第10話 二月

 ケーキの上にクリームを乗せて、銀のアラザンをふりまいたような、真っ白で豪奢で華美な馬車が、ゆっくりと大通りを進んでいきます。四頭立ての白馬の馬車は、王家ゆかりの方の馬車。護衛の騎馬に囲まれて、がらがら毅然と進んでいきます。


 馬車の中では王様が、頬杖ついて流れる風景をぼんやりとして見送っていました。遠い遠いはるか南の国へと表敬訪問に伺って、慣れない国で数日過ごし、やっと帰ったところなのです。


「大臣。しばらく公務はないだろうな」

「本日は夕刻より晩餐会、その後、議会がございます。明日は財務大臣主催の相談会、午後よりロイエンタール公爵との面会、その後商工会からの……」

「もうよい。わかった」


 王様はげんなりとして答えると、大臣の顔も見ずに掌をひらひらとさせました。そうして見るともなしに街の景色を眺めつつ、ため息でガラス窓を白く曇らせておりましたが、ふいにあるものを目に留めて、弾かれたように起き上がりました。


「っ! 大臣、馬車を止めよ!」


 大きな車輪が、がらりと音を立てて石畳の上止まりました。王様は靴を鳴らして街路へ出ると、唇をきゅっと結んで顔を上げました。軽やかなはしばみ色の前髪が、はしゃぐように北風にそよぎました。


 せっかく降りたというのに王様は、地味なマントをひっかぶり、フードを目深にぐいと下げ、人目を忍んでおりました。

 立派な服装ももちろん目立ってしまいますが、それ以上に隠さねばならないのは、そのお顔。何せ金貨には父である先王の顔が、銀貨には王子であった頃の王様の顔が刻まれており、この国の者なら誰でも、王様の顔を知っていたからです。


 お忍びのお供は近衛隊長と、おひげの大臣の二人だけ。

 三人は馬車を待たせてそろそろと小路に入ると、ひとつの看板を目指して小走りに進んでいきました。銀色の冬の空の下、冷たい風にきぃきぃ揺れている丸看板。鋏と櫛とをあしらったそれは、理髪店の印です。


 王様はこみ上げる笑いを押し殺しながら、いたずらをする子供のように腰を屈めて、こそこそ歩いていきました。柔らかな靴の下に感じるでこぼこ不揃いの石畳まで、ころころ笑っているようです。

 きょろきょろと周囲を伺いながら、王様は理髪店の窓辺へと進みました。ちょこんとしゃがみ込み、そおっと顔を覗かせます。なんと言ってからかってやろう、なんと言って脅かしてやろう、わくわくうきうき、胸の中がいっぱいです。


 と、そこには。


 にこやかに、けれど真剣に鋏を振るう床屋の姿がありました。


 鮮やかな手つきで髪を捌き、柔らかな物腰で客に振る舞い、端然と勘定をしています。


「…………」


 ふざけた気持ちなんて、吹き飛ぶのには充分でした。

 骨惜しみせず働く彼の姿はいつもよりもっときらきらと、いつもよりもっと男らしいように見えました。


「今回もありがとな。また世話になるよ」

「ああ、毎度あり」


 常連らしい男が席を立ち、店を出ようとしたもので、王様は再びぴょこんと低く頭を下げて、店頭から隠れました。いつもとは違う床屋のくだけた口調にも、胸が大きく弾みます。

 男性客は小さな皮袋を開くと、太い眉を寄せ唸りました。


「参ったな、金貨がないや。今は銀貨しか持ってないんだが、少し待ってもらってもいいか?」

「なんだ、銀貨を持っているなら話は早い」


 床屋は男の手からひょいと銀貨を掬い取ると、コインに――そこに刻まれた王様の横顔に、ちゅっと軽く口付けました。


「俺は金貨(キング)より銀貨(プリンス)を愛しているんだ」


 自分の頬に、触れられたでもないのに。

 王様はしゃがみ込んだまま、熱くなったほっぺたを右手で押さえて、ますます床屋の前に出られなくなっていました。

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