蒼炎のアルマード

武蔵

プロローグ(1)

 行き交う人々の喧騒、威勢の良い商売人が屋台から身を乗り出して客引きする姿を石造りの集合住宅上階から、一人の男が見下ろしていた。

 男の名はヴォルフ・シュトラウス。隻眼の逞しい体つきの青年であり、栗色の髪は後ろに撫で付けられ、右目があった場所には深い傷跡が残っている。左目は切れ長の形、ヘーゼルの瞳で、眉間には縦皺が刻まれ、口はへの字に結ばれた無精髭の険しい顔立ちである。

 ヴォルフは少々厄介な魔獣狩りの仕事を終え、達成感から昨夜は強い酒をしこたま飲んだ。まだ酒の残った体で少し遅い朝に目覚めた彼は窓の前に立ち、ぬるい風を受けながら頭が冴えるのを待っていたところである。

 乱暴に部屋のノッカーを叩く音が三度する。


「ヴォルフ・シュトラウス殿、おられるか! 領主様からの令状である!」

「……少々お時間を!」


 一糸纏わぬ姿であったことを思い出したヴォルフは慌てながら、質素な服に袖を通し、強い清涼な香りのする油を髪に撫で付け、鏡を見た。これで非礼はないだろうと、一人頷き、部屋のドアを開けた。軽装の鎧を着た兵士で、羊皮紙のスクロールを両手で持っていた。

 ヴォルフは即座に跪き、令状が読み上げられるのを待った。貴族の中でも立場の低い自分に領主から直接の令状である。重大な犯罪をした覚えも、特段の功績を上げた覚えもないが、それは却って一つの結論となっていることを彼は直感した。


「ヴォルフ・シュトラウス殿においては、三日後の午後三時、ヴェルターシュタット城にて領主ハインリヒ・フォン・ヴェルター卿と謁見すべし! 以上である!」

「心得ました!」


 令状を手渡し、踵を返して兵士は帰って行った。ヴォルフは深く息を吐き、ついに貴族の身分が剥奪される時が来たのだと、静かに目を閉じた。


 ヴォルフが住むのは、この世界唯一の国家、ラフィーノ王国のいくつかある領地の一つ、ヴェルターシュタットの領都である。その中でも、あまり地価の高くない、下町の集合住宅の一室に彼は一人住んでいる。

 彼は貴族であったが決して裕福ではない。この国ではどこの領地も同じであるが、領主から爵位を賜った上位貴族が強い影響力を持ち、爵位を持たない下位貴族を管轄し、仕事を振り分け、俸禄を分配する。ただし、それは義務ではない。彼は特定の上位貴族の庇護下にない浪人貴族であった。


 ――水が飲みたい。気分が悪くなった彼はコップの上に藍色の魔石をかざし、水の魔力を込めた。魔石は明滅するのみであり、ようやく出てきた水はたったの一雫であった。調子が悪い時はこんなものである。諦めて彼は水道の蛇口をひねった。

 ヴォルフは成人したての十五の頃、魔獣バジリスク討伐の際、顔面右側を猛毒の爪で裂かれる大怪我を負った。それは右目の光を失う程のものであったが、それだけにとどまらず、ある後遺症を彼の体に残した。それが魔力障害である。


 この世界は五曜の神々が創りし世界と言い伝えられており、魔石は人の魔力を介することにより、神の御力として超自然的現象を起こす。空間から水を生み出すこともその力の一つであり、一般にはフォースと称されている。元来貴重であった魔石だが、ある錬金術師が魔石を人工的に作り出す術を編み出し、量産化されることで世の中は魔石前提の社会に塗り替えられていった。

 魔石を扱える魔力の強い人材を集めるにはどうすればよいか。その思考の過程で生まれたのが貴族制度である。始めは魔力の強い者を貴族とし、富と権力を握らせた。魔力は基本的に遺伝するため、貴族の子息を貴族として管理下に置くことが、人材を集めるのに都合が良かったのである。しかし、遺伝は確実ではなく、中にはフォースを実用レベルで行使できない、不能者のような者も生まれることがあった。そのような者を権力から遠ざけるため、貴族制度は完全な世襲制とはしていない。

 具体的には貴族身分の剥奪である。功績が足りない貴族に対して、という名目でそれは行われる。貴族の仕事ができない浪人貴族には厳しい制度であり、功績を上げるには魔石の献上程度しか手段はない。上位貴族の後ろ盾があれば、貴族を続けていくこともできるが、ヴォルフの血縁に上位貴族はなかった。後ろ盾となり得る上位貴族には一人だけ心当たりはあったが、疎遠かつ立場が少々特殊であったこと、また、魔力障害を起こして不能者と等しくなって以降、次々と自分から離れていった人間を見て意固地になっており、行動を起こすことはついになかった。


 冷たい水で喉をごくりと鳴らすと、溢れた水が一筋、口角から伝った。ヴォルフは手で拭い、これまでのことに思いを馳せた。


 三日後の昼下がり、下町においては少々場違いな礼装に身を包み、ヴォルフは集合住宅を出た。貴族としての給金を失い、これから退去することになるであろうそれを名残惜しく一瞥した。

 石造りの集合住宅は、五階層の高さがあり、直線の広い路地に同じ表情で整然と建ち並んでいる。所々、薄汚れてしまっているが、構造的には何の問題もない。集合住宅は領都を築いて間もなく、貴族の魔力で造られた物であり、魔石を湯水の如く消費したと言う。驚くべきはその建築期間であり、通常の建築であれば数ヶ月かかるところ、フォースを使用したため、術者数名でたったの一日である。

 それほどまでに貴族の力は強く、民衆から畏敬の念で見られる。貴族はその力をもって全身全霊で民衆を守らねばならない。それが貴族としての矜持と親から教えられており、故に貴族であることにこだわり続けたヴォルフであった。


 下町の喧騒を抜けると貴族街にたどり着く。雰囲気は一変し、広い庭を有した邸宅が建ち並ぶ。行き交う人は少なく、整備された石畳を専ら馬車で移動している。

 かつてはこの街区で暮らすことを夢見たものであったが、いつしか本当の夢でしかなくなっていたのだった。この地に相応しくない者が闊歩していると、肩身の狭い思いをしながら、ヴォルフは歩みを進め、堀で囲まれた城門までたどり着いた。


 白銀の甲冑に身を包んだ門番が二人、微動だにせず直立していた。令状を持ってヴォルフは声を上げた。


「ヴォルフ・シュトラウスと申す! ハインリヒ・フォン・ヴェルター卿の命により、拝謁したく参上した次第である!」

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