第4話 責
あれだけ自分に言い聞かせていたのに、俺は約束を破ってしまった。高山の事は何とも思っていない。いや、あいつを特別な人間だと自分に思わせないようにしていた。多分そのツケが来たんだろう。
3週間の出来事を覚えていないのは自分への罰だ。私は私自身にそう言い聞かせ、また逃げようとした。現実から。事実から。そして彼女から。
どうせアイツはクビにする予定だった。内定も決まってたんだし、高山も残りの学生生活を楽しみたいはずだ。これでいい。これいいんだ。俺にはこれくらいが丁度いい。
しかしいくら自分に言い聞かせようと、彼女の事が頭から離れなかった。事務所を飛び出して行った時の横顔。料理を作る彼女の背中。匂い。声。考えないようにすればするほど、脳は逆の方へと道を作った。
何で俺は高山を引き留めなかった。今さら後悔しても遅いよな。美穂と奏の時もそうだ。いつも俺は後悔する方を選んでいた。
「――――クソ!」
私はマンションを飛び出した。気付けば、なんて表現は使わない。確かに私は自分の意志で、自分のために、彼女達のために走った。
高山の家は知っている。ここからそう遠くない所に一人で住んでいる。全力で走れば20分もしない内に着く。
本当にいいのか? このまま彼女と離れられれば、もう苦しい思いをしなくて済むかもしれないんだぞ?
「黙れっ!」
俺は高山の事が大切なのか? 美穂と奏を失って5年が経つ。まだ5年だぞ。それなのに俺は違う女のために走ってるのか?
うるさい。
毎日毎日2人の後も追えず今日まで生き永らえた俺が、12も歳の離れた子供一人に必死になって、本当に無様だよ。
「…………何なんだよクソ。一体何なんだよ俺は!」
私の中でたくさんの思いがひしめき合っていた。だが私は脚を前に出し続けた。何度も止めそうになった。それでも走り、やっとの思いでたどり着いた。
まだ建てられて新しいそのアパートは、若い子が好きそうなデザインで佇んでいる。午後11時過ぎ。まだ起きている住人もいるようだ。
8世帯が暮らせる程の部屋数だが、その時の私には十分大きく見えた。
玄関の前に立つ。もし高山が泣いていたらと思うとインターホンを押すのが怖い。それにもし、アイツが俺に失望していたら……。
――――いや、何も考えるな。今はただ、後悔しない選択をするだけだろ。
インターホンを押した。だが遅かった。普段から彼女の事を想っていたのであれば、きっと私は出て行こうとする高山を止めた。けれどしなかった。あの日交わしたあの約束がそれをさせなかった。
記憶を保持したまま過去に戻れるとしたら。私は迷わずあの日へ戻る。
「高山。いないのか?」
甲高い電子音が鳴り響く。しかし反応はない。そりゃそうだよな。逆の立場だったら俺でもそうする。
スマホを取り出し、連絡先の【猫の手】と表示されたアイコンをタップする。受話器を象ったアイコンが出てくるが、ここまで来てそれを押す勇気がない。もし嫌われたのなら、ここで電話してもウザがられるだけだ。
メッセージを打とう。それなら高山が見ようか見まいか好きにできる。ほんとイラつくほど情けない。
【今家の前にいる】
その1行から始めた。それでも送信するのに長い時間を要した。
【まず最初に謝らせて欲しい。高山の心を踏みにじった事を】
1行目に比べたら容易に送信できた。決して抵抗がなかったわけではない。何かが私の中で吹っ切れたのだろう。
【その夜の記憶が無いのは本当だ。正気を保てているのが不思議だよ】
【でもこれだけは言いたい】
【俺は高山の事を大切に思っている】
【助手としても。1人の人間としても】
言いたいことはこれで全部ではなかった。残りは会って直接言いたかった。
全てを失い絶望していた私に、光をくれたことへの感謝。常に私のそばにいてくれた事への感謝。生きようと思わせてくれた事への感謝。
――――今日まで彼女に言えなかった事は数えきれないくらいあるが。もう一度彼女に会えるとしたら、私は一体何を言おう。今はそれを考えるだけ虚しいだけだ。
幾らメッセージを開いても既読の2文字は付いていない。もうすぐ日付が変わる。俺もいつまでも彼女の部屋の前にはいられない。今日は帰ろう。
その時私はふと、何気なくドアノブに手をかけ、扉を開けようとした。鍵が掛かっていることは承知の上で。
――――しかし扉は開いた。
空いてる? 鍵閉め忘れたのか?
「おい、高山?」
外の方が明るいと思えるほどの廊下、部屋の匂いだけが私の鼻を突き抜けた。
「入るぞ?」
靴を脱ぎ、廊下に明かりを灯す。しかし静寂だけが反響する。知らない人の家に忍び込んでいる感覚だ。次第に動悸が激しくなる。
廊下の一番奥。曇りガラスの扉を開け、リビングの電気を点ける。
「高山?」
いない。何でだ。事務所を出てからもう1時間は経つ。すでに家にいてもおかしくないはず。
本当に用事があったとか? 可能性はあるが限りなく低い。部屋に荒らされたような形跡もないし、アイツに限って鍵のかけ忘れは一番ない。
1つの考えが頭に浮かんだ。
家に入ろうとした時に何かあったのか……?
――――呼吸が激しくなり、頭から何もかもが消え去る。代わりに浮かぶのは美穂と奏。
「けっ、警察!」
スマホを取り出し1から0まで並んだ画面に親指を叩きつける。指が震えてうまく押せない。焦れば焦るほど違う番号を押してしまう。
「落ち着け。落ち着け!」
ようやく110の番号を押せた。ほんの数十秒しか経っていなかったが、体感では10分ほどの時間に感じた。
スマホを耳にあてる。1回目の呼び出し音が耳を通る。しかしそこで電話は切られた。私が切ったのではない。彼に切られたのだ。
「――――お前」
あの時の男だ。小面の仮面をつけた殺人鬼。
「警察には電話しないほうがいい」
腹の底に響くような声がお面の下から聞こえる。だが不思議と、俺はそれに落ち着きを感じていた。
「お前が。お前が高山に何かしたのか?」
男は俺から奪ったスマホの電源を切ると、それを手渡して言う。
「俺じゃない。あの女は巫女に選ばれたんだ」
「は?」
男は呆然と立ち尽くす俺を更に置き去りにする。
「あの日、俺が殺しに行ったのは佐藤だけではない」
男は少しも動かず、ただ俺一点だけを見据える。しかしプラスチックの穴から除く瞳は、一切の感情すら語っていない。
「なんだよ。ちゃんと説明しろよ」
訳の分からん言葉にはもうウンザリだ。
「あの日、佐藤はお前らを攫うつもりで取材に応じた。だが俺の介入により、それは失敗した」
俺たちはコイツに助けられたって事か? 信じられるかよそんな戯言。
「なんだそれ。なんで俺たちが狙われなきゃならないんだよ」
「お前たちだけではない。奴らは若い男女を1年前から誘拐し続けている」
“奴ら”ってのは大体予想できた。おおかた佐藤が入信した新興宗教だろう。話のスケールが大きくなっていくにつれ、俺の思考は鈍った。それでも男は続ける。
「彼女はその一人に選ばれたんだ」
「何でお前は黙って見逃したんだよ。ここにいるって事は止めに来たんだろ?」
得体の知れない男の胸倉を掴む。恐怖心はある。けれど、やり場のない怒りをぶつけるにはコイツしかいない。
「止められなかった。奴らもそれを予知してたからだ」
今まで信じようとしなかった言葉が頭に浮かぶ。
「…………未来が見えるのか?」
「そうだ。お前もそのうち自分の未来を見るようになるだろう」
握りしめていた男の胸元から両手を離す。信じてはいなかった。だがこれまでの出来事が俺に強く言い聞かせてくる。
「つまんねえ。何なんだよ一体。記憶は無くなるし、高山はいなくなるし」
もう立てない。とことん運命に見放された自分を俯瞰すると、最早すべてがどうでもいい。
「…………どうしろって言うんだよ」
楽しげな壁のフォトフレームを見る。大学の同級生と一緒に撮ったのであろう集合写真が枠に収められていた。幸せそうな顔だ。俺に見せてくるいつもの笑顔。
「そうか。お前も夢を見たのか」
「夢なんて誰でも見るだろ」
「違う。海の底に沈んでいく夢だ」
男の顔を見上げる。こいつの言葉で思い出した。あの禍禍しい夢を。水しかない惑星にたった一人で落ちていくような絶望を。
「お前も見たのか?」
男はお面を取る。
「そうだ。最近増えている自殺者も。未来が見える人間も全員同じ夢を見た」
男は健康そうな体にはそぐわない、まるで50代のような顔つきだ。白髪頭に疲れ切った目。浮かび上がるほうれい線。
「俺は何ともないぞ?」
そうだ。こいつの言っていることが正しいのであれば、俺自身に何も変化が起きていないのはどう説明するつもりだ。
「まだ浅いんだ。お前は最後まで見ていない。だから正気を保っていられる」
「まだ続きがあんのかよ」
胃液が逆流してくる。もうどうしようも出来ない事実がこの世界で起きている。
「最後までアレを見た人間は発狂する。そして発狂しない人間は未来を見せられる」
「それで金儲けしてんのなら、よほど図太い人間だってことだな」
弱い奴は死に、強い奴が生き残る。何が起きようとそれだけは変わらないんだな。
「だがそれも、また少数の人間であり、そいつらはあの夢を崇拝してる。まともな人間なら、未来を見てさらに絶望する」
「それで自殺か?」
男は頷く。
てことは、異常に増えた自殺者の下には、さらに数えきれないくらいの人間が、あの夢を見てるって事か?
「どうなっちまうんだよ、この世界は」
私はこの時初めて、神田から世界の異常について聞かされた。普段なら信じない話だが、既にそういう次元ではなかった。多分あんなに弱弱しい声をあげたのは初めてだろう。
「お前はまだ知らなくていい」
彼が優しい人間だということは気付いていた。未来を知っていても、私を気に掛けるくらいには
「それよりも、彼女を助けに行こうとは思わないのか?」
何言ってんだよ。警察に電話するのを止めたのはお前だろうが。
「言いたいことは言ったから警察に電話しろってか?」
「警察は既に機能していない」
そっか。人間の大半が狂ってるならそうかもな。記憶のない3週間。どれだけの人間が正気でいるのだろうか。
「直接助けに行けってか? 映画の主人公じゃねえんだよ」
第一どこにいるかも分からないだろ。もう手掛かりもない。それにもう力が入らないんだよ。
「そうやってまた自分を責めるのか?」
「……分かったように言いやがって」
「お前がここに座っていても、世界は何も変わらないぞ」
そんなことは俺が一番分かってるんだよ。それに、立ったところで変わらない世界もある。
「行動しろ。後悔しないように」
「うるさいッ!」
あの時の飛行機に乗っている気分だ。美穂と奏が事故にあったあの時の、あのもどかしさ。上手く走れない夢の中のような。
「俺にどうしろって言うんだよっ!」
もうどうにでもなってしまえ。
「アイツがどこにいるかも分からないんだぞ! 大体、俺1人でどうにかなる問題じゃないんだよ」
叫んだ。隣の部屋の人は驚いたかな。まあ狂ってるなら問題ないか。
「話を聞け」
「うるせえ。もうほっといてくれ」
そう吐き捨て俺は高山の部屋を出た。
事務所へ歩く。だが彼女の顔が頭に浮かぶ。それだけじゃない。アルバムを捲るように、これまでの全てがフラッシュバックする。
俺はこれでいいのか?
――――3年前。1人の少女が面接に来た。
「高山美歩(みほ)。大学1年生か」
3年前の私は死ねない日々にただ息をしていた。
加害者からの賠償金は全て国外に寄付をした。最愛の2人を失った代わりに生まれた金が、私を含め、この国の誰かを潤すことが許せなかった。
そして私は逃げるように国外へ行っては、取材に明け暮れていた。
彼女の眼にはそんな私がどんな風に写っていたのか、今では知る由もない。
「はい。日高様の優等な行動力と、その素晴らしい記事を拝見させていただき、本日は無理を承知で伺わせて頂きました」
都内の割と有名な大学で彼女は広報の勉強をしていた。恐らくその過程で私の記事を目にしたのだろうが、彼女が読んだと言う“それ”とは、私がまだ戦場ジャーナリストだった頃に書いた記事のことだろう。
「そうですか。大変嬉しいお言葉ありがとうございます。でも今は人を雇えるような余裕はないので、残念ですが今回はお引き取りください」
しかし彼女は退かなかった。
「いえ、無報酬で構いません。今回私がお伺いしたのは、雇ってもらうためではなく、あくまでも日高様の助手になりたく参上した次第でありますので」
この時「面倒な奴が来た」と思ったのは今でも強く覚えている。
「そうですか、分かりました。では追って連絡致します。本日はありがとうございました」
そう言って私は彼女を追い返そうとした。もちろんこの時言った連絡というのは、不採用の連絡だ。
――――しかし。
「度々のお願いで恐縮ですが、この場で結果を教えていただけないでしょうか?」
頭を抱えた。この時の彼女の印象は「面倒な奴」から「厄介な奴」に脳内で変換された。仮にも頼みに来た側なのに、何故そこまで横暴なのかと。
「分かりました。真に残念ですが今回の採用は見送らせていただきます。有難うございました」
「なぜですか?」
私はつい吹き出してしまった。それほどまでに彼女の行動は度が過ぎていたのだ。しかしその瞳から決して揺らがない意志を感じた。だから私も言った。
「ですから、今は人を雇う余裕がないので」
「では1週間の試用期間を設けてくれませんか? それでも私に見込みがないのであれば諦めます」
彼女はとことん粘るつもりだった。コンクリートの壁と話しているようだった。対する私も「1週間だけなら」と彼女の粘り強さに根負けしてしまったのだ。
――その次の日から彼女は来た。
「日高さん。お茶どうぞ」
「…………ああ。ありがとう」
1か月の取材を終え帰国したばかりだったので、この1週間は記事を書くことに専念していた。だから彼女の仕事は無かったが、書類整理や部屋の片づけ等、彼女は自分に出来ることを探し、懸命に働いてくれた。
「お疲れ様です!」
記事を書き終えたとき、彼女がその言葉をくれた。そして私は、試用期間の1週間がとうに過ぎていたことに気が付いた。
楽しい時間は足が早いと言うが、それとはまた違う何かを私は感じていた。
「ありがとう。高山さんもお疲れ」
私が微笑むと、彼女は嬉しそうに返事をした。
「――――それで、採用の件なんだけど」
私はその言葉から始めた。私のために用意された甘ったるいコーヒーを含んで。
すると彼女の表情にも、自然と力が入ったのが伺えた。
「また明後日から海外に行くんだけど、高山さんは大学で忙しいと思うから、やっぱり今回の採用は……」
私がそこまで言うと彼女が割って入った。
「いや、今は夏休みなんで大丈夫ですよ」
不覚だった。
「ああ、そっか。でも飛行機のお金とか、学生にはキツイでしょ?」
「高校生の時に貯めたお金があるんで大丈夫です」
ああ言えばこう言う。そんな彼女を断ることは出来なかった。それに加え、その
1週強、ずっと献身的に手伝いをしてくれた彼女の姿に私は心から負けた。
「じゃあ明後日は朝の6時にここに来て」
そう言うしかなかった。飛んで火に入る夏の虫。1週間の試用期間という甘い誘い文句に、私はまんまと引っかかったのだ。
――――2年前のある日、1人の少女が私に言った。
「日高さん。やっぱり私のせいですか?」
2年前の私は、改めて責任という言葉の重さを知った。
彼女を助手に迎え1年が経ち、彼女を連れた3度目の海外遠征でそれは起きた。
発展途上国の治安問題を題材に取材を行っていた私達だったが、5日目の夜に強盗にあった。
それだけなら珍しい事でもなかったのだが、3人の強盗は、無抵抗の彼女を押し倒し、衣服を剥いで犯そうとした。
その瞬間、私の頭は真っ白になり、背負っていたバックパックを盾に反撃した。
イカれたアジア人だと思ったのか、強盗は何やら暴言を吐きながら退散。そして私は、いつの間にか腹部に受けた刺し傷に倒れた。
しかし鮮明に覚えているのは、恐怖に染まった彼女の顔と、私を呼ぶ声だった。
そうして、日本に帰国した私は、国内のゴシップを専門にするようになった。
彼女はずっと自分に責任を感じていたのだろう。しかしそれは私も同じだった。彼女に消えることの無い恐怖と罪悪感を植え付けてしまった。
「お前のせいじゃない」
私は彼女の問いにそう返した。なんの捻りもないテンプレのアンサー。余計に責任を感じさせてしまうだけだというのに、気の利いた答えが見つからなかった。
「本当にすいません……。もっと私が気を付けるべきでした」
彼女の泣き顔は本当に綺麗だった。まるで初雪の様に儚い。
しかし2度として見たい物ではなかった。
「…………なあ。お前は何でジャーナリストになりたいんだ?」
この時の私は、何も意識せずその質問を彼女にした。少しはあの時の美穂の気持ちを理解できたのかもしれない。
そして返ってきたのは沈黙だ。だがこの時、彼女の中に答えは浮かんでいたのだろう。それでも彼女は口を籠らせた。
「そうか。よかった」
私は微笑んだ。綺麗ごとだけではやっていけない。少しでも気付かせる事が出来たのなら、腹部に受けた傷も私の責任だ。
――――1年前。1人の少女が呟いた。
「日高さん。なんか面白い話してくださいよ」
1年前の私は、彼女と過ごす日々に、布団の中で映画を見ている様な、そんな居心地の良さを感じていた。
「お前が先に話したらなー」
彼女は私に生きる理由をくれた。息をするのが苦ではなくなった。今でも2人の事を想うと胸が苦しくなる。それでも私の人生に光が差し込んできた。
「えー。そう言って話してくれた事ありましたっけ?」
「…………痛てて。腹の傷が」
「はいはい。痛い痛いでちゅねえ」
「おい。名誉ある傷だぞ」
「なんか言いました?」
――――ああ。何で私はもっと彼女を大切にしなかったのだろうか。いつもそうだ。失って初めてその尊さに気付く。いつまでも続かない日常があることを。言葉にできる幸せを。
あの時俺に約束した俺がこう言っている「もうこんな思いはさせないでくれ」と。
美穂と奏が死んだ時もそうだった。俺は全部運命のせいにして投げ捨てた。
明日なんてないのに、俺は来ない明日に詰め込みすぎた。全部今日までの積み重ねなのにな。
「明日死ぬかもしれない」と美穂は言ったが、あれはきっと今日を含めた全ての事を言っていたんだ。
――――だから俺は約束する。自分の魂に。
「もうあんな思いはさせない」
そして私は高山のアパートに戻った。少しでも情報を集めるために。
そしてそこには神田もいた。
「まだいたのかよ」
神田は言う。
「待っていたんだよ」
「よく言うぜ」
未来が見えているんだもんな。俺が戻って来ることも分かっていたってことか。
つまんねえ奴だ。
「で。お前は何でここにいるんだ?」
あくまでも高山の一件は俺の問題だ。まさか俺の手助けでもしてくれるのか?
「これから“瑠”(りゅう)を潰しに行くんだろ?」
「瑠? それがその宗教団体の名前か?」
「そうだ。行くんだろう?」
潰しに行くなんて物騒なことは言っていないが、この際だ。クソ宗教団体をぶっ潰すくらいの勢いじゃないとな。
「もちろん跡形もなくな。だが肝心の場所が分からないんじゃあ手詰まりだ。まずはこの辺を……」
俺がそこまで言いかけると男が言葉を被せる。
「瑠が拠点にしている施設は全部で3つだ。彼女はここから一番近い第三派出所に連れていかれる」
「何だよ。未来からのお告げか?」
皮肉のつもりで言った。こいつの手のひらで踊らされている様な気分が胸糞悪い。いやコイツだけじゃない。俺はずっと見えない何かの操り人形になってる。結構な事だが、それでも俺は俺だ。
「だが奴らも俺たちが来ることを知っている」
「それじゃあ逃げられるだけじゃねえか」
「奴らは逃げない。既に未来を受け入れ、それを崇拝しているんだからな」
感情の籠っていない、本を読んでいるかのような話し方。あの佐藤と同じだ。どうりで既視感があると思った。
「なるほどな。でも俺に未来は教えるなよ」
そうだ。未来がどうであろうと、俺は後悔をしたくない。だから今できることをやるだけ。単純だ。
「そのつもりだ」
調子の狂う奴。でもこいつには全てが見えている。多分、俺と高山の結末も。そして自分自身の結末も。まあ精々見てればいいさ。
「じゃあ行くか。その第三派出所って所に」
「こっちに車を停めてある」
俺は言われるがままについて行った。
高山のアパートを離れる。だが振り返ることはなかった。それもそうだ。ただの建物なんだからな。何かの覚悟を決めるとき、もう振り返るのはやめた。
「――――って。お前、これって」
すぐそこに車は駐車してあった。
「行くぞ。交通量が少ない時間がもうすぐ来る」
「……こんなの見たことないぞ」
一般人には。というより、下手な金持ちですら手の届かない超高級車だ。
スピードを出すことだけを目的に作られたような無骨さ、それでいて2度見してしまう程のデザイン。
「結局お前も、未来にあやかっていたわけだ?」
「何をするにも金が要るからな」
「っていうか武器とかないのかよ」
車の中を覗くが、小さなバックパックが一つ、窮屈そうに詰められているだけで、その他は何もない。
――――車よりも先ず武器を買えよ。
「それは現地に着いてからでいい」
「は?」
そういって俺が乗車すると、男は静かにアクセルを踏んだ。そして車内に響くモーター音。電気で走るのかよこれ。
――――車は常に法定速度を優に超えていた。下道でも高速でも。時々速度を落としているのも、オービスを光らせないためだろう。周到なのか予知なのかは分からないが快適だ。
「そういえば、未来が見えるようになったのはいつからなんだ?」
身体を引っ張るような感覚にも慣れてきたおかげで、質問する余裕も少し生まれた。それでも両手には自然に力が入る。
「2年くらい前だ」
2年? 一連の出来事が騒がれる半年くらい前だ。そんな前からあの夢を見たって事かよ。どうりで感情がないわけだ。
「じゃあずっとあの悪夢に悩まされてたって事か?」
「いや。あの夢は最初だけだった。それからは全て同じだ」
俺は2回も見ているが、こいつは1回目で全部見たってことか。いまいち法則性が掴めない。
「同じって? 海の夢じゃないのかよ」
男はただ前だけを見て答える。
「そうだ。1回目で全てを。そして2回目からは自分の未来を見た」
「待て。ということは夢で未来を見てるって事か?」
「ああ。毎晩同じ夢だ。1日経つごとに1日減るが、俺は2年前からずっとこの先の未来までを見てきた。そして夢の記憶は一切忘れることはない」
てっきり好きな時に見られるものだと思っていた。しかし毎晩毎晩、夢で未来を見るわけだ。楽しくはないだろうな。
「夢の中で2年以上の月日が流れるのか?」
そうであってほしくないと心の中で願った。もしそうならとても正気を保っていられるとは思えない長さだぞ。
「だから俺は、二日に一度しか寝ないようにした」
言葉を失う。少しだけだが同情してしまう。夢の中でとはいえ、この男は今日までを何度も生きてきたわけだ。ずっと同じゲームを周回してるようなもんだ。
「……お前みたいな奴は結構いるのか?」
「少ないがな。佐藤が死んで、瑠の預言者も残りは僅かだ」
なんだか少しホッとした。てっきり何百も信者がいるのだと思っていたからな。
いや、そう思いたかっただけか?
「2人かよ。余裕じゃねえか」
「残念だが違う。瑠は殆どが洗脳された一般人で構成されてる」
なるほど。その組織に2人で乗り込むのはかなりハリウッドな展開だが、こいつからは勝ちを確信している余裕を感じる。
「――――でもまあ、何か策があるから今日行くんだろ?」
「その質問は今ので561回目だ」
「あっそ。これもスキップしたいムービーシーンってわけね」
「全部がだ」
この時言った神田の言葉は、私にも理解が出来た。彼は気の遠くなるような時間を、夢の中で生きていたのだから。
――――男との会話も無くなり、俺は少し眠ろうと思ったが、やっぱり少し怖い。まだ全部を信じている訳ではないが恐いんだ
もし高山があの夢を見たらどうなる。俺も全部を見たわけではないらしいが、ただ一つ分かるのは、次あの夢を見たら俺は俺で無くなってしまうということ。
窓から夜空を見上げるが星はない。もしかしたら、とてつもなく大きい何かが遮っているのかもしれない。そしてそいつはずっと地球を見ているんだ。人間が認識できていないだけで。
――――子供の頃からそんな妄想をしていたが、今はそれに心を躍らせることは出来ない。
「世界中の人間が同じ夢を見てる。一体誰が見せてるんだろうな」
映画では地球を救うヒーローがいる。そして殺される悪役も。だがそれはあくまでも、人間の創造だ。仮にヒーローがいたとして、その彼らでさえも、戦意すら湧き起らない相手がいたとしたら、それはきっとあの夢だ。
「古き者だ」
この世界で起きている事件、事故、戦争、幸せ、悩み、恐怖、夢。それらの全部が、この宇宙から見たらゴミでしかない。ただの掃除機で吸い取られる塵でしか。
「宇宙人か?」
「さあな。だが、夢でその姿を見た人間は発狂した」
――――男が車を停めた。考えに更けている間に目的地に到着したのだ。まるで自分の番が近づくリレー走者の気分だ。
窓を通して外に目を向ける。東京の郊外に根を張るその建物。一切の光を放たない暗黒の建物を見る。しかし何てことはない。大丈夫、ただのでかい建物だ。
研究施設の様にも見える無機質な建築物。しかし男は臆することなく車で近づく。
「おい、ちょっと近すぎないか?」
男からの返答はない。
てっきり少し離れたところに車を停めて、静かに近づくのだと思っていた。あくまでも隠密に。しかし男はそうしない。
――――小さなプレハブの中に警備員が座っている。そいつらは死んだ魚のような目で俺達を見る。表情の作り方を忘れてしまったかの様な顔で
車が金属製の門の手前で停まると、中にいた警備員たちが、ゆっくりとこちらに近づいてくる。俺たちを客だと思っているのか、あるいは殺しに来るのか。俺はただ黙ってその3人に目を向ける。
すると警備員の1人が、不気味で不格好な笑顔を作り、窓ガラスをたたく。そして男も黙って窓を開ける。
「おいおいおい」
思わず喉の奥から声が飛び出たが、そんな俺の事はお構いなしに、場の空気はただ静かに流れた。
「神田様ですね。お待ちしておりました」
警備員の一人が敬うように言う。神田。コイツの名前か?
「中へどうぞ。お車はどこにでもお停めください」
そう言って赤い棒を振りながら警備員は車を誘導した。
地獄の入り口とも見える鉄の門が、誘うかのように奥へ奥へと開いていく。甲高い、赤子の様な悲鳴をあげながら。
この時、俺の頭の中で嫌な妄想が積みあがる。もしかしたらこいつは信徒の一員で、俺は騙されてここに連れて来られたのかもしれないと。
――――そんな不安を押し殺しながら問う。
「何だよこれ、どういうことだ?」
男は言う。
「言っただろ。奴らは未来を受け入れている」
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