アイドルなのに恋愛できないほんとの理由

鹿野月美

Prologue

入学式の朝が眠くなる理由

 クラスメイトとの別れ、そして、新しい仲間との出逢い。

 二つの大きな出来事が、桜の開花と共にほぼ同時にやってくる。

 それが、春。


 今日初めて足を踏み入れた教室で、わたしの席は一番窓側の、さらに一番後ろ。教壇から最も遠くて、最も眠気に誘われる席と言っても過言ではないだろう。わたしの名前からして一番後ろというのは慣れっこではあるけど、中学までは廊下側の一番後ろのケースが多かった。だけどこの教室では、あ行で始まる名前の生徒が一番廊下側なんだそうだ。

 窓から燦々と差し込む朝特有の迷惑な日差しに、クラス発表で騒つく昇降口前の掲示板。何もかもが華やか過ぎて、今日のわたしにとっては若干迷惑なものだった。


「和歌山〜。入学早々めちゃくちゃ眠そうだけど……入学式では寝るなよ?」

「あ、おはよう悠斗ゆうと。わたしたち同じクラスなんだね」

「そうだけど……お前、朝からやっぱし全然会話が頭に入ってきてないようだな」


 ん〜、なんか言った〜? 悠斗のぽかんとした顔が忽然と目の前に浮かび上がる。妙に澄ました顔が逆にわたしをイラっとさせるわけだけど……うん、そんなのわたしの自分勝手な解釈であることにほぼ間違えはない。


 すると間もなく窓の外の喧騒が、ここ教室にまで襲いかかってきた。どうやら校門付近に一際目立つ存在が登校してきたらしい。漆黒の長い髪が春風に靡き、同時の溢れる砂のような笑みが朝の爽やかすぎる風に乗って、わたしのいる教室にも運ばれてきたようだ。


「おい見ろよ。あれ、深紗みさだぜ。本当にうちの学校だったんだ〜」

「うわ、実物もめっちゃ美人じゃん!! お近づきになりたい〜!!」

「俺らあんなバリバリのアイドルと同じ学校とか、これ絶対運命ってやつじゃね?」


 運命だか絶望だか知らないけど、そんなの勝手に感じてればいいのに……。そんなことよりわたしは、悠斗の言うように本当に眠いんだ。昨晩は仕事が想定以上に長引いて、帰宅した時はとっくに二十三時を超えていた。それから遅い夕食を食べて、お風呂に入って、着替えて、あ、あと今日の入学式の準備もして……まぁそれについてはどうしてそんなに時間がかかったのか、眠過ぎてあまり記憶がないのだけど。

 とにかくこっちは眠いのだから、たかがアイドルが登校してきたくらいでぎゃーぎゃー騒ぐのもやめてほしい。そもそも初日からそんなに騒いでどうする? こんな日があと三年も続くんだよ? 騒ぐんだったらその日数で割って分だけにしてほしいんだけど、どうかな?


御咲みさきのやつ、登校してきただけで大騒ぎだな」

「別にいいじゃん。だって本物のアイドルのオーラってやつを持ってるんだし」

「それを言うなら和歌山だって……」

「そんなことよりいいの? 悠斗は一応紛いなりにも御咲の彼氏でしょ? わたしなんかにちょっかい出してる間に、他の男子に取られちゃうかもよ?」

「紛いなりじゃなくて正真正銘の彼氏なんだけどな」


 悠斗が御咲と呼ぶその女子は正真正銘のアイドルで、最近は雑誌などでもよく見かけるようになった。わたしと悠斗とは同じ中学に通った仲で、それ以上でもそれ以下でもないと思ってる。最も悠斗と御咲は先週くらいから彼氏と彼女という形で付き合い始めたらしいけど、そんなの事務所とか他のクラスメイトにも言えるわけないし、それ以上にわたしとしては正直どうだっていい話だった。


「でもま、いいんじゃない? 二人が幸せならそれで」

「幸せねぇ〜……。それって一体どんなやつなんだろな?」

「ん、何? 幸せじゃないって言うの? 御咲じゃ不満ってこと?」

「別にそういうわけじゃなくてだな……」


 はっきりしない男だ。本当に御咲を幸せにできるのだろうかこんなやつに。


「それより和歌山は今でも『白馬に乗った王子様』ってやつを待ってるのか?」

「うんそうだよ。悪い?」


 そう。わたしが待っているのは白馬に乗った王子様。少女漫画に出てくるような素敵な恋愛がしてみたいって、本気でそう願っている。悠斗にその話をするといつも馬鹿にされるけど、そんなのきっと個人差ってやつだ。せっかく高校生にもなったのにそんな恋愛ひとつ経験できないなんて、とんでもなく勿体ないやつじゃないだろか。……ってそんなこと言ってるからそもそも彼氏一人もできないんだって、馬鹿にしてくるんだろうね悠斗ってやつは。


「だけどお前、本当にそんなこと言ってて大丈夫なのか?」

「そう、それだよ悠斗!!」

「……ど、どれだよ?」


 だけどこの春、そんなわたしにも思わぬ障壁が立ちはだかったんだ。


「いっそのこと恋愛してイチャイチャしてるアイドルなんて、滅んでしまえ〜!」


 気がつくとわたしは、そんな呪いの言葉を窓の外へ放り投げていた。その怨念がどこまで声としていて発せられていたのか自分でも気づかないほどだったけど、ずっと遠くにいるはずの御咲もこっちに視線を預けていたくらいだし、ひょっとするとそういうことかもしれない。

 でも悠斗と御咲がなんだと言うのだ。そもそも御咲はアイドルやってるのになんで恋愛してるんだ? その答えを導き出そうにも何もかもが漠然としていて、何もかもがもやっとしすぎてる。それでもようやく一度立ち止まって、やっと導き出した結論がこれというわけだ。


 アイドルが恋愛してるとか、本当にそんなことでいいのか??


「ま、そんなこと言ってる和歌山も御咲と一緒にアイドルデビューしてるんだけどな。現実逃避はそれくらいにしておけ」


 悠斗はそう言うとわたしの頭をぽんと叩いた。それで励ましてるつもりなのだろうか? わたしはまだまだ受け止めきれていない事実を、今すぐこの窓から投げ捨ててやりたいとこなのに。


 女優を目指していたはずのわたしは、春からアイドルとなってしまった。

 まだかけ慣れていない伊達眼鏡から見えるわたしの景色は、同時にデビューした御咲から見える景色とは、全く別物なのかもしれない。


 どんなに季節が変わろうと、わたしの見える景色はまだ灰色のままなのだから。

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