ひとりで桜を見ることは

サヨナキドリ

ソメイヨシノ

 春。もうずいぶんと暖かくなった日差しの中、私は近くの山の少し奥まったところを歩いていた。


「ふう。」


 膝に手をついてひと息吐く。目的の場所まであと少しだ。


 ソメイヨシノ、という花をご存知だろうか?桃の花よりも淡い桃色の、美しい花だ。

 吉野、と名前についてはいるが京都原産というわけではなく、江戸時代の末期頃に東京の染井村で育てられた品種で、桜の名所である京都の吉野にちなんで『吉野桜』と呼ばれていたことが名前の由来とされている。日本では広く親しまれた花で、街の大通りや公園、学校など、全国のあらゆる街で美しい桜並木を作っていた。桜といえば一般的にソメイヨシノのことを意味していた。


 桜並木の下では、春になると花見が開かれていた。花より団子のことわざにもある通り、花を見ることそのものよりも、食事や酒が目当てだろうというのはよく言われる話だ。だがそれよりも、花見というのは『人と集まること』がいちばんの肝なのではないかと思う。寒さと厳しさの季節である冬を乗り越えて、いささか浮かれた気分を互いに共有することこそが、花見の本質なのではないだろうか。


 では、1人でする花見とは何だろうか?


 そんなことを考えながら、山道を少し外れて歩いていると、ようやくその場所にたどり着いた。


 新緑の緑の中、そこだけ世界が切り取られたかのような白に近い薄紅。1本の、たった1本のソメイヨシノの木がそこには生えていた。ソメイヨシノには種ができず、自力で増えることはできない。すべてのソメイヨシノは、接木によるある種のクローンだ。ということは、このソメイヨシノは誰かが植えたものなのだ。それが何のためなのかは、今ではもう知る由もない。

 

 ソメイヨシノという品種は、21世紀の半ばに滅んだ。感染症によるものだった。全ての個体で同一の遺伝子であるソメイヨシノは、感染症に対する抵抗力の個体差が無く、全ての個体が同じ感染症に弱かった。密集して植えられている桜並木における感染拡大を防ぐ手立てはなく、ソメイヨシノは姿を消した。今の桜並木は、ジンダイアケボノなどの代替品種に入れ替わっている。だから目の前にあるこの1本は、おそらく本当に1本だけのソメイヨシノだ。


 傷つけたりしないよう、少し離れた木の根本に腰を下ろして桜を見上げる。この桜に出会ったのは数年前、ちょっとした好奇心でいつもの山道を少し外れて歩いていた時のことだった。それ以来、私は毎年春になるとここにきて、座ってビールを一本だけいただくことにしている。


 1本の桜を見るために山に登ることは、桜を見るというより桜に会いに来るという方がふさわしいように思えた。風に吹かれて桜の花びらが舞う。この桜を見ていると、1人になることを、他の人と違うことを怖がる必要はないと、古い友人に励まされているように感じた。


 一説によると、ソメイヨシノの寿命は60年程度だという。私はまた来ると友人に頭を下げたあと、山を降りる道へと向かった。

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