山ん婆の昔話/第一話 吾作婆と田吾作婆

やまの かなた

第1話 山ん婆の昔話/吾作婆と田吾作婆

昔々、ある高い山里にポツン、ポツンと家が少しずつ離れて建っている小さな村がありました。

回りがどこもかしこもグルリ山で囲まれていて平地が無いので自ずと山の坂道を登った所に一軒というふうに家が建つ事になり、一つ所に何軒もの家が並んで建つ事の出来ない傾斜のきつい所でした。

そういう所でも珍しく二軒隣り合って建っている所がありました。

それは仲の良い事で知られる吾作と田吾作の家でした。

二人共、同じ頃に生まれ、二人共男の子だった事もあり、生まれる前から父親同志が

「もしも男の子が生まれたら俺は“吾作”と名前を付けるつもりだ。」と一方が言うと、

もう一方も、「俺も男の子なら“吾作”と名前を付けようと前々から考えていたんだ。」と言って譲りません。

結局先に生まれたのが男の子だったので、ほんの少し早く生まれた方が先に“吾作”と名前を付けました。

もう一方も間もなく生まれてみればやはり男の子だったのですが、

隣が先に吾作と名前を付けてしまっています。

だが、別の名前を考えるのも業腹です。

後で生まれた家の父親はそれに一文字付け加えて田吾作と名前を付けました。

そうしてみると、いかにも只の吾作よりも田吾作の方が立派な名前に見えてこちらも満足しました。

二つの家に生まれた男の子二人はスクスクと育って行きました。

親同志の多少の意地の張り合いとは関係なく同い年の遊び相手がすぐ隣にいるので、小さい頃から、朝は早くから、夜は遅く暗くなるまで、いつも仲良く遊んで育ちました。

親達もまた、それを喜んで眺めているふしがありました。

やがて、親達も村の人達も、二人の事は吾作と田吾作ではなくて“吾作”と“田吾”と呼ぶようになっていました。

“吾作”と”田吾“は何をするにも一緒でしたので、男の子らしい勇気のある所もまた、情深い所もある立派な若者に育って行きました。

そして大人になっても二人はいつも仲が良くて何をするにも一緒でした。

猟に山に入る時も一緒なら、かなり遠くの離れた畑に行くのも一緒、山菜を採りに山に入るのも一緒でした。

お互い良い意味で励み合って競走した結果二人共、甲乙つけ難い能力のある立派な若者になっていました。

二人は山で採った山菜も、仕留めた兎や猪もどちらが多い少ないを無しにして必ず家に帰る時には半分こして分け合って持って帰るという事に、つの間にか二人で決めていました。

遠くにある畑仕事も、二人が力を合わせて助け合って片付けるものだから、どちらも遅れをとる事も、

出来が悪い事も無く、

まるでお互いがお互いの欠点やその日の相手の体の調子の悪いのを補うようにしていたのです。

こうして力を合わせる事は、いつの間にか村でも有名になっていました。

二人共、背丈も高く、顔立ちも悪くはなく頭もそこそこに良く、二人並んでいる所は大層立派に見えました。

二人はやがてお互いの家が狭い家だったので、山から力を合わせて長い木を切り倒して来て二軒の家の前の間にがっしりした長い腰かけを作りました。

そして仕事が終わり夕食が済んだ後も表に出てそれに腰掛けて話をするのが常でした。

お互いの親達はいつも一緒に働いて帰って来てからもまた話をして、よくもまあ話が尽きないものだと笑う程二人は気が合うのでした。

その二人が二十歳を過ぎた頃から、お互いの親がそろそろ嫁をとる話をし出しました。

狭い小さな村なので二人に合うような頃合いの娘が二人いる筈もありません。

そこで二人は話し合いました。

どちらかが嫁を取って、どちらかが嫁を取らずにいると、

二人のこの友情にきっとひびが入る事になるだろう。だから嫁を貰う時は一緒にしよう。

そう話し合いました。

そうでなければ嫁は取らない事にしようと…。

そういう条件なので中に入って話を進める人もなかなか一緒となると難しくてぴったりの相手はみつかりません。

とうとう、それから五年が経ってしまいました。

そうして二人が二十五になった年に丁度頃合いの娘二人がいるという事で話を持って来る人がありました。

一人は北向こう隣の村の娘で、もう一人は南向こう隣の村の娘でした。

二人はそれぞれどんな娘か解らないうちに話し合いました。

「恨みくらみ無しにクジで決めよう。」と。

そして「自分に授かった嫁はどんな事があろうとも大事にしよう。」と誓い合いました。

世間には自分の女房が気に入らずにいつも女房の陰口を言っている亭主もいます。

また、極端に女房自慢をして、人から煙たがられている男もいます。

嫁も女房ももちろん親にも言える事だが、相手次第で良い嫁にもなり良い親子

にもなる事はよくある事だ。

どんな親でも鬼でもない限りこれまで育ててくれた、この世の中に二人といない大事な親だ。

だからその親も勿論大事にするが、折角自分の所に来てくれる嫁だ。

どんなにわがままや愚痴を言われても、口答えしたり粗末にしたりしないようにしよう。

そう二人は話し合いました。

もしも嫁が不幸になったり、ましてや、ここの暮らしに不満を抱く事があったら、それは正しく、他なりぬ自分の責任だと考えようと話し合いました。そして、どんな嫁を貰うかはクジで決める事にしました。

クジを引いて決めたからには、それを納得したからには、「どんな嫁でも自分の嫁の悪口は決して口に出さない事、出来るだけ大切にしよう。いいナ?」

そう話し合ってクジを引いて嫁を決めました。

その結果、吾作は北向こう隣の村の娘を、

田吾作は南向こう隣の村から来た娘を嫁に迎える事に決まり、同じ日に祝言をして嫁を迎えました。

吾作の所に来た嫁は色白で小さくてポッチャリした娘でした。

田吾作の所に来た嫁は色は少しあさ

黒いが背丈もあり、スラリと引き締まったいかにも丈夫そうな娘でした。

吾作も田吾作も自分の所に来てくれた嫁さんに満足して、それからは親も嫁も大切に暮らしました。

やがて吾作の両親も田吾作の両親も安心したのか一人、また一人とあの世に行ってしまいましたが、吾作も田吾作も四十に手が届く年になりながら、どういう訳か両方とも、子供が授かりませんでした。

この事は少し淋しい気持ちがしましたが、

どちらか一方に子供がいて、もう一方に出来ないのでは夫婦は淋しい思いをするだろうと思うと、

やはり神様仏様が天から見ておられて平等になさって、どちらにも子供を授けなかったのだと考えたりしました。

吾作と田吾作は相変わらず仲が良く、遠くの山や畑には一緒に出掛けましたが、

嫁さん同士はそう仲が良い訳ではありませんでした。だからと言って仲が悪いという訳でもありません。

亭主同士があんなにまるで双児のように気心が通じて仲が良いのだからと

嫁さん同士は少し、程よい距離をとって暮らしていたといえましょう。

それぞれの嫁さんには名前があったのですが、村の誰もが嫁の名前を呼ぶ事をしないで、いつの間にか吾作のアネサ、田吾のアネサと呼ぶようになっていました。

吾作のアネサは色白のポッチャリ小さい嫁サ、田吾のアネサは背が高く浅黒いキリっとした嫁サ、と村人は認識しておりました。

道ですれ違う人も

「吾作のアネサ、おはようございます。」

また、夕暮れ時は、

「田吾のアネサ、お疲れさんです。」

そんなふうに呼ばれて二組の夫婦はどちらも夫婦仲が良く、

時には両方の家が力を合わせながらつつがなく、年月を重ねて来たのでした。

だから、二軒の家は収入も同じなら、家族も二人っきりで暮らし向きも同じでしたが、それでもいつの間にか大きく違ってしまった事がありました。

それは村人の一人が寄り合いの事で二軒の家に足を踏み入れて初めて解った事でした。

あまりの大きな違いに驚いたその村人が人に話した事から、その話が何の楽しみも無い村の人達の中に広まってしまいました。

それは、吾作の家は家の中が物で溢れて座る場所も無い中に夫婦が埋もれるように暮らしているという事でした。

またもう一方の田吾作の家では逆に家の中はガランとして何もなくて、よくあれで人が暮らしているものだという事でありました。

実際、吾作のポッチャリアネサの家の中は、

ゴミで散らかっているのでは無いけれど、いろんな物で溢れていました。

家の棚や壁のあちこち、果ては天井からも糸や紐で物が吊るされ、所狭しと小さな飾り物やこけしや人形や貝殻で作った物、細かいきれで作ったもの等雑多な物を置いているのです。

そんな中で吾作のアネサは尚もそう言う物達の中にチョコンと座りながら、ワラや木切れや布切れで何かを常に作ってはその出来上がったものを満足気に眺め、これはどこに置こうかと考えているような嫁サでした。

どんなボロ切れも捨てずに取って置き、例えわずかな糸クズでさえ捨てずに雑巾を刺す時に使うという嫁サでした。

吾作もそいういう嫁サにすっかり慣れて、別に不満も無く、その狭さの中にとっぷりと埋もれて満足しているような所がありました。

一方、田吾のアネサはその正反対でした。

人が足を踏み入れたなら途端、驚いて口をあんぐりさせる程、家の中は何もなくガランとしており炉縁も炉

の灰の他は火箸も無いのでは無かろうかと心配する程、何も無い家でした。

その家の中に円座が、

何もない板の間に二枚、あるっきりでした。

炊事場の流しも、果たしてここで煮炊きが出来るのかと心配する程で鍋も釜も一つずつあるっきりです。

当然あるべき皿、小鉢も棚の上に見えません。

箸、しゃもじ、ヘラ等も見当たりません。

どこに置いてあるのか、ちょっと見には人間の生活のにおいが全くしないのです。

田吾と田吾の女房は本当にこの家に住んでいるのか?

この家の中で煮炊きして食べているのか?

あるいは二人は話に聞く仙人のように霞を食べて生きているのじゃないだろうか?

村人達は寄ると触ると噂し合いました。

その話は村の長老の耳にも入りました。

人の話とは、えてして大袈裟になるものだと思いながらも、

誰もがその真相を知りたいと思うのが人情です。

結局、村の長が二人で見て来る事になりました。

まず何も無いという田吾の家に行ってみる事になりました。

何も無いのでは茶の一つも出されずに帰る事になるだろう。

そう考えながら、二人は前触れも無しに田吾の家を訪ねて行きました。

「ごめんくださいヨ」と声をかけて中に入ると、

成程、人々の噂通り何も無い家でした。

板の間は炉があるだけで、スッキリしていると言うか、本当に何もありません。それにはとにかく驚きました。

田吾作と女房は突然のお客にも少しも驚きもしないで長老二人を機嫌良く迎え入れて上にあげてくれましたが、

成程、円座は二つあるっきりです。

はてさて、自分達は板の間に座る事になるのかと思っていると、

田吾作も女房も座っていた円座の一つを二枚に分けて、その下になっている真新しい色の方をお客にそれぞれ勧めてくれました。

つまり二枚の円座は四枚の物を二枚づつ重ねてあったのです。

夫婦と客二人の四人は無事、円座に座る事が出来たという訳なのです。

二人の長老は内心ホーッと胸の中で感心しました。

次に、何もない中から茶はどうするのだろうと考えていると、

田吾作はのんびりとした調子で炉の灰の中から埋もれ火をかき出して、その上に角にいけてあった炭を足して、小さな鉄瓶に少しばかりの水を入れて自在鉤にかけて火のすぐ側に降ろしました

長老二人は女房はどうするかを見ていると、女房は炉縁のすぐの床板を当たり前のようにカパッと一枚剥がしました。

果たしてその中には少しの湯飲みと皿小鉢の姿が見えました。女房はその中から湯飲みだけをお客と夫婦の人数分取り出しました。

それから女房は田吾作にさり気なく“お願い”と仕草をしたかと思うと、自分はそこを立って土間に降り裏口の方へ行ったかと思うと、細い小枝ばかりのたきつけの束を持って戻って来て、その束を田吾作の側に置いてまた、裏口の方へ行ってしまいました。

田吾作はそのたきつけの束の中から神妙な顔で手頃な枝を何本か選んで自分の傍に置くと、小刀で選んだ枝を丁度良い加減の長さに揃えて切り、その先を削り始めました。

そうこうしてる間に、

女房が裏から漬物を持って来て流し場でサッと洗うと切り揃えて、

棚にあったただ一つの鉢にそれを入れて持って来ました。

そして、いつの間に摘んだのか、かしわの葉を客の前に一枚づつ置くと、漬物の鉢を客の前に回して寄こしながら、

「大変不調法ですが、私が漬けた漬物です。お口に合いますかどうか。」とはじらいながら、「どうぞお茶請けにして下さい。」と差し出しました。

すると丁度、それを見計らったように、

田吾作が削ったばかりの取り箸がすっと鉢の上に置かれ、

また、柏の葉の前にも一膳づつ置かれました。

それは実にぴったりと呼吸が合った動作でした。

二人の長老たちはその無駄のない動きに唖然としながら見ていました。

その頃には湯も沸いて女房の漬けた漬物を茶請けに女房の入れた茶を飲みながら話を始めました。

漬物は女房が不調法と言ったのとは大違いで、どう漬けたものか今まで食べた事もない旨い漬物でしたので、

二人が旨い旨いと言って食べると女房も嬉しそうにしたが、

田吾作もいかにも嬉しそうな顔をしました。

二人の長老は世間話の他に、今すぐにでは無いが田吾作さんと吾作さんにはいずれ、この村のまとめ役として責任ある立場になって貰いたいから、その心づもりでいて欲しい等の話をして、帰り際にまた一渡り部屋を見渡して、一人が、

「それにしても、よう、きちんと片付いておりますナー。漬物の味といい、家の中の様子といい田吾の嫁さんはまめまめしい良く出来た女御ですナー。」と褒めました。するともう一人も「本当に感心しました。」と言って土間に降りて入り口に来ると、嫁サが追いかけるようにして来て戸口の二人に恥ずかしそうに、

「私がまめまめしいだなんてとんでもありません。その逆です。私は本当は怠け者で掃除も大の苦手なんです。だから…。こうして。」と言い淀むと側から田吾が

「かいかぶられると困ると言っております。」と援護した。

二人にそう言われても長老の二人にはかえって快く感じられた。嫁サの言った事は、それが本当なのかも知れないが、その欠点を美点に変えている正直な女を微笑ましく思い感心せずにはいられませんでした。

戸を開けて外に出ると向こうの山に沈みかけた夕日が眩しくて良い心持ちです。

二人の老人は家の斜め前の腰掛を見ると、そこに腰掛けて煙草を一服吸いました。それから長老達は家の前で見守る田吾夫婦に別れを付けて帰って行きました。

長老達を送り出すと、

田吾と田吾の女房は今日やる予定だった、家のすぐ裏の斜面に植え付けたにんにくを掘りに急いで出掛けました。

突然のお客の来訪ですっかり予定が狂ってしまったが、すぐ家の裏の斜面の事なので、陽が落ちて多少暗くなるまで二人で頑張れば何とかなるだろうと考えたのでした。

一方、二人の長老はのんびり歩き始めながら、一人が煙草入れにぶら下げている大事な根付けが無いのに気がつきました。

もう一人に先に歩いて行くように言って、一人で引き返して来ました。

田吾の家の中だろうか?

あの腰掛けの所かも知れないと引き返してみると、やはり根付けは腰掛けの足元に落ちていました。

拾ってそのまま帰ろうとしましたが、ここまで来て声を掛けないのもどうかと思われて戸をカラリと開けて、

「田吾作さんやー。」と声を掛けてみると、家の中には誰もいなくて、そこはあの入って来た時と同様、全て無駄なものが一切無い完璧な迄に片付いた状態になっていました。

たった今まで、四人が揃って茶を飲み漬物をつまんでいた気配は全く消えていたのです。

囲炉裏の灰はきっちり掃いて、きれいにならされており、円座は重ねられて二枚あるっきり。伸びあがって流し場の方を見ても、皿や箸、小鉢の洗い物が置かれている訳じゃなし、どこまでもきれいさっぱり片付けられてありました。

その時、長老は思いました。

あの箸はあのまま炊きつけにしたのだろう。

皿替わりの柏の葉は洗わずに炊きつけに使うか、外の草むらに捨てられる物。

円座は元に戻し、炉の火のついた炭は灰の中に埋め表面をならし、茶わん四個と鉢一個はサラサラと手早く洗って片付けたのだろう。

田吾と女房が気持ちを一つにして始末をするのが目に見えるようでした。

それにしても驚いた。

あの女房の手際の良さと無駄のない暮らしぶり。それにあの漬物の味は格別だった。

人間の大方は働くよりも寝転がっていたいものだ。

また、人の中には自分はきれい好きでまめまめしいと思っている人間がいたら、そりゃいるかも知れないが、大体そういう人間は鼻もちならない。

だがあの女房は本音を言いながらも見事な生き方をしている。

「これは驚いた。これは驚いた。」

と独り言を言いながら帰って行きました。

それにしても田吾作は良い女房を貰ったものだと後で二人の長老は感心し合いました。


それから何日か経つと、例の二人の長老は今度は吾作の家を訪ねて行きました。

戸を開ける前から家の前には不思議な物がいろいろ飾ってあります。

恐らく吾作が手作りしたと思われる棚だろう。何段かの棚が戸の前にしつらえてあり、その棚にはそこら辺で拾って来たような岩石や、また欠けて使わなくなった小鉢等に土を入れ、どこかその辺から根分けして来た小さな木を植えて、まるで盆栽のように作り、そういう物を多数飾ってあったりました。声を掛けて戸をカラリと開けると、入り口のすぐ足元から同じようにいろんな物が置かれたり、またはすぐ目の前にも、天井や梁から吊るされた物が所狭しと飾ってあります。

あらまー、これはどうした事かと二人共驚いてしまいました。

前が見えない程の物、物、物の間にかろうじてある空間を恐る恐る通りながら、二人は珍しそうにそれらの物を眺めて入って行きました。

だがよく見ると、それは決してゴミでは無くて、いちいち手が加えられて、それがまたホッコリ心が和むような物ばかりでありました。

どれもこれもこの家の主の人柄を表しているような懐かしい愛らしさがあります。

心が温められるような温かさがあるのです。

それを見ながら家の奥の方に目をやると、吾作と女房が物の中にまるで埋もれるようにしながらニコニコしてこちらを見ていました。

二人の長老は、

「これはまあ珍しい物ばっかりで、つい見とれてしまいましたヨ。」

「大変な財産ですなー。」と言わずにはいられませんでした。

吾作と女房は周りの物をよけて長老達の座る場所を作りながら、

女房が、

「大変お恥ずかしゅうございます。私は生まれが大変貧しかったものですから、貧乏性で物という物はどれもいたましくて捨てられないんです。他人様にはゴミにしか見えないものかも知れませんが。こうしてきれいに洗ってちょいと手をかけて飾ってやりますと、例え欠けた茶碗でも嬉しそうに見えるのでございます。これが私の病気なんです。ほんの五寸(15センチ)ほどの糸くずでさえ捨てられずに後で何かに使おうと取って置くのですから病気なのでしょう。私がいつか死んだ時には裏に穴を掘って、全部埋めて欲しいと言ってあります。ですが、生きているうちはこうさせて貰ってます。」と恥ずかしそうに言いました。

すると吾作が、

「似た者同士というのは本当です。私もいつの間にかこういう物に囲まれているのが少しも窮屈ではなくて、落ち着くんです。」

と言って笑っています。


そう話しながらも吾作の女房は飾ってある物の中から形や色の違う湯飲みを選び出して、それに茶を入れて出してくれました。

二人の客は最初は物の多さに仰天しましたが、こうして茶を飲みながらそれらの物を見ていると、なんだか子供の頃に戻ったような懐かしい思いがして来て、直に狭いその空間にも慣れて来ました。

ふと、尻の下に敷かれた座布団を見ると、それは色とりどりの端ギレを丁寧につなぎ合わせて作られてあります。

二人はその座布団にも温かみを感じて、その狭い空間であるにもかかわらず、いつの間にか好感を抱いていました。

そして、田吾作の家で話した同じような話をして腰を上げると、

吾作の女房がニコニコしながら、

「今日はこんな狭いむさ苦しい所にようおいで下さいました。これは私の手作りしたほんのつまらない物ですがどうぞ。」と言って、小銭を入れても良さそうな小さな巾着袋を一つづつ長老達にくれました。

それは古い着古した野良着や何かから良さそうな所を取って縫い合わせたのだろうと思われる

物でした。

だが内側にはきちんと裏もついて全体をいろんな糸で丁寧に刺した物でした。

見れば見る程、この女房の手先の器用さが解るものです。

巾着袋を見ながら、家に持って帰ったらこれは誰もが欲しがる物だナと思いました。

二人の長老はそれを有難く頂いて良い気持ちで帰り道を歩いて来ました。

そして、しみじみ感じない訳には行かなかったのです。

若い頃は吾作と田吾作は何もかも一緒でした。

考えも能力もよく似ていて双児のように見えたものです。

だが、連れ添う相手が違うとこんなにも違う生き方をしている。

どちらが良くて、どちらが悪いという訳では無いが、人の暮らし方にはいろいろあるのだナーと二人はしみじみ話し合って帰って来ました。

「それにしても、吾作も田吾作も二人共、自分の暮らしに満足しているようだったナー。」

二人が嫁をとる時の経緯を何とはなしに知っている老人達は、

もしも逆だったならどうだったろうと思ったりしました。

それでもあの二人の暮らしはそれなりに満足しただろうかと考えたりしたのです。

とにかく二人共、自分の女房を大切にし、それぞれの女房の暮らしぶりにすっかり染まって満足している所が何とも微笑ましく見えました。

生き方や幸せは他人が決めるものじゃない。人の目を気にしながら形を決めるものじゃない。

自分達が居心地が良いならそれで良いのだ。

二人の長老は自分達が長い事生きて来て、多くの人の生き様を見て来た。

そして、今またこうして極端な二組の夫婦の暮らしぶりを目にして、改めてしみじみと思ったのでした。

それからまた何十年時が過ぎました。

吾作も田吾作も小さな村の責任者を果たし、いつの間にかすっかり年老いていました。

今ではその役割から引退し若い者達に譲って身軽な身になってみると、

自分達がもうすっかりお爺になってしまった事に気が付きました。

もう昔のように山々を駆け回ったり、遠くの畑に行ったりする事はなくなりました。

無理をせずに家の近くの畑を作ってのんびりする日々が続いていました。

そうなると自分達の人生の終わりも近づいたような気がして、何だかむなしい気持ちになる事がありました。

特に夕暮れ時、陽が西に傾いて向かいの山に隠れそうになる頃、

裏山の向こうの山寺の鐘がゴーンと鳴る時には特にうら淋しく思うのです。

家の前に据えられた長い頑丈な腰掛けは若い頃の二人が座ってよく話したものでした。

若い頃の二人は毎日それぞれの家から出て来ていつまでも飽きずに話したものでした。

もちろん山寺の鐘はその頃も今と同じようにゴーンと鳴っていただろうが、あの頃は少しも淋しさを感じる事はありませんでした。

その後、二人共嫁を貰った。

嫁を貰ってからはお互いのんびり腰掛けにかけて語り合う事も無くなっていました。

お互いの畑や仕事は助け合ったが、じっくりとしんみり語り合う事からはもうかなり遠ざかっていました。

だが今、何故か山寺の鐘はいつにも増して吾作の胸にジーンと響いて来ます。

この思いは女房が作った数々の愛らしい小物達にすっぽり囲まれていながら慰めきれるものではありません。

急に表に出て腰掛に腰掛けてみようという気持ちになって出て見ると、

そこには既に田吾作が座っていました。

二人は顔を見合わせると、お互い少し笑いました。

考える事は同じだナと思うと何だか嬉しくなりました。

また、山寺の鐘がゴーンと鳴りました。

しばらくぶりにすぐ近くで吾作は田吾作を見ました。

田吾作は吾作を見ました。

相手の顔はもう昔のように若くはなく、すっかり年老いたカサカサしたシワの多い茶色いお爺さんの顔になっていました。

二人はお互いこんなにも老いぼれたんだナーと思いました。そして二人は口には出さずに過ぎた日々を思い出していました。

子供には授からなかったけれど、よい嫁には恵まれ大過なくこの年迄生きて来られた事に感謝しなければならないと思いました。

もういつ死んでもおかしく無い程生きた事に、今気が付いたのです。

俺達はやがて死ぬだろう。どちらかが先に死ぬという事は解り切っているが、その時、後に残った方はどんな気持ちだろう。

そう思うと、吾作は胸が締め付けられるような悲しい気持ちになって、それを跳ね返したいばっかりにいきなり、

「生きるとは何ぞや!」と大きな声で谷向こうの山に向かって叫びました。

すると木霊が、

「生きるとは何ぞや!何ぞや!何ぞや!」と繰り返しました。

驚く程気持ちよくどこまでも響き渡るのでした。

それに勇気を出して、

「いかに!」と言って見ました。

すると山彦はまた、

「いかに!」「いかに!」「いかに!」と繰り返しました。

すると隣にいた田吾作がそれに答えるように、

「朝起きて、食って、働いて寝る事だー。」と言いました。

すると木霊がまた、

「朝起きて食って働いて寝る事だー」「寝る事だー」「寝る事だー」と繰り返しました。

自分の行った事を木霊が真似るので、田吾作もすっかり嬉しくなって、

「そうもさん!」と言ってみました。

すると木霊が「そうもさん!」「そうもさん!」「そうもさん!」と次々に繰り返しました。これは昔山寺で聞いた禅問答の言葉を思い出したのです。

二人は愉快になってその後大きな声で、

「ワッハッハッハ。ワッハッハッハ。」と笑い転げました。

吾作も田吾作もあんなに虚しかった心はいつの間にか心は晴れて元の若い頃の元気が出て来たような気がしました。


実は随分若い頃に二人は、

裏を登って行った所にある山寺で何年かに一度行われるという禅問答を見に行った事がありました。

もうずいぶん昔の事で、その時に二人の僧侶が向かい合って問答をするのを見たのです。

一人の僧が相手に何か質問を投げかけて

「いかに!」と言う。

問いかけられた僧は何かを答えてから最後に、

「そうもさん!」と言ったような気がする。

何せ昔の事で確かな事は覚えていないが、訳の解らない事を問いかけ、

訳の解らない事を答えていた。

その掛け合いは吾作にも田吾作にもまるっきり理解出来なかったが、

その時の掛け合いが今になって不思議に思い出されたのです。

その頃の事はおぼろになって不確かな記憶だけが老人達の頭に残っていたのです。

それからというもの二人の老人は、

夕暮れ時、山寺の鐘がゴーンと鳴り始める頃には表の腰掛の所で問答をするようになりました。それは人が聞いていたら他愛もないような問答でした。

一人が、

「木霊は何故に人真似するか!」

「いかに!」と聞くと、

「人の真似をするのが仕事だからだ!」

「そもさん!」といった具合です。

その後で二人は必ず腹をかかえて笑い合うというそんな調子でした。

二人はお互い、相手の質問がくだらないとか相手の答えが幼稚だ等と批判する気持ちは少しもありません。

二人は若かった頃のおしゃべりの延長のように大きな声で山に向かって、

「いかに!」「いかに!」「いかに!」と何かを質問する。

すると相手はその日、その時の気分で気楽に返事をしてくれ、

「そうもさん!」「そうもさん!」「そうもさん!」と答える。

“そもさん”という言葉が何を意味するかも解らないが、最後に二人は腹の底から笑い合うのが大事な事でした。

他の家々がすぐ近くにあるなら、こんな事は出来なかっただろうが、すぐ近くに、うるさがる人はなし、また元々気兼ねの無い間柄だったので、禅問答は毎日、夕方になると行われるのが習慣になりました。

やがて、それは二人の楽しみにもなり、生き甲斐にもなって行きました。

一日の最後に腹の底から大きな声を出し、谷を隔てた向かいの山に向かって投げつける。

質問する方も今日は何を聞こうかと考えると朝、目が覚めた時から楽しくなって来るし、答える方もまた、少しは考える。

出来る事なら、それらしく答えたいという気持ちもあるにはあるが、だが立派な事を答えなくても良いのです。

何せ生まれた時から一緒に並んで大きくなった仲なのですから。

二人は最後、心を一つにして大笑いする。

それが一番大切な事だったのです。

すると心のモヤモヤがスッキリとして軽くなり愉快になって来るのでした。

問答をするようになってからは満足してぐっすり眠りました。いつの間にかまた心がぴったりと合い、まるで若い頃のあの友情が丸ごと戻って来たような良い心持ちになるのでした。

それからというもの、

春の日も、

夏の日も、

秋の日も、

冬の凍てつく夕方も、

山寺の鐘の音を合図に問答は続きました。


それが二年程も続いたろうか。

ある夕方鐘がゴーンと鳴ったのでいつものように田吾作が表に出ると、

いつも自分より早くか、同時に出て来る筈の吾作の姿がありません。

あれ?どうしたんだろう?

と思い、隣の家の戸を開けて声を掛けると、吾作は体調を崩して床に伏っていました。

物、物、物に囲まれた中に布団を敷いてその中で布団から顔を出して微笑んだ吾作の顔。その顔はいやに子供のように愛らしく見えました。

吾作はまるで幼児に返ったような邪心の無い澄んだ目で田吾作を見ると、

「もう問答も無理なようじゃ。」と言ってまた笑いました。

田吾作は胸がいっぱいで何も言えませんでした。

すると吾作は、

「もうお別れかも知れんから言っておくが、田吾作、俺は楽しかったぞー。俺の人生はまんざらでも無かったぞー。いい嫁さんにも恵まれたし、何といってもお前という友達に恵まれた。ありがとうヨー。」と弱々しく言いました。

田吾作は目の奥がじわりと熱くなって慌てて、

「馬鹿野郎!気の早い事を言うな!ちょっとばかり早く生まれたからって先に逝くって決まった訳じゃないぞ!元気になったらまた問答だ!今度はとびっきりのを考えておくからナ!」

そう言って吾作の家を飛び出しました。

外に出て涙が溢れて止まらなくなりました。

親が死んだ時より、誰が死んだ時よりも、吾作との別れは辛いだろうと思われました。

いつの間にか向こうの山に陽が落ち、薄暗い中で田吾作はいつまでもいつまでも泣きながら吾作の回復を願っていました。

だがやはり、吾作は先に逝ってしまいました。

吾作が旅立った後、

田吾作は急に力が抜けたように急に年老いて、

そして、その後いくらも経たないで、まるで吾作の後を追いかけるように逝ってしまいました。女房が、朝、目を覚ますと田吾作は冷たくなっていたのです。

田吾作は床にもつかず、呆気なくポックリと逝ったのでした。

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