第13話 バフの有効活用

『あー、あー、特別放送です。こちらはいま、ヒナトにだけ語りかけています……』


 授業終了を示すチャイムが鳴り響いた後、幼馴染の声がどこからともなく届いた。付近には誰もいないにも関わらず、だ。

 普通に考えれば怪奇現象。家庭科の授業を時代遅れの虚無だと決めつけ、隅っこで時間を潰している報いがとうとうきた――と考えかけたところで、今朝のパッチノートを思い出した。


 七都名夏那に与えられた、ピンバッチ型の指向性マイクとスピーカー。

 あれを使えば、脳内不法侵入の呼びかけも成立するかもしれない。問題は当人がどこにいるか。

 前方を見渡しても平然とした皆がいるだけで、夏那の姿は認められなかった。何もかもが普通だ。異常があるとすれば、


「ふふ、ふふふ……」


 ノリノリで狐面を装備して、絶えず黒いマントを揺らしている転校生ぐらいか。

 もう支給されてから六時間ほど経とうとしているのに、少女の興奮と歓喜の最中にいるようだ。


 ナーフとは一体なんなのか。

 『運営』特有の、実情に即していない調整ミスだと俺は思う。どっかの誰かさんと同じで、運営陣も学園生活エアプなんだ。きっとそう。もしくは黒いマントで喜ぶ厨二病患者を知らないか。


『あれ、あれあれ? 驚いてない? うまくいってないのかな。故障? 今日運営から渡されたばっかりなのに?』


 再度不思議な音が耳を打つ。よくよく注意をしてみれば、動揺は少しくぐもっているし音質も悪い。

 『運営』の与えたモノが、こんなお粗末な性能であるのだろうか。パッチの内容は微妙でも、あの組織の技術力は本物である。

 なにせ『調整』破りのペナルティとして、クラス全体が個人を無視するように仕向けられるのだ。

 音質が悪いということは発信側の環境が悪いということ。そして部屋の隅から眺めて七都名はいないから、


「俺の後ろは――」


 背後にあったドアをガラリと開けて、


「いない……」


 はずれだ。空の廊下が待ち受けているだけで――ん? 

 ガタリ、異音がする。発生源は時代遅れの掃除用具入れが、地震でもないのに揺れている。怪しい。

 金属の箱に近づく。直方体が揺れる。扉を開ける。


 狭苦しいスペースに、よく知る人間がすっぽり収まっていた。調理実習後だからかエプロン付きである。組み合わせが素晴らしく、悔しいことにあざとくて可愛らしいと思ってしまった。俺の負けだ。

 いや夏那もこの世の終わりのような表情をしているので、お互い痛み分けか。


「はわ」

「『はわ』じゃないんだが……なにやってるんだ、そこで」

「か、かくれんぼ」

「鬼はどこだ……」


 この世で一番ソロプレイがつまらないゲームじゃないか。言い訳にしても無茶がすぎる。


「で、本当のところは?」

「あの、えと、直接話しかけるのが恥ずかしくってさ。ちょっと遠回りにいこっかなーって……えへ」


 はにかんだ夏那は、背に回していた両手をおそるおそる前へ出す。若干震える指先がきゅっと握っているのは、チョコクッキー入りの袋。そういえば、調理実習で皆が焼いていたような……。


「あの、これ、クッキー、余ったから、いるかなー? って……」

「いる」


 嬉しい。飛び跳ねたいくらいに。

 お菓子を貰うことがこんなにも喜ばしいなんて。万年欠席扱いの俺でも参加した気分を抱けることが、これほど素晴らしいなんて。

 比位陽名斗を認識して気遣ってくれる人の存在がここまで救いになるなんて。


「っ! じゃあもら――」


 歓喜に押されて、口より先に右手が伸びる。そして五指が空を切る。

 あれ。おかしいな?

 俺が思いとどまって手を引っ込めようとしたから、空振りしたわけではない。数秒前に差し出された袋が遠ざかっていた。


「あ、でもやっぱ要らないよね。なんかこれまあまあだし……いやだめだめかもだし……」


 施しが無情にも距離をとる。包まれた希望が遠のいていく。


「いやそんなことない! すごく嬉しいし!」

「でもよくよく見ると、美味しくなさそーだし、ていうか焦げてるし……」

「えっそれ焦げなのか……てっきりチョコクッキーかと」

「はっ、そ、その手があった……いやでもでも、失敗焼き色の責任をココアパウダーに押し付けるのは無理だし、そもそも味が――」

「いえ、その焼き菓子は美味よ。私の舌がそう感じたのだから、胸を張りなさいな」


 ガラリと扉が開かれ、力強い主張が寂しい廊下に木霊する。無駄に綺麗な声だけで判別できるが、まあ一応振り向こう。


「斗乃片、さん……?」


 そこには狐のお面を斜めに被り、黒マントをひらひら揺らした転校生がいた。腰に右手をあて頬の近くに左手を添え、無駄にかっこつけた(と想定される)ポーズ付きで。

 斗乃片クラスの美人じゃなければ致命傷クラスのダサさだ。


「なんで、どうして……?」


 怯えたような、困惑したような震えが夏那の喉から漏れる。声と形容するにはとても弱弱しく、動かない部位に無理矢理力を込めた結果の振動だった。

 彼女の弱さに、昨日の昼休みを思い出す。屋上に手、幼馴染が零していたことを再生する。


 バフされた者とナーフされた者との間に生じる、感情のこと。

 不公平や劣等感に、優越と偏在、才能、羨望や、罪悪感等々――他にもきっと色々あるはずだ。

 好悪入り混じって肥大した情緒を抱えて、はたして夏那がどう反応するのか。


「えだって、斗乃片さんは別の班だし、わたしクッキーあげたりもしてないし、そもそもこれが初接触で――ヒナト、どうしよ⁉」


 あれ、なんか違うな。幼馴染の困惑が想定と九十度ぐらい違う。別の班やら、初接触やらは怪しいワードがちょくちょく聞こえてくるし。

 昔なじみから救いを求める瞳を向けられては、スルーすることなんてできない。

 それに、クッキーを貰うことで疎外感から俺自身を救わなくてはならないし。


「斗乃片、いきなりどうしたんだ? あと夏那が怯えてるから、あまり突飛な行動は控える感じで頼む」 

「人を変質者みたいに言わないで」


 狐面に黒マントを装着して、どや顔でポーズキメながら登場する奴は変質者ではないらしい、と……。


「私はただ、不当に自信を失くしている製菓の徒に勇気を与えにきただけよ」

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