第29話 好き嫌い

「比位くん、だらしないわ。脱いだ上着が無茶苦茶ね。誰からも見られないからと、椅子の背に放ったままなのは見苦しいわよ」


 ホームルームから放課後へと変わる時間に、斗乃片はこちらの席まで来て、俺が脱いだ制服を奪い去った。仮面をわざとらしく大きく傾け、まるで怪盗みたいに。


「ふむ、それほど大きいというわけでもないのね。着心地もまあまあ」

「おい、迷いなく着るな」

「この服が私に着られたがっているの、慈善事業よ」


 斗乃片はぎこちなく袖に細い腕を通すのに夢中で、周りが見えていなかった。

 お着換えの途中で、教室から出ていこうとしたクラスメイトと衝突寸前。彼女は仮面を落としつつも優雅に躱すが、身を運んだ先でまた別人とぶつかりかける。ギリギリで接触を回避すると、これ見よがしにドヤ顔を決めた。

 いやさっきのは、斗乃片が避けたというより――


「いえ、私が避けたし、よろめいてもいないわ。これだから素人は」

「俺は何も言ってないんだが」

「――こほん。とにかく、今の失態は比位くんの服のせいね。これはお返しするわ」


 理不尽な文句と一緒に上着を返却する。何なのだろう。


「で、何の用事だ? まさか、俺で遊びに来ただけとは言わないよな」

「……」

「まさか図星じゃ……」

「いえ、違うわ。ちゃんとした話題はあったのよ。けれど、比位くんのだらしない姿を見たら少々指摘したくなったの。貴方の制服を手に取ったら、ふと着衣に興味が湧いてしまったのも当然ね。その後ちょっと詰ってしまったのも納得かしら」


 あまりに堂々と、斗乃片は自らの正当性を主張する。凛とした声にほころびはなく、ぼーっとしていれば受け入れてしまうこと間違いなし。


「……後半は明らかにおかしいだろ。理由なく人を詰るな。てか用事なく話しかけてくるのも謎だ」


 端的に指摘すると、


「……理由なく話しかけてはいけないのかしら」


 ちょっと怒り強めの声が返ってきた。まずい、気がする。


「比位くんはもう忘れてしまったかもしれないけれど、クラスメイトに用事がなくても戯れに絡むのはよくあることよ。きっとそう。いえ単なるクラスメイトには一々話しかけないかもしれないけれど、貴方と私の関係性であれば、それくらい、あるわ。あるはずよ。あってしかるべきだわ、多分……」


 斗乃片の声から自信が削れていく。

 お互いに、気軽に雑談するような関係性の人間なんていなかったらしい。


「……」

「……」


 半端に悪態をついてしまったから、お互いの空気が三分の一ぐらい死んだ。気まずい。


「本題、入るわ。明日のお昼のこと、相談したいのよ。比位くんと七都名さんの好き嫌いを知っておきたいから」


 転校生は幼馴染のいる先へと急速方向転換。心なしか笑顔に見える。斗乃片、夏那のこと大好きか?

 というか二人とも、意外と早く仲良くなったな……。まあ、良いことだけど。一人でいるよりは余程いい。

 斗乃片が目配せして、俺を呼び出さなければもっとよかった。どうして一度逃げたのだろうか。恥ずかしがったから?

 あれこれ考えても仕方ない。要請通り行くとしよう。


「ええと、俺の嫌いなものは――」

「比位くんには訊ねていないわ」

「え、この流れでそれは――」

「ふふ、貴方の勘違いよ。愛らしい早とちりね」


 真っ直ぐな瞳で、斗乃片はぴしゃりと俺の言いたいことを断ち切った。悪びれもせずというか悪気もなく、ただ純粋な気持ちから産まれた言動だと分かる。普通に応対していても理解できないはずの心情が分かるというか、強制的に分からせられるのだ。腕の届く範囲で面と向かってコミュニケーションすれば、一撃。


「ヒナト、変な顔……間違って辛くて苦いもの食べちゃった、みたいな顔してるけど……だいじょぶ?」

「大丈夫、致命傷だから。勘違いで勝手にクラスメイトの方へ寄っていく愚か者になったぐらいだし、全然平気」

「そうね。手を振られて勘違いして振り返す以上の、視線ひとつ見ただけで呼ばれているなんて勘違いを平然としてのけても平気ね」

「俺は帰らせていただきますね……お呼びではないようですので……」


 まったく平気じゃなかった。軟弱な心にはグサッときたし、ハートの中心部はたぶんバキバキに折れて砕けた。おとなしく退場するほかない。あとは二人で仲良くやれるだろうし、いいだろ……。


「帰るの? それも勘違いだけれど」

「どういうことだ?」

「私は貴方に貴方の食の好みを訊いていないだけで、貴方がここにいるのは歓迎ということよ」


 さっぱりわからない。きっと当人にしか理解できていないことなのだろうと、困ったような笑いを幼馴染に向けても、彼女も深く頷いていた。


「夏那、どういう意味か分かるのか」

「わかる。ヒナトは好き嫌いを隠すだろうから、私から聞いたほうが早いってことだよきっと」

「正解よ。五億点あげるわ」

「やったー! 五億!」


 ぱちん、とハイタッチの音がした。いぇーいという重なり合った声もだ。狐面を斜めに軽くかぶった奴が、そんなことするとは。


「今、失礼なことを考えたかしら?」

「いやいや。ぜんぜん。狐面転校生美少女からキャラ外れたりしてるなとか、そんなことまったく」

「やけに具体的ね。作り置きして、頭の片隅に保管しといたの?」

「そんなことないぞ。出来立てほやほやだ」

「なるほど、急造の言い訳と」


 無理だ、口のやり取りでは勝てない。俺が弱すぎる。せめて、別の方向に話を逸らさないと。


「ていうか、俺が好き嫌いを隠すってどういうことだ? そんな子供じみた真似、するわけないだろ」

「じゃあ今、わたしたちの目の前で言ってみて。野菜から」

「オクラとか、ズッキーニとか……」

「それで終わり? ピーマンとパプリカとニンジンは?」

「ふふ、ラインナップ、本当に子ども……ふふふ、小学校低学年……」


 おかしさをこらえきれないのか、斗乃片は仮面で顔を隠した。そこまでか、そこまで笑うことか。ピーマンもパプリカもおいしくないだろ。


「あは、ほんと変わんないねー。わたしの頭にインプットされた情報、そろそろ更新させてほしいなー」


 おしまいだ。夏那も異常なぐらい機嫌よくニコニコしているし、ここはアウェー以外の何物でもない。

 誰か、誰か助けを――


「せんぱーい、遅いっすよ!」


 ちょうどいいところに駆け足の音と、切れ味の良い叱咤が教室を駆け抜けた。

 叱責の方へと振り向くと、開かれたドアの先で馴染みのある赤毛が揺れている。


「早く行くっす、い・つ・もの場所!」


 わざわざ呼びに来てくれたらしい。思えば、放課後にここまで残っていることは久しぶりだった。

 何はともあれ、小学生舌とかいう不名誉な扱いから逃れるチャンスだ。振り向き、床を蹴り、連れ出す名目でここを離れよう。


「助かった、心後輩!」

「ひゃ、いやあの、手握って、腕引っ張って、いきなりなんすか! なんなんすか!」

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