第20話 逃げ場所はなく
「あわ、わわわわわ……密着、やば! てかみつかってるのです……‼」
腕の中にいる後輩が、じたばた暴れもがいて逃走を試みる。身体をぐにぐに捻り、か細い両腕を一生懸命広げて俺の腕を押し退け、生じた隙間から小柄な体躯が抜け出た。
驚いた。俺が一切抵抗できないくらいに、意外と後輩の力は強かった。緊急時特有の馬鹿力だと信じたい。俺が純粋に力負けしたのでもない。きっとそう。
ちっちゃい後輩に絶対負けたりなんてしない!
「あら、比位くんは随分とか弱い……」
なので、転校生の直球な感想が俺の柔らかな心に深々と突き刺さってなんかいない。
「いやいやいや! ヒナトが弱いんじゃなくて、さすがに女子へのハグみたいな行為は学校ではまずいと思って、自分から解放したんだよ!」
幼馴染の純粋な解釈が、俺の精神的な不出来さを強調してなんかいない。
うん、大丈夫だ。聞き馴染みのある声を浴びたことで、とち狂った俺の思考と精神は解熱した。後輩との密着状態も解除されたことにより、異常な緊張や焦燥もどこへやら。
今となっては嘘みたいに冷たさを取り戻しているし、さっきまでの自分は嘘だと信じようとしている。
あんなのは夢、幻想、まやかし、偽り、空想……。
「そう、虚偽だ。あんな比位陽名斗は偽物だ。俺の中から消し去ろう。記憶の中から追い出してしまおう。ハグとかないし、ちょろいとかちょろくないとかそもそもどうでもよかったし、いや全部ミスっていうか間違いっていうかだな……」
何度繰り返そうと五感には確かな余韻があって、喉を震わせても過去の改変には至らなかった。
「あらあら、何もしてないのに壊れたわ。面白い現象ね」
「楽しんで眺めてる場合じゃなくて、わたしたちは早く色んな意味でその子を取り押さえて事情聴取するべきで――だけどこれはヒナトの自業自得でもあるし、落ち込んでるのもちょっと可愛いしで悩ましいかも……」
「先輩! 間違いってなんなのですか! そっちからちょろいちょろくないにこだわりだしたことも、背中に腕回して離れられないようにしたのも、絶対に忘れてなんかあげませんからね! ここから逃げだした後のこと、キッチリ覚悟するといいっすよ!」
三方から自由気ままに声が飛んでくるが、とても処理しきれない。大まかな状況を把握しようと首を回すと、
「さて、心さん、だったかしら。決して逃がしはしないわ。ここしばらくの見張りと聞き耳が無駄になってしまわないようにね」
「『調整』の詳しい話、わたしたちにたくさん聞かせてもらうまではどこにも行けないからね。『一生ここに閉じ込めることも』って、あなたがさっきヒナトに言った言葉そのままにできるかも」
二人の門番が、行き止まりの入り口を見事に塞いでいた。見事なもので、攻撃的な威圧感に溢れている。俺だったら迂回路を選んでいることだろう。
「す、すみませんっす、幼馴染さんと転校生さん! 今日は急用がありましてまた会う時があればいつかどこかできっとお話でもできたらないいっすね――」
小さく機敏な見た目ロリはぺらっぺらな社交辞令を述べながら吶喊し、
「わっぷ、あう……」
肩まわりを計四本の腕に抑え込まれ、人の壁にきちんと阻まれた。スタートダッシュの加速を失った後輩は意気を失い、リードを引っ張られた散歩中の犬みたいだ。
「うぅ、せんぱぁい!」
飼い主に助けを求める鳴き声が聞こえたが、可能なのは聞き取ることだけだった。俺に何かできればよかったのだが。
ごめんな、の気持ちを視線に込めて、囚われの少女に送っておくので精一杯だ。
「せぇんぱい……」
抵抗の意思を失った声と潤んだ瞳に、良心がじんわりと静かに痛む。罪悪感を噛みしめる暇もなしに、
「どうすればヒナトは戻るの。『調整』を取り消させる方法はなに?」
鋭利な問いがあった。夏那の喉から生じたとは微塵も考えたくもない、一定で低空飛行の声色でだ。怖い。
だが上級生の圧力もむなしく、被尋問者は顔色一つ変えていなかった。先ほどまでの焦りが、ただのおふざけだったと言わんばかりに。
「確実なことはあたしも分からないっすよ。大体、先輩の可哀想な境遇がバフ・ナーフによるものだと、確定してないっすよね?」
「そうね。しかし他に仮説もないわ。私の説でないと、七都名さんと比位くんの関係は説明できない。特定の個人を認識不可能なんて特殊状況、『調整』絡みの可能性が高いでしょう?」
「まあその意見も分かりますっすけど、むー、びみょーっすね……」
露骨に首を捻ってうんうん唸り、単語にならない考えがじわじわと絞り出される。二名による抑えつけによって圧搾されているみたいだ。
「うーん、先輩に関してはっきりとしたことは言えないっすけど、幼馴染さんと転校生さんの『調整』をどうにかする方法、形だけなら一応思いつくっすよ」
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