蜘蛛の糸④
「ったく、どこ行きやがった」
溢れる人と景色をおいて、普段と何一つ変わらない街並みをヴァランは一人で駆けていく。
一人。そう、一人だ。
いつもの日の、いつもの時間に、少年が訪ねに来なかった。ただそれだけで、ヴァランはこうして街中を走り回っている。特別に待ち合わせをしていたわけではない。
ただ、いつものようには少年が来なくて、ヴァランが勝手に探している、それだけの話だ。
それでも、らしくもなく他人の心配をするその心を、咎められる謂れはないだろう。うるさく騒ぐ心臓をなだめながら、ヴァランはそう一人ごちる。
いつもそう。
明確な約束など、二人の間には一切ない。
先の約束など交わさずに別れて、それでも次の時には当然のように少年が姿を見せるから、ヴァランは自然と受け入れてしまって。
そうして、ただすれ違うように、ほんのひとときの時間を重ねるだけで。
互いに差し出す、ささやかな藁を掴んで生きている。
「バカみたいだ」
何ともなく、自嘲する。
信じたものはあまりに儚くて、願ったものはどこまでも遠い。
誤魔化すように、小さな手を掴んで握りしめている。それを愛しさと、あるいは人は呼ぶのだろうか。
親から生まれ、友や兄弟を得て、当たり前に抱いていく感情のように。
思考が散乱する。こんなもの、ヴァランが今まで一度として知らなかった弱さだ。
少年はきっと、また何処かで浮浪者に声をかけてでもいるだけなのだろう。そう思うのに、ヴァランは探さずにはいられない。
失いたくないと、そう強く願う。
――もとより、自分のものでもないのに?
そんな疑問が頭を過ぎった時、ふわりと、よく知った香りが彼の鼻先を掠めた。
振り向いた先、連なる建物の影に、見慣れた後ろ姿。
「お……」
ようやく見つけた小さな背中に声をかけようとして、ヴァランはなぜか止まってしまった。
「王サマ……?」
薄暗い路地に並ぶ、二つの影。
ただそれだけの光景でしかないというのに、しん、と空気が静まりかえり、世界が音を失くす。少年が、そこらに溢れ返る怪我人だの何だのに声をかける姿を見るのは日常茶飯事で、別段珍しくも何ともない。だというのに、いつかに見たあの寂しげな表情がふいに脳裏を過ぎった。
地に座り込んだ青年と向き合っている少年。その表情は、ヴァランからは見えない。
――何を、話しているのだろう。
どろりと、身の内から何かが毀れていく感覚に寒気がする。仇を、と遠くから声がして、自然、拳を握っていた。どうして今、と疑念が湧き上がる。
忘れていたわけではない。
忘れられる、わけでもない。
憎しみの炎はいつでも絶えずヴァランの内で燃えている。いつだってヴァランに、復讐の念を促してくる。
大丈夫、覚えている。
どれほど時が経とうとも、それだけがヴァランの生きる導であったのだから。
だから、必ず果たすのだ。
そう、たとえ、あの、少年を――……。
ざわめく胸中を察したかのように、少年が動きを見せた。ヴァランが来ていることに気付いたのだろう。そのまま振り返ろうとした少年の手を、薄布から伸びた黒い手が掴んだ。引き止められて、また少年が青年へと視線を戻す。
少年を見つめる青の眼光は鋭く、その小さな身体を射抜いている。ざわりと風が音を立て、痛いくらいに太陽が照りつける。ほんの一瞬、視界が白くぼやけて歪む。
けれど、瞬いた後ヴァランの目に見えたのは、青年と話を終えてこちらに向かってくる少年の姿だった。
いつも通り、変わりのない子どもの笑顔。
ヴァランのよく知る少年に相違ない。
それに片手を上げて返しながらも、ヴァランはひどく不穏な気分に晒されていた。
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