第2話
扉を開く。チャリンチャリンと扉につけられていた鈴が、優しい音を奏でた。中は、少々薄暗かった。オレンジ色の電球が、室内を優しく照らしている。カウンターには椅子が五つ。カウンターの向かい側には、低めの机が3つ並んでいる。机を挟む形で、長いソファーが一つと、小さな丸い椅子が三つ置かれていた。ここまでなら、通常のバーとさほど変わらない。違っているのは、カウンターを含め、すべての机に将棋盤と駒が置かれていたことだった。オレンジ色の明かりを反射するそれらは、えも言われぬ美しさを放っていた。
「いらっしゃいませ」
カウンターに立っていた若いマスターが、笑顔で声をかけてきた。年のころは三十代前半だろうか。いや、もっと若くも見える。スーツをびしっと着こなした彼は、とても穏やかな雰囲気を醸し出していた。
「あ……えっと……」
「初めての方ですね。どうぞこちらへ」
慣れない場所にどぎまぎとする私に、マスターは優しく微笑み、カウンターへと案内した。カウンターの椅子にちょこんと腰掛ける私。目の前には将棋盤と駒。近くで見ると、よりその美しさが際立って見えた。
「お飲み物はどうなさいますか?」
マスターは、メニュー表を開き、私に手渡した。スタンダードなお酒から、聞いたことのない名前のお酒までそろっている。一体何を頼めばいいのやら……。
「あの……私、お酒とかあまり分からなくて……。マスターのおすすめとかありますか?」
こういう時は、マスターにお任せをするのがいい。お酒にうるさい上司がそんなことを話していたのを思い出し、言ってみる。
「そうですね……じゃあ、梅酒のソーダ割りなどいかがですか? 口当たりもよくて、飲みやすいですよ」
「あ、じゃあ、それでお願いします」
「かしこまりました。そうだ、僕がお酒を作っている間に、駒を並べていただいてもよろしいですか? すぐに僕もお手伝いしますので」
「わ、分かりました」
そう言って、マスターはお酒を作り始めた。私は、駒を箱から取り出し、盤上に広げていく。ジャラジャラと小気味よい音が、店内に流れるバラードの音と調和する。私は、駒の一つを手に取り、ぱちりと打ち下ろした。……ああ、久々の感覚。
「将棋はどれくらいやってらっしゃるんですか?」
そう言って、マスターは、私にグラスを手渡した。その中には、きれいな薄黄色をした梅酒のソーダ割りが入っている。「ありがとうございます」とお礼を言ってそれを受け取る。
「大学の時に始めたから、丁度四年ですね。まあ、働き出してからは全くです」
梅酒を口に含む。梅の良い香りと、炭酸のシュワシュワとした刺激が、口の中一杯に広がった。
「まあ、働いているとなかなか将棋を指すのは難しいですよね」
うんうんと頷きながら、マスターは駒をきれいに並べ始めた。つられて、私も並べかけの駒を手に取る。
駒を並べ終え、私とマスターは、姿勢を正した。私は座ったまま。マスターは立ったまま。カウンター越しだから仕方がないとはいえ、少々違和感があった。
「「よろしくお願いします」」
久しぶりの将棋が始まった。
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