幸せひとりごはん
鱗卯木 ヤイチ
第1話
「お疲れ様でしたー!」
終業の挨拶と同時に、私は急いで職場を後にした。
給料日後の初めての金曜日。月に一度のお楽しみタイムを誰にも邪魔されたくない。
小走りで駅に向かうと、電車の到着を告げるアナウンスが流れ始めた。グッドタイミング! ちょうど電車が来るようだ。
私はホームまでの階段を一番飛ばしで駆け上がる。うん、やっぱり通勤はスニーカーに限る。パンプスだとこうはいかない。
私が階段のてっぺんに辿り着くと同時に、電車もホームに滑り込んできた。私はお行儀よく並び、無事に車内の人となる。これから目的の駅まで30分。
私はスマホを取り出し、お目当ての店を検索した。あった。今月の幸せひとりごはんに決めた店、七輪炭火焼肉店の『満々』だ。
「1名様どうぞ―!!」
店に到着してから待つこと60分。やっと私の番が来た。さすがの焼肉人気店。覚悟はしていたが、この行列にお腹は悲鳴を上げ、何度も心が折れそうになった。でもなんとかここまで頑張った。偉いぞ、私!
あぁ、それにしてもお腹減った……。
おひとり様席が無い店だったので、私は2名席に通された。
混んでいるのにひとりで2名席を使ってちょっと申し訳ない気持ちになる私。でも、たまにはひとりで何の気兼ねなく、思いっきり好きなものを食べたいんだもの。許して!
メニューを開き、改めて食べるものを確認する。う……、さんざん電車内でも見たはずなのに、店に来るとまた迷う……。
お腹は減っているとは言え、腐っても女子。そこまで量を食べられるわけではない。注文するのは選りすぐられたエリートたちでなければならない。
うぅ、どうしようかな……。牛タンは当確! もちろんネギ塩トッピング付きね♪ カルビも決定なんだけど、色々種類があって迷っちゃう。うぅ、『限定』とか『希少』とか書かれると弱いなぁ……。
うーん、でもやっぱりこれにしよう! 和牛カイノミ!
カイノミって言うのは、カルビの中でもヒレに近い部分のお肉の事。なので、カルビのジューシーな脂も愉しめて、かつヒレの柔らかさも楽しめると言う、一度で二度おいしい部位なの。あぁ、早く食べたい!
野菜系にはこの一択、『きのこバターホイル焼き』! エリンギ、まいたけ、しめじ、えのきがバターと一緒にホイルに包まれて焼かれているなんて素敵すぎる! ん? 生野菜じゃなくて良いのかって? いーの! 今日はこってり行くと決めているの!
豚のトントロ、鶏のつくねも気になるんだけど……。サイドメニューの石焼ビビンバや、盛岡冷麺も気になるのだけど……。乙女の私はさすがにそんなには食べられない。今日のところは涙を飲んで諦めよう。その代わり、小ライスと自家製キムチと生ビールを頼もう! 何? 乙女じゃなくオヤジだって? いーの、今日は!
注文を終えると、すぐに自家製キムチと生ビールがやって来た。
小さく手を合わせ、心の中でいただきます! と唱える。これ大事。
私は割り箸を割って、まずはカクテキへと手を伸ばす。
あぁ、この大根のカリカリとした食感と深みのある辛さがたまらない~!
そしてビールを一口。
くぅ! 今週もおつかれちゃんでーす! あぁ、幸せ♪
そうこうしている内に注文したメニューが次々に運ばれてくる。牛タン、きのこバター、そしてカルビにご飯。うーん、女子の一人焼肉にしては勇ましすぎる。……ちょっと調子に乗って頼みすぎたかな、はは。
でも、頼んでしまったものは仕方がない! 楽しんで食べるべし! 残すの厳禁!
ではお次はネギ塩トッピングの牛タンを行きますか。
私は牛タンが破れない様に慎重にトングで摘まみ、焼けた網の上に載せてゆく。
いちまーい、にーまーい……。
牛タンは特に焼き過ぎ注意肉なので、まずは2枚だけ。控えめなジュゥ、と言う音がまた牛タンらしい。
おっと、今のうちにホイル焼きも乗せておかなきゃ! いそいそと七輪の片隅にきのこのホイル焼きを配置する。そしてそのまま流れる様にタン塩をひっくり返す。
あー、忙し。あー、楽し♪ お、そろそろかな。
うっすらと赤みが残る牛タンを2枚とも取り出して小皿に入れる。程よく焼けた牛タンに、かけすぎない程度にレモン汁をチョン、チョン、チョンと……。
器用に箸で牛タンを半分に折り畳み、私は口の中に一気に放り込んだ。
んー! んー! んーー!!
牛タンならではの、この歯ごたえ! カルビ系みたいにガツンとマッチョな感じではなく、ちょっとだけ抵抗を見せる恥じらいのある乙女の様なそんな食感! でもほんとに抵抗をしているわけじゃなくて、ほんの少し力を入れると、プツリと音を立てて全てを受け入れてくれるような……って、牛タンの話なのになんかエロい様な……。
ともかく! この牛タンの淡白な味わいがレモン汁と塩とネギにバッチリ合う! 誰? この組み合わせを考えた人? きっと天才だわ。もうノーベル料理賞あげちゃう!
あっと言う間に私は2枚の牛タンを平らげ、またビールを一口に含んだ。
ぷっはー!
ではお次はっと……。
私は七輪の上のホイルを慎重に開けてゆく。どれどれ、そろそろ良いかな?
ホイルに僅かな隙間が出来ると、籠っていた白い蒸気が一斉に飛び出してきた。それと同時にバターの香りが私の鼻腔を刺激する。
あぁぁぁ、いいニホイ……。
その匂いに私は気を失いそうになりながらも、なんとか意識を保ってホイルを開いた。その中には光沢に肌を輝かせた、艶めかしいまでのきのこちゃん達が顔をのぞかせた。
キャー! これまた色っぽい! ……うーん、牛タンと言い、きのこと言い、焼肉ってちょっとエッチな感じなのね。初めて知ったわ。おっと、そんな事考えている場合じゃないわ! 食べ頃のきのこちゃん達を食さねば!
まずはエリンギをむんずと箸で摘まみ、口に入れる。
んー! このエリンギのコリコリ感ってほんと美味しいよねぇ! 変なクセもないからパクパク行けちゃう♪
続けてマイタケさんっと。んー! こちらもコリコリ系なんだけどエリンギより儚げな感じ。食感を音で言うなら……、シャクっって感じ? 違う? 鼻に抜ける香りが最高です!
しめじとえのきは一緒に食べちゃう! 私は2種類のきのこを箸で掬うと一気に頬張った。
おぅおぅ! まるで新雪を踏み固める様な、キュッッキュッとしたこの食感! たまらんですなぁー! うん、やっぱりバターには、えのきとしめじがやっぱり一番合う!
私はまたビールを一口飲んで、大きく息を吐いた。もう、完全におっさんね……。ま、楽しいからいっか!
でも、ほんとのお楽しみはこれからよ! そう、カイノミ君が私を待っているの!
鮮やかな赤身に、程よくサシが入った姿がこれまた美しい。そしてその美しさに反する様なゴロリとしたその身体。平面ではなく立体。まさに塊肉。THE、肉!
このままの姿も若々しくて良いけど、おねーさんから言わせると、ちょっと大人の魅力が足りないかな。
そんな事を思いながら、私は中くらいの大きさのカイノミをひとつトングで掴み、七輪に載せた。
ジューーッ! その身体つきに相応しい音が鳴り響く。
うーん、男らしいわ♪
カイノミの下面が褐色に色づいたら、上下を入れ替え、また程良い色になったら今度は側面を焼く。そうやって私は七輪の上で丁寧にカイノミ君を育てていく。
6面全てが褐色になったカイノミ君は、すでに子供なんかじゃなく、立派なオトナ♪ 大人の色香がほんのりと辺りに漂う。時おり表面に付いた網の傷跡は、さしずめ男の勲章と言ったところかしら?
……おっと、妄想に耽ってないで早くカイノミ君をいただかなければ!
網からカイノミ君を救い出し、タレの入った小皿に入れる。カルビは断然タレ派の私。
いっただっきまーす!
うっすらとタレを纏ったカイノミを口に運ぶ。さすがに大きいのでひと口では無理。3分の1ほど口に入れ、歯で噛み切った。
おぉぉぉぉぉ!! 少しくらいスジが残っていて噛み切るのに苦労するかとも思ったけれども、そんな事は一切ない。すんなりと私を受け入れ、自らの身の一部を私の口の中へと捧げてくれる。さっすが、大人の男! 惚れるわぁ♪
そして口の中に入ったカイノミを咀嚼しようとするも、少し口を動かすだけでホロホロと身を崩し、その姿を失ってゆく。私は居ても立ってもいられず、ふたくち目を放り込む。タン塩とはまた違う、このこってりとした味! 口に広がる肉汁! たまらんです!
勢いづいて3口目も口に入れてしまう直前で、私は思いとどまる。
危ない、危ない……。
少し自分を落ち着かせると、私はもう一度小皿の中でカイノミを遊ばせた。そして直接口には運ばず、頼んでおいたご飯の上に何度か付けた。雪の様に真っ白だったご飯に踏み荒らされた様な跡がつく。但し、それはこの上もなく美味しそうな風景だった。
好きなんだよね、これ。お上品とは言えないけど……。でも、これぞひとりご飯の醍醐味です!
私はカイノミを口に放り込み、そして続けざまにご飯を頬張る。
ああー! 間違いなしっ!!!
カイノミとご飯を飲み込み、すぐさまビールを口に含む。ひと口、ふた口……。喉が自然と音を鳴らす。
~~~~~~!!!
やばい、死んでもいいかも……。それくらい幸せすぎる……。
そのあと私は、再びタン塩、きのこ、カイノミ&ご飯、時おりキムチの幸せ絶頂ループを何度か繰り返した。そして最後にビールを飲み干して、月に一度の幸せひとりごはんを終えた。
全て平らげた後はかなりお腹がいっぱいで、体重が少し気になったけれども、後悔は微塵も無い。何故ならば、私はこの時のために生きているのだから!
そんな事を思いながら、私は帰宅の途に就いた。
幸せひとりごはん、今日もごちそうさまでした。
幸せひとりごはん 鱗卯木 ヤイチ @batabata2021
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます