何だかんだで少女は……

其乃日暮ノ与太郎

説得

 今から綴るこの出来事は、或る夏の終わりに暑苦しく寝付けなかった私が睡眠を促すため外へ出かけた真夜中に一級河川の散歩道を歩いていた途中で、夜空を見上げた視界に入って来た立体駐車場を完備した八階建てマンションの屋上の縁に佇んでいる人影を目撃した事から始まる。


この時点で大方の予想はついた。きっと自殺だ。


これを目撃した途端に何故かその場へと駆け出した私は、外部階段を一段飛ばしで昇り最上階に着くと、遠目から見当をつけていたペントハウスの真下辺りを目指して廊下を走る。

辿り着いたそこはドラマや映画の学校でよく用いられる屋外に通じる鉄製扉の施錠さえ空いていれば誰でも過ちを冒せる場所に行ける造りで、最上段に急ぎ足で上がり終えた後にドアを静かに押し開けると、アルミ製の柵を越してその格子を後ろ手に掴む彼女に会えた。

少女が発見からここに到着するまでに投身していなかった事に安堵しつつ、急に声を掛けて驚かせるのを避けてゆっくりその背中に近寄る。

この気配を察知して振り向いた彼女と視線が交わった瞬間にその場で静止した。


その距離は飛びつくには遠く、飛び降りるには充分だった。

どちらとも口を開く事無くお互いを牽制する時が流れる。


「……ぇえっと……止めよっか」


瞼を腫らした少女の顔と柵の手前に揃えられたブラウンのレザーローファーから命を落とす意志が強いと感じ取った私がやっとの思いで発した言葉に、

「邪魔しないでッ」と金切り声を絞り出した彼女は、こちらを睨みつけながら大粒の涙を溢した。

彼女がパニックになり早まる事を恐れてその場を取り繕う。


「今は国の宝な子供達が親の低所得の為に7人に1人の割合で貧困状態にある。OECD加盟36か国の中で最悪の水準。だけど君はそうじゃないんでしょ。ほら、靴は何だか高そうだし」

よりによっていた言葉が堅苦しい内容だったのは私がお役所仕事に就いているからなのだろう。

「何が言いたいのッ」


えぇ、確かに。


「う、うん。要するにね、あなたはおうちの事で困ったりして無いんでしょ」

この問いに反応が返ってこない。

「お見かけするに、高校の学生さんだよね」

ならば、と落ち着かせる時間を稼ぐ。


「あのね、核兵器の廃絶を求める署名を国連に届ける広島・長崎ピースメッセンジャーって知ってる?インドとパキスタンの核実験をきっかけに始まった高校生平和大使なんだけどね」

一応はこちらに耳を傾けている様子だ。

「スイスのジュネーブで20か国50人以上の大使や外交官の前で祖母の戦争体験を話してね。その人が言った『もう二度と誰にも私と同じような思いをしてほしくない』というメッセージと共に長崎を最後の被爆地にする為に核兵器廃絶を訴え続けてるんだよ」


この時に少女の顔を観察してみると感情が消えていた。

それでもまだ脈はありそうだと信じた私は固まっている女学生に今度は喋る機会を与えてみた。


「どうしてそんな真似しようとしてるの?」


この子は希死念慮でこうなったのだろうか。


「市販薬の睡眠剤を一箱飲んだんけど、数時間意識が朦朧としただけで死ねなかったから」


前々から自殺願望を抱いていたのか。

いずれにせよ、心の危機的状況ということに変わりは無い。

それなら、と更なる状況打破を試す。


「あと、大学院をを退学したことで一家に在留資格が無く日本で暮らす資格が失われた男がいてね。その人には幼い子供たちが居た為、母親と子供達は在留資格を与えないまま一時的に収容を解く措置の仮放免になったの」


これは私お得意の強制送還対象者の話で、


「その留学生の父親の家族として中国から日本に来た社会福祉士を夢見た簿記と英検、秘書検定を取得した女の子は在留資格が無いと就職ができないと知ってね。進学に切り替え、大学の合格通知を受けたんだよ」


留学ビザにまつわる内容の、


「その子ね、入管施設に収容された父親の面会と仮放免の更新で入国管理局に訪れたら身柄を拘束され具体的な説明のないまま中国に強制送還されちゃったの」


入管法改正でより厳しくなった、


「その理由として昭和53年の最高裁判決があって、外国人の在留の許否は国の裁量に委ねられ、憲法の基本的人権の保障は外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎないって話なの」


在留資格を左右する、


「更に留学生として入国させるための裁判は一審で『入管の裁量は乱用されたとはいえない』と訴えを退けたのさ」


基準無き国の裁量に、


「けど、わずか一週間後に高裁の決定が出て一転して留学を認めたの。高裁は大学合格を考慮し、入管の判断は裁量を逸脱していると結論付けたんだ」


振り回された女性の顛末てんまつを纏めたノンフィクション。


長々と語り終えて相手の顔を観察してみると、何方かと言えば響いたというよりも呆気に取られているみたいだった。

それでも最後まで聞いてくれたのならもう大丈夫かも知れない。

和ますにはどうしたものか。


「そうだ、ビールでも飲んでみる?」

「そんなことして司法解剖の結果にアルコール検出されたってなったらどうするの」


ごもっともです。

娘を亡くしたのに未成年の飲酒まで乗っかたら親御さんが倍悲しみますよね。

そして、あなたはとても冷静でいらっしゃる。


このやり取りの後に彼女の顔向きが自分の左肩口の後方に外れ、振り返るとペントハウスの陰から半身を出す黒縁メガネの中年男性がその原因だった。

気にしない訳にはいかず話し掛ける。


「あなた、どうしてそんな所に居るの?」

「え?ちょ、チョット……」

その男の挙動が怪しい。

「ちょっとって何?」

「……じ、実は」

上手く説明できないが、申し訳なさそうに見える。

「実は?」

「度々ここで自殺を試みていました」


あんたがしょっちゅう来てたからこの子も屋上に入れちまったのかよ。


期せずしてこの屋上に死にたい子、死ぬ事を躊躇う人間、死なれたくない者、という三角形の構図が完成した。


厄介事が増えたとしか感じ得なかった私は、取り敢えず後ろを無視して女子高生だけを救うと体を向き直し、続きを始める。


「ねぇ、お嬢さん。どうしてそこに居るのかな?」

「自分の保身にしか興味のない汚い大人達の世界に飽き飽きしたからよ」

「そうだ、大人なんて汚い生き物だ」


おい、あんたが入って来るんじゃないよ。


「記憶に新しい震災の時には電力の供給が滞っているにも関わらず、吸い上げる実入りが少なくなるのを鑑みてパチンコ店の営業を時短程度にしか要請しなかった」


これは?


「世界中から聞き漏れる風評被害には迅速な対応で躍起になって火消しに回るくせに、苦しんでいる当事者には何の保証や手助け、対策をしない」


今存在する政治家?


「非常事態であっても支出を極力減らし、収入を確保する算段を模索する。過去何度も同じ目に遭っているのに国民は学習をせず、吟味をせず国会議員を野放しにしている」


と有権者の?


「そのくせ、自分に寄り添った政策を打ち出してくれないと愚痴をこぼす。首相以下全ての議員は自ら投票した人物、もしくは自らが立候補者の選択を放棄した末に当選した人間なのに」


みっともない話?

おいおい、先の無い事言うな。


案の定、落胆の色が隠せない女生徒。

愕然として両膝に手を置いた自分の左脇を覗くと、物陰から全身を出した中年がYシャツを汗で滲ませて両手に握り拳を作っている姿が逆さまに見えた。

呆れた刹那に頭の先から学生の声がして顔を上げる。


「今の世界が消えないのなら自分がいなくなるしかないでしょ」

「そうです。自らを消すしかありません」

「だったらメガネのおじさんも一緒にここから身を投げれば」

「それはいい案かもです」


いい訳ないでしょ。

飛び降りって皆の殆どが単独で遂行されるモノでしょうが。


「いやいや待って、こんな大人達が支配している世の中を変えようじゃないか」

「そんな大人達の一員になってしまってすいません。死んで詫びます」


あ~あ、悪い方向であっちに響いちまった。

ややこしいオヤジに釘を刺す為に身をよじって怒鳴る。


「いいから、あんたは黙っててぇ」

「もういい。馬鹿らしくなった」



この声に直ぐ様振り返ったが、私は視界から消えるあの娘を見送る事となった。

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何だかんだで少女は…… 其乃日暮ノ与太郎 @sono-yota

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