4Ⅱ

金子ふみよ

第1章

 魔法使いが魔女の一撃を食らった。

 

「ご、ご、ごめんなさい。私、その……急いでて……だから、本当にごめんなさい」

 魔女が深々と頭を垂れて謝罪する。魔女といっても、腰が屈んで杖を携えている老女ではない。むしろ、ペコペコと上体を何度も高速で折り畳み正立を繰り返すことのできるほど若々しい、見た目中学生である。あるいは、いかにもなとんがり帽やマントなど黒々と全身を装飾しているが、中学生に背伸びをしたい小学生にも見えなくもない。いずれにせよ、絵本や童話に出てくるような鬼婆にも通じる狡猾さや秘めた悪意など、まるで漂わせていない。

「……そう……」

 それを受けて魔法使いの言葉が尻すぼみ気味になる。その理由は二つ。そんなガキンチョの言い訳よりも、苛まれる痛みが尋常ではないのだ。よって、応答もままにならない。

 そして、もう一つ。魔女の手に赤々としたリンゴが乗っていたのだ。

「こ、これで治る……はずですから」

 ためらいがちな魔女。神妙に魔法使いを案じているのは言葉の抑揚からだけでなく、表情からもうかがえる。

「はあ、じゃあ」

 リンゴを受け取った魔法使い。

 魔女は大きな口を開けてから真っ白な歯をかみ合わせた。食えと魔法使いにジェスチャーをしているのだ。魔女が差し出すリンゴほど危ういものはない。半永久的な睡眠という仮死状態になるかも……なんて想像は難しくはない。

 そんな不安に対して、この魔女は神にでも祈るかのように両手を組んでウルウルと目を光らせている。目は口ほどにものを言う。懇願そのものである。しかも、彼女は治ると言った。尋常ではない苦痛がそれを妄信させたとしても不思議ではない。

魔法使い、遠慮なくかじりつき始めた。

 決して壮絶なバトルが魔法使いと魔女の間で繰り広げられていたわけではないのは、このやり取りの緊迫感のなさからも醸し出されている。

 半分ほどリンゴを口にすると、

「げ、気持ち悪」

 腰椎の辺りがうようよとうごめき、隆起してくる感覚になった。見えないと分かっていながら、体をよじる。自分の背部が気になって仕方ないのだ。

 種も芯もないリンゴを完食すると、腰の皮膚がゴム紐のように伸びていき、ゴロリと零れ落ちる音とともに、その感覚が消えると、体内から出てきた代物に、目が点になる魔法使い。

 ぶっとい五寸釘だった。

「確かに、そんな痛みだったけれども」

 ドラキュラでも丑の刻参りでもないのに、腰椎に杭を打たれているような痛みを感じていた魔法使いが現物にあきれ返るほどの凝視をしていると、

「それはお主のイメージの顕現であろう」

 フクロウが魔女の肩に飛来した。魔女曰く、使い魔だそうだ。

「まあ、こんなのが入ってたらと思うと、俺治せんわな」

 粒子となって消えていく五寸釘を見ながら、つぶやく魔法使いに、

「あの……改めてご迷惑おかけしました。池田晶雄さん」

 魔女が再び体を曲げた。

 そして、魔女に名を告げられた魔法使い。彼は一介の高校生である。彼自身の出自も戸籍も日本の地方自治体のデータベースに紛れもなく刻まれている。それでも、魔法使いと呼ばれて過言ではない力を、この池田晶雄は有していた。魔術も呪術も唱えられず、魔道具も持ち合わせていないのに。

 というのも、彼は非常に優秀な整体師なのだ。

親の教育方針により手に職をつけるため、中学の時から整体、カイロプラクティックなどの民間療法の技術取得に研鑚し、それには飽き足らず更には理学療法を独学したくらいである。医学部レベルの解剖学や生理学、衛生学などの教科書を学び、医師法および薬事法の条文を読み込む高校生はめったにいるものではない。 

 わずか数か月前の高校生になる頃には知る人ぞ知り、校長を筆頭に教職員達がことごとくためらいなく施術を依頼し、PTAや来賓に推薦するのをはばからないほどである。三年腰痛で苦しんだ教頭の原因を革靴だと見抜き、それを変えることで慢性の痛みから解放したり、仰向けに寝かせたまま苦痛に顔を歪める教育委員の腰を、バキバキ・ボキボキすることなくスキップで帰らせたりと逸話には事欠かないレベルになった。

 そんな彼をいつしか誰ともなく、魔法使いと呼ぶようになったのは、故なきことではない。とはいえ、まだ看板は出していない。出していないのに、依頼が途切れることはなかった。

 学校の勉強、健康・医療・民間療法の研究、整体施術と多忙を極めながら、自らの身体をケアすることに余念がなかった。

「こんな腰痛は非常識この上ない」

 その彼が初めて腰痛になった。

 体育の授業後に道具の片づけをしていたグランドにて。ラインカーを触ったというなんということはない拍子に激痛。その場にへたり込み一ミリも歩けなくなった上に、担ぎ込まれた保健室のベッドで自分の身体をなんとかストレッチ中心にした施術したものの、帰宅後椅子には五分と同じ姿勢で座っていられない痛み。

 いわゆるぎっくり腰である。正式名称を急性腰痛または腰椎捻挫というぎっくり腰は、魔女の一撃あるいは巨人の一撃と呼ばれるくらいに、突発的で人間には予測不能な激痛である。くしゃみした拍子、歯磨き後のうがいで体を曲げた拍子などなど、なんてことはない瞬間に奴らはやって来るのだ。

 ところが、形容でしかなかったはずの俗称を、池田晶雄は実在に打ちのめされたのである。魔女による痛打。それによって彼は発症したのだった。まぎれもない文字通りの魔女の一撃。

 さらに、どうやら発症はそれだけではなかったようで。

「まあ、イデアのやることはいつも突飛というか、奇想天外というか」

 魔女の名はイデアと言うらしい。その使い魔プラトンは嘆く。

「どうせなら、ミネルヴァくらいつけてもよさそうだが」

「何ですか、それ?」

「神話からの引用だ。気にするな」

学芸会で名のある配役になったのにお母さん採寸間違えて娘さんブカブカな姿の小学生と見間違いそうな魔女は居心地の悪そうな顔をしている。

「その……今回は仕方なく」

 仕方なさの結果で腰痛をかまされていたら、たまったものではないが、理由くらい聞いておかないと、整体師(魔法使い)としては納得できない。

 魔女イデアは、とある件で追いかけていた謎のⅩを捕獲するため四苦八苦していたが、策極まって窮地に身長一〇メートルに巨大化し、一撃を放った。まとめると以上。

 つまりは、巨人の一撃でもあったわけだ。

 池田晶雄。ぎっくり腰の正体と民間伝承して来た存在から漏れなく強襲されていたわけである。

 ちなみにそのⅩとやらは、

「取り逃がしました」

 晶雄、まったくのやられ損である。しかも、Xが何なのかも明かされずじまい。イデア曰く、

「筆舌に尽くしがたいので」

だそうだ。

 晶雄が腰痛になったのは一日前。今日は学校を欠席したくらいである。この間、イデアはXを捜索しつつ、自分が人間をやらかしてしまったと連絡を受け、晶雄の前に登場したということらしい。遠足の雨天中止の連絡網でもあるまいに、いったいどんな情報網が敷かれているのやら。

「では、我々はこれで」

「養生なさってください」

 謝罪と治療を終え、プラトンが魔女の肩で出立の合図をし、彼女はそそくさと一目散しようとするが、

「ちょい待ち」

 魔法使いが魔女に通行規制を強いる。

「魔女がいるってこと、秘密にしといた方がいいんだよね?」

 過失により負傷させた人間の記憶操作を失念している時点で、魔女としては落ち度がブラックホールの中心点くらいなわけだが、

「良心に従って、できれば」

 人間の良心を期待するとは、それさえも消去させる魔術を持ち合わせていないのだろうか。きっと高尚な魔法はあるのだが、イデアが失念してるというのが関の山だろうが。

 そもそも晶雄が腰痛を発症した時、イデアの影さえも見ることはなかった。つまり、姿を消していたのだ。ならば、治療も姿を消してこっそり行えばよかったのにと疑問を思った晶雄だったが、言葉の節々を辿るとこの魔女からは拙さやそそっかしさがうかがわれる。プラトンが奇想天外と言ったのは、こういうところも含めてなのだろうと、納得してしまう。

ならば、なおさらのこと、このまま帰すのは惜しい。

「ならさ、ちょっと協力してくれないか?」

「そ、そういう申し出は人間と魔女の世界との不調和というか、不文律というか、に違反しかねないので、お受けできかねます……」

 それら二世界の暗黙をぶっちぎってその出で立ちを晒してしまっている魔女の目の前に手を上げる魔法使い。晶雄の手に握られている物を眉間にしわを寄せて見るイデア。

「魔女に言って分かるかどうか知れないが、これはスマホと言う。普通は電話とメールなんかに使うのだが、これは動画を記録することもできるわけ」

「はあ」

 生返事のイデア。晶雄が言いたいことが分からないからである。遠隔通信装置の機能ではなく、彼の意図という面で。

「で、すでに録画開始しているわけ。君の姿と音声がばっちりと記録されて」

「!」

 魔女と使い魔の虚を突いて、術を施すとは。抜かりなし魔法使い。

「これをネット上にアップすれば、全世界で視聴可能。もちろん『マジ? モノホンの魔女キターッ』て肯定的にとらえる人、『嘘だー。どうせCGでしょ』と否定的にとらえる人、半数ずつだろう」

 それを聞いて「ねっと? 網かな」とか話半分くらいなものの、どうやら危険性が折半くらいだと理解でき、ほっとする魔女。

「けども。これを知った君の仲間とか、もしくは上司・先輩・親・教師的な地位の人たちはどう思うかなあ。こんな子に育てた覚えはありません的に、君、立場危うくなるんじゃないの?」

 侮りがたし魔法使い。えげつなき言葉まで魔術的だ。

「協力してくれるよね?」

「……はい」

 それ以外にはこの場を丸く収める方法はあるまい。魔法使いに治癒の施術をすべきではなかったと後悔する魔女。

「で、何をすればいいんですか?」

「症状を診てもらいたい人がいる」

 うなだれる使い魔を肩に乗せたまま、魔女が魔法使いに連行された。

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