、たまたま玲がそのサイズに近かった、ということでこれを借り事になった。




そうして衣装部屋で着替えている玲に、目隠しの仕切りの向こうから、兄が話しかけてきた。


「……ところでさ。玲、お前は、結婚しないのか?」


「今、その話し?」



話しをしながら玲の周りでは三人のスタイリストが、下着を付けてくれるなど支度を進めていた。



「今だから聞いてるんだ。あの、財前太郎はどうなんだ?仲が良いよな」

「ああ。太郎さん?何でも話せる人だよ」

「そうか!じゃあ」

「でもね」


こんな嬉々とした兄に、玲は素っ気なく答えた。


「太郎さんは昔から一緒だから。距離が近すぎて、異性と意識したことは一度も無いよ」


……ガタ!


部屋には椅子が倒れた音が響いていた。




「……そうか。じゃあ。雨宮君は?お前、花とか好きだもんな」


優介とは敷居を隔てている玲はスタイリストの言われるまま、足を上げながら話を続けた。


「雨宮君?そうだね、可愛いよ。お風呂に入れて洗ってあげたいくらい……」

「マジか」

「でもね」


驚き声の兄に玲は素っ気なく答えた。


「可愛いすぎて、弟とか息子?みたいな感じ。物足りないの。それに私には生け花の家元の奥様は、到底、無理でしょ」



……バタン!


部屋にはドアが閉まった音がした。





「じゃ、隼人は?この前一緒に、ツーリングしてきたよな?」


仕切りの中で純白のドレス姿になった彼女は、今度は椅子に座らせられた。


「うん。隼人さんといると、楽しいよ。嫌な事も忘れるし」

「それじゃコイツで……」

「でもね」


どこかほっとしている兄に、玲は素っ気なく答えた。


「隼人さんには本音で話せないっていうか。私は無理しちゃうんだよね」

「……お前は隼人にもらったキーホルダーを、肌身離さず持っているって、聞いたけど?」

「ああ、あれ?無事故無違反の?あれを持って裁判すると、必ず勝つから持っているだけで、ジンクスみたいなものだよ。それが、どうかしたの?」


……ガシャーーン!


部屋には何かが割れた音が響いていた。




「い、今のは気にするな。正樹はどうだ?」

「そうだね……。一番話しが合うのは、正樹さんかな。一緒にいると、安心するし」


話しの最中、ネイルが始まった玲はスタッフには両手を奪われていた。


「正樹が好きってことかよ?なあ?玲!」


しかしその時、スタッフも彼女に囁き掛けた。


「……お客様、このようなデザインはお好きですか?」


スタッフがネイルの見本を指さしたのがとっても可愛いデザインだったので、玲はこれにしようと思った。


「これが好きです!」


……バタ――ン!


部屋には何かが倒れた音が響いていた。






「お兄?」

「だ、大丈夫だと思うぞ……?じゃあ、正樹が本命か」

「本命?確かに正樹さんの事は好きだけど、あくまでも御兄さんって感じかな?ホッとするけど、ドキドキはしないもの」

「あのさ?玲にあげた写真入りのパスケース?ボロボロなのにバックに忍ばせているのを見たって人が、ここにいるんだけど……?」


すると彼女はウフフと笑いを堪えて話し出した。


「……見られたか。あのパスケースの中の鏡じゃないと、眉のメイクが上手く出来ないのよ、私」



……バタバタバタ……


部屋には足音が遠ざかる音がしていた。





「お兄?さっきから、どうしたの?」

「な、何でも無い。最後に残ったのは……翔だ!こいつが残ってた」

「翔さん……か。これは無いでしょう?」


……ガラガラガッシャ――ン!


部屋にはバケツがひっくり返ったような音が響いていた。



「ええ?こいつもダメかよーー?」

「いや。そうじゃなくて。翔さんは私の事、何とも思っていないから……」


動揺している優介に玲は寂しそうに話しだした。


「そ、そんな事は無さそうだぞ?それに、ほら。お前は翔のパートナーとして、この前もパーティーに行ったそうじゃないか?」

「それはね……翔さんは女の人が苦手だから、女らしくない私が気楽なだけよ」

「……違うみたいだぞ」

「嘘よ!私が女らしくしたら、誘ってくれなくなるもの。この前ちょっと胸の開いた服を着たくらいで、翔さん全っ然私の事、見てくれなかったんだよ?もう、あの日は家で泣いたんだから……」


ヘアリストが彼女のボブの髪をブラスでとかし始めたが、鏡の中の玲はションボリしていた。


「……もしかして、お前?翔のために女らしくしてないの?」

「それだけじゃないけどね。だって翔さんのお姉さん達は、怖いくらい美人なのよ?あんなお姉さん達と比べたら、私がどう着飾っても無駄だもの……」


そんな話しの最中、玲の髪は軽くワックスを髪につけて手櫛で整え、あっという間に完成していた。


「……首、横に振ってるけどな。え?何だって?翔があげたネックレスを付けなくなったのは、なぜだか聞いてくれ!ってさ」

「あれを付けていると、翔さんの事ばかり考えちゃうから……寝る時に付けてるの」



「……おい?しっかり立てよ……?玲!最後にもう一回聞くけど。好きなのは翔でいいんだよな?お兄も、もう限界!?」

「そうだよ、翔さんだよ。……いつも一生けん命だし。でもお兄?この事は翔さんには言わないでね。気を使う人だから……。私は、今のままの関係でいいから」

「そうか。よーくわかった」


この時、玲はスタッフに声を掛けられた。


「お客様。ご用意が整いました」

「ありがとうございました」



スタッフの声に彼女が立ち上がり、くるりと回ってみた。




「着なれているようですね」

「そんなことないです。ドレスを着たのは留学先のハロウィンパーティーで花嫁のゾンビのコスプレ以来です」

「経験が豊富ですこと!それにしてもお綺麗ですよ。まあ、後ろ姿のラインがこんな風に出るなんて……」

「お似合いですね……。遠目でみてもエレガントで」


スタイリストの目線は、彼女ではなく明らかにドレスに向いていたが、玲は身代わりなので大した気にせずむしろ彼女達の職業意識の高さに感動していた。


「仕切りを開けますね。御開帳です……」


そしてゆっくりと仕切りが開くと、そこには両親が立っていた。





「あらあら。どうしましょう……あなた。あの玲が、こんなに綺麗で」


息子の結婚式だったのに、まさか娘がこんな晴れ姿をするとは夢にも思っていなかった母は目にハンカチを当てた。


「いやいや?……玲にウエディングドレスを着せてくれるのは誰かと思っていたが、まさか優介になるとはな……あいつの一番の功績になったな」


あまりに喜ぶ両親に驚いた彼女は、辺りを見渡した。



「それよりも、お兄は?」

「ああ。せっかくだから私達だけで写真を撮ろうとと言ってくれてな。確認に行っているよ」

「そう、か」


両親の話しによれば百合子はもう、こっちに向かっているという事だった。


「今回の挙式は残念だったが、新婚旅行で二人だけの挙式を行うそうだ」

「玲。本当に綺麗よ。……これからは女としての自信を持ちなさい」

「またまた!綺麗なのは、ドレスだよ」

「そんなこと無いわ。これなら大丈夫!」

「ママ?」



「な、何を言い出すんだ?ほら、玲。そろそろ撮影室に移動するか。ゆっくりでいいぞ。ゆっくりで。ああ、危ないから、こっちへおいで」


そういうと、父は娘の腕を取った。


「アハハ。バージンロードを歩くみたいだね」

「……ああ。感動だよ」


そんな冗談を言いながら親子で腕を組みながら向かった撮影室には、すでに兄がスタンバイしていた。

そして実の兄妹が花婿、花嫁姿という鳴瀬一家の、ありえない家族写真を撮影した。

自身のスマホでも撮影してもらった母は、何度も見ては涙を流して笑っていた。



そして、いよいよ、挙式の時間になった。




優介と両親は先に中に入ると言うので、彼女はメイクを直しブーケを付けて、式を上げるチャペルへと向かった。


「……どうして、ここに?」


扉の前には、花嫁の父である百合子の父がいるはずなのにそこには違う男が不安そうな顔で立っていた。


「不服か」

「何も言ってないよ」

「仕方が無いだろう。お前は、百合子の父より背が高いのだ。よって俺になった」


そういう彼は、凛々しいモーニング姿だったので、玲は思わずじっと見つめていた。


「そうやって黙っていると、カッコ良く見えるね」

「惚れたか?」

「アハハ。ある訳ないでしょ?」

「俺としたことが、自ら傷に塩を塗るようなことを……」

「?」




彼の説明によると、百合子の祖母は、目はいいけど耳はよく聞こえないといういう。


「だから、誓いの言葉とか、セリフを多少間違っても大丈夫だ」

「安心した」

「なにが安心しただ……いいか?これからの茶番は、高齢者以外の参列者はみな知っている。これから扉が開いたらまず、お辞儀だ。そしてパイプオルガンに合わせて、ゆっくり進むぞ。この時、みっともないから室内をキョロキョロするな!目を伏せて、足元だけを見ろ。俺が……俺が連れて行ってやるから」

「うん!私、太郎さんについて行くから」

「……ついて行く、か」 


どこかさびしげな太郎と玲は合図とともに、腕を組み入場した。




ゆっくりとドレスを踏まないように玲は太郎とベール越しにチャペル内の赤いカーペットを見ながら歩いていた。

聖なる雰囲気に、一層ドキドキしてきた彼女は目線をあげて兄優介を探した。



「……太郎さん?ちょっと!あれ、お兄じゃないよ」


彼女が太郎の耳元に囁くと彼はぼそと返事をした。


「ああ。そのようだな……」


パイプオルガンが響く中、太郎は悲しく囁いた。


「そのようだなって。ここ違う会場なの?」

「いいんだ……ここで」


はっきりしない太郎に、玲は組んでいた腕に力を入れ、立ち止った。


「何なの?これって」


すると太郎は前を向いたまま、彼女の顔を見ずに応えた。



「玲……。さっさと……決着付けて来い!」

「え?何よ?」


そう言うと太郎は、力づくに彼女を引き、ずかずかと祭壇に進んだ。




正面にある祭壇の光の中。

白いタキシードの後ろ姿は、いつものように背筋がピンと伸びていた。

彼女を待っていた彼は、すっと手を差し出した。


その顔は恥ずかしそうに、自分をまっすぐ見てくれていた。


玲は彼の手を、そっと掴んだ。


すると彼は、彼女をふわと抱きしめた。



「玲。俺と結婚してくれ!今の関係が壊れそうで言い出せなかったけれど、ずっと好きだった……。お前を愛しているんだ」


彼の抱きしめる力と、その切ないささやきに息が止まりそうになった彼女は、最前列であっかんべえをしている兄をみつけた。


……バカ兄……!でも、大好きな兄。


その隣の両親。手を振る隼人。涙を流す雨宮。正樹の笑顔……。


彼らの祝福を受けた彼女は、勇気を出して彼を向いた。



「……私も大好きです。こちらこそ、お願いします……」


この挙式プロポーズを見届けた神父は厳かに式の挨拶を始めた。


こうして男勝りで兄に激甘の玲の諦めていた初恋は、ドタバタ兄に見送られて愛を結んでいった。


6月の青い空に響く結婚式の鐘は、そんな大きな愛を優しく包むように鳴り響いていたのだった。




完 


ご愛読ありがとうございました。

みちふむ














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