プロローグ(2)

 城内の待合室へと案内される途上、ヴォルフは数人の小間使いとすれ違ったが、そのうち何人かは彼の顔を見て一瞬驚いたような顔をして目を背けた。

 この空間に拒絶されているような思いを彼は抱いたが、冷静に考えると隻眼の恐ろしい顔をした男が城内を歩いているのだ、さもありなんと、思いを打ち消した。


「謁見時刻まで少し時間がありますので、こちらでお待ちください」


 案内役の小間使いに礼を言って、ヴォルフは待合室に入り腰掛に座った。少し早すぎたかと、機械式の懐中時計を見ると、時刻は午後二時を過ぎた頃であった。定刻まではあと一時間ほどあるが、謁見の間までの移動時間を含めると、早すぎるというほどでもない。

 定刻十分程前になると、先ほどの案内役の小間使いが訪れた。


「お待たせしました。それでは謁見の間までご案内いたします」


 ヴェルターシュタット城内をヴォルフ達は歩く。ヴェルターシュタット領というのはラフィーノ王国にあって随一の領地である。地理的には王国の直轄地の南に隣接しているが、険しい山脈で分断されており、長らく田舎領地であった。気候は少し乾燥気味であるものの温暖であり、東西の大河沿いに肥沃な土壌があったことから大農業地帯を形成し、牧畜も盛んな領地という程度であった。

 しかし、百年ほど前に大規模公共事業により山岳トンネルが開通して以降、平地面積が広大かつ魔石の原料となる魔獣の生息地も多く存在していたことから、ヴェルターシュタット領は飛躍的に発展した。近年では西の大河を跨いだ領地と提携し、貿易自治都市を築くなど、これからの発展も期待されている。

 そのような豊かな領地の城であるため、謁見の間に至るまでの調度品の数々は目を見張るようなものばかりであった。ヴォルフがここを訪れたのは、成人した十五の年、親や当時の庇護者であった上位貴族に連れ立たれて行った領主への披露目のとき以来であった。


 謁見の間の前までたどり着くと、案内役はこの場で待機するとのことだった。開け放された観音開きの扉の向こう、男女が正面の椅子に座っているのと、従者と思しき男が側に立っているのが見える。ふうと、息を吐き、ヴォルフは意を決して歩き出した。

 ヴォルフは驚いた。正面の椅子に座っていた女性、それは最後に会ってから十年以上になるが、幼馴染ソフィアの美しく成長した姿であった。今はヴェルターシュタット領主ハインリヒの第三夫人となっている。

 なぜこの場所に領主夫人がいるのかと、困惑しながらも謁見の間の中ほどまで進むとヴォルフは跪き、頭を垂れた。


「ヴォルフ・シュトラウスでございます。命により、この場に参上いたしました」

「ハインリヒ・フォン・ヴェルターである。面を上げよ」


 ヴェルターシュタット領主ハインリヒ。まだ年若い領主であり、先代から実権を譲られてから五年程が経っている。その手腕や評判についてはあまり噂を聞かない。ハインリヒはヴォルフを値踏みするかのように見ていた。


「もののふの良い面構えであるな。其方をここに呼んだのは他でもない。其方のこれからの処遇についてである。上位貴族の庇護のない中、魔獣討伐に尽力していたとのことだが、いささか功績が足りないと先般の領内会議で報告があった。此度は甚だ残念ではあるが、以降は貴族の身分であったことを忘れ、ゆるりと休まれるがよいであろう」

「かような者にもったいないお言葉でございます」

「ヴォルフ・シュトラウス殿。王国の定める法律に基づき、これより貴族の身分を解くものとする!」


 従者と思しき男が近づき、両手に純白の絹を広げてしゃがみ込む。ヴォルフは成人貴族の証である指輪を手渡した。ねぎらいの言葉はあったが、極めて事務的なものである。しがみついていた身分であったが、実にあっけないものだと彼は思った。


「さて、ここからであるが。人払いを」


 ハインリヒが手を上げ従者と思しき男をみやる。男は少し怪訝な顔をしたものの、すぐにすまし顔に戻り、謁見の間を出て扉を閉じた。領主夫人がこの場所にいる理由に関わることなのであろう。


「ヴォルフ殿。これから貴族身分を失う以上、先立つものが必要であろう。そのため、ひとつ頼まれごとをしてもらう」

「どのようなことでございましょうか」

「私の妻、ソフィアたっての願いである」


 ソフィアが立ち上がる。透き通るような白い肌、気品漂う見事な金髪、翡翠のような美しい瞳は変わっていなかったが、手足はすらりと伸び、あどけない少女だった頃の面影は目元鼻筋口元にわずかばかり残すだけであった。薄く紅をさした唇が動く。


「お久しぶりです、ヴォルフ様。願いとは私の子供のことについてです。二週間程前、産まれたばかりなのですが、どうやら魔力がなく……自分の子にこんなことは言いたくはないのですが、世間一般で言う不能者なのです」


 ヴォルフは黙って聞いている。


「貴族、ましてや領主一族として生きていける身でなく、まだ誕生も公にしていないので、外聞のために処分するという話が――」

「処分とは!」


 ヴォルフは声を荒げてしまったが、ここが領主の手前であることを思い出し、続く言葉を心の中に押し込み、「失礼を」と一言に変えた。

 ソフィアは微かに震えながら、話を続ける。


「私は子供を死なせたくありません。ですから私はハインリヒ様に嘆願しました。これから平民の身となるヴォルフ様に子供を預け、領都を離れて同じ平民として育ててもらいたいと」

「匿名で孤児院に預けるという手はないのですか?」

「それも考えましたが、魔力至上主義というのは領都では平民の間にも深く根付いています。ヴォルフ様もそれはご存知でしょう。表向きには平等でも差別され、不幸な生き方しかきっとできません。私はあの子に人並に幸せになってもらいたいのです」


 ソフィアの目には涙が溜まっていた。しかし、涙は流さない。

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