処刑

板本悟

処刑


 私はしがない商家の娘として生まれました。こうして文章を書くことができるのは、成り上がりの父の見栄、貴族様への憧れということになるのでしょう。そして私はそれに感謝すべきなのでしょう。事実、感謝しております。筆と羊皮紙を与えられ、さて、何かを書け、と言われましても、おそらく、父には読むことができないと思います。ですからこれは独り言のようなものでございます。誰かに読まれるまで、これはずっと独り言でございます。しかし、中身のない独り言を読まされるのも退屈でしょうから、つい先日の出来事をお伝えいたします。これもやはり、何の役に立つかはわかりません。私の心の整理でしょうか。なるべく情報に不足なく、私の知っている限りのことをお伝えいたします。



 私は今、うまし国フランスはエクスに住んでおります。商家の娘であった私が嫁いだのもまた商家でございました。今上陛下、皇帝シャルルマーニュ様のお膝元での商いをしている商家でございますから、生まれた商家とは規模が違いまして、嫁いだ当初はその忙しさに目が回るほどでした。


 遠征へ行っていらした、今上陛下の軍隊が御帰還なさるという御連絡がエクスに届いたのが今より一月ほど前でございました。異変といえばもうこの頃からその兆しはあったように思われます。今上陛下の軍隊が予定の日付になっても御帰還なさらなかったのです。ですが、通常の行軍であれば、それも無くはありません。行軍にアクシデントはつきものだと伺ったことがあります。しかし、此度の軍隊は今上陛下の軍隊でございます。少しのアクシデントなど何ほどのものでございましょうか。いったい何者がかの軍隊を脅かせましょうか。


 ですから私は陛下の軍隊の安全を確信いたしておりましたが、しかし、その実、その御帰還の御予定の日時から日が経つにつれてどんどんと不安になるのでした。その旨を夫に話しますと、何、御帰還なされる道程で御酒宴でもなさっているのだろう、などとそんなことを仰りますので、私は本当にそうなのかしら、と、とりあえず心を落ち着けるのでした。ですが、結果として、私の悪い予感の方が正しかった、ということが還御の後に明らかとなったのです。


 御帰還なされた軍隊には怪我人が多く目立ちました。しかし、その程度どうということはありません。戦に勝ち、生きて御帰還なさるれば、多少の怪我などは何も問題などありますまい。ですから御帰還なされた軍隊を見て注目すべきはそこではなかったのです。御帰還なさった軍人の誰一人としてほっとした表情を見せることはございませんでした。陛下もまた、宸襟安んずるわけにはゆかぬ御様子で、その叡慮がかの軍隊全体の空気を取り纏めていたのでした。その御様子を拝見した私ども、市井の民は、よもや陛下の軍隊が御敗走あそばされたのではないか、とも考えました。陛下の軍隊ではとりわけ高名な将である、ロラン様やオリヴィエ様の御姿がどこにもお見えにならなかったのもその論に根拠を与えるものとなりました。


 それから数日後、とある噂がエクスの街を瞬く間に席巻いたしました。智将ガヌロン様の逆心。ロラン様、オリヴィエ様、大司教様の戦死。そして、ロラン様の許嫁オード姫もロラン様の後を追うようにして亡くなられたとのことでした。


 市井の反応は見事に二分されたといって良いでしょう。私どもの商会にいらっしゃったお客様の中でも意見が割れておりました。此度のガヌロンの振る舞いはシャルルマーニュ皇帝陛下並びに帝国への叛逆であり、処するべきだという方もいらっしゃれば、ガヌロン様のこれまでの帝国、陛下への忠義と貢献とを思えば、そしてかの叡智のこれからの帝国への貢献を思えば、此度の振る舞い、不問に付することは無かれども、処する程のことでもあるまい、という御意見の方もいらっしゃいました。


 私はといえば、どちらの立場にも与することができないでおりました。亡くなられた御方、殊にロラン様、オード姫のことを思えば、ガヌロン様のことを許すまじとも思うのですが、また、ガヌロン様の御家族、一族の皆様のことを思えば、処するべしとも言い難く、煩悶とするのでした。そして私は、不敬であることは承知の上で、これはおそらく陛下の御心も私と同じなのではないかしら、とも思ったのです。


 還御なされた数日後、そして、市井に噂が広まった数日後、陛下は諸将諸公の御御方々を宮へと招集なさいまして、裁判を執り行いました。裁判の御様子を私は詳しく存じ上げません。しかし、市井の反応とまた同じく、裁判も二つに割れたようで、ガヌロン様への判決は決闘によって定められたようでした。その決闘の御様子、多くを語られることはございませんが、ガヌロン様が処される、ということで決着がついたようでございました。それが神の御意とあらば、民草に何かをいう権利などありますまい。


 裁判後の民の意見は一つでした。私どもの商会にいらっしゃるお客様も仰ることは寸分違わず、ガヌロン処すべき、でございました。私はそれに対してできるだけ笑顔で、ええそうですね、と申し上げたつもりですが、どこか不自然ではなかったかしら。


 裁判から今度は数日も経たぬうちに、ガヌロン様、その御家族の皆々様の処刑がなされました。それは民が誰もが鑑賞できる場所で、盛大に行なわれたそうです。私はお腹の中の子供を案じ、できるだけ群衆から離れていようと思い、見に行きませんでした。ただ、興奮した民衆の歓声と悲鳴だけが聞こえてまいりました。いいえ、嘘です。ただ、それを見るのが辛く思われたのでした。私もおそらく翌々月には子が産まれ人の親になります。ガヌロン様もまた人の子で、ガヌロン様の御子も、奥方も、皆々人の子であることを思えば、ああ、なんという。せめて幼子だけでも寺院に送るわけにはいかないでしょうか。いかないのでしょうね。ガヌロン様を除いた方々は皆、首をくくられ、ガヌロン様は馬に四肢を引きちぎられたと、興奮気味に、これまたお客様や夫からも伺いました。私はそれを聞いてセンチメンタルな心持ちとなる一方で、興奮している彼らを冷淡な目で眺めるほかありませんでした。


 私のこの態度を偽善だと仰るかたもいらっしゃることでしょう。私もそう思います。ええ、偽善です。欺瞞です。しかし仇討ちとしての処刑と、その処刑で亡くなる人への追悼とどちらが偽善なのでしょう。


 シャルルマーニュ皇帝陛下は御神託を賜ったとのことで先日、軍隊を伴って出御なさいました。戦争に次ぐ戦争。乱世も乱世でございます。

 ああ、神様。イエス様。私は貴方の御意にまったく背くつもりはございません。何の反論もいたすつもりはございません。しかし、今上陛下の御宇に戦争なき平和は望めないのでしょうか。アーメン。

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