噴水のある広場

「今日は私と一緒ね。どこへ行こうかしら」

 翌朝、今度はみんなと同じくらいの時間に起きたら、廊下でフロワさんに声をかけられた。昨日の約束のことだろう。

「よろしくお願いします」

 今日はどこに行けるんだろう?



「準備はいいかしら?」

「はい」

 朝食を食べ終えると、早速出発することになった。食べている最中に今日の予定を聞いてもはぐらかせられたから、目的地もわからない。

「ちょっと歩くけど、勘弁してね。きっと一心くんも気にいるような場所だから」

 ヒントはそれだけ。どうも、着くまで教えてくれないらしい。

 歩くのは一番建物側の道。魔法も馬車も使わないで、ゆっくり歩く。福音荘の近くの道は歩き慣れ、街並みの美しさに心躍らせる余裕もある。それは、こっちの世界に来てからの変化だ。日本では散歩すらしなかった。




「私の生まれの話をしてもいい?」

 二歩前を歩くフロワさんが、突然口を開いた。急なことで少し驚いたけど、黙って頷く。

「聞きたくないか……」

 しまった、後ろを歩いているから頷いても見えないや。

「いえ、聞きますよ」

 なんと言うのが適切かわからなかったけど、とにかく返事する。フロワさんには珍しく、ちょっとしんみりした口調だったから、気になる。

「そう、それなら話しちゃうね。私、結構いいとこの家の娘なの。元は商人なんだけど、ずっと昔からの大手で、この街の城主様からちょっとした爵位みたいなのも貰ってるらしいわ。全部、興味ないけど。この街のコーメイとも繋がっていたかしらね」

 いつもの明るい声が、今日はどこか暗い。聞かない方が良かったのだろうか。彼女から切り出したことだから、聞くべきかと思ったのに。

 僕の葛藤に気づかず、フロワさんの話は続く。僕の方からは後ろに組んだ手しか見えないけど、所在なさげに動くその指に、かけるべき言葉も見つからない。

「私はお姫様、だった。その大きなお屋敷の中で。うちの家って、かなり中心部にあったから、周りの同年代は本物のお嬢様ばっかり。たとえ老舗でも、私は卑しい商人の子。気の合う友人なんていなかったわ。たまに祖父や父との商談に商人が来て、それで、自分の娘を連れてくることもあったの。顔見せだとかなんだとか言ってね。その子たちとも、私は仲良くできなかったわ。その子たちにとって私は、私にとっての近所のお嬢様と同じ。側から見ると似たような立場でも、当人たちには雲泥の差なの。私はそんなこと気にしたくなかったけど、そうもいかないしね。友達なんて、一人もいなかったわ」

 あまりに自分とは違う世界の話で、正直ついていけない。それでも、彼女の幼少期が、とても寂しいものだったと言うのはわかった。いつも快活なこの人の少女時代が、想像より遥かに静かだったと知り、僕の気分も暗くなる。かわいそう、と分不相応に見たことない少女に同情する。

 そのとき、ひとりの女の子とすれ違った。笑っている。誰かの元に走っていくようだ。フロワさんがチラリと見ていた。僅かに見えた口元が、少し上がっているような気がした。その笑みは、今の女の子のそれと意味が違うのだろう。

「えーと、あとはなんの話をすればいいのかな?福音荘に入るようになった経緯の話でもしましょうか」

 女の子から目を離し、前を向いたフロワさんはそう言って話を再開した。

「そんな感じの幼少期だったからね、家を出たいと思うようになったのはだいぶ早い段階のことよ。どうやってとか、何をしたいとか、全然考えていなかったくせに。だれにも言えない、幼い夢よ。だって、反対されるに決まっている。名家の女の役割は、君にもなんとなくわかるでしょ?知らないうちに、結婚相手は決まっていたわ。だけど、その相手がアイツだったことは私にとって幸運だったかもしれない」

 そこまで言って、フロワさんは口を閉じた。

 その結婚相手に、彼女が決して良い感情を抱いていないということは、彼女の口ぶりからわかる。それなのに、何故幸運と言えるのだろうか。

「何歳差だったのか、もう忘れててしまったわ。少女の白馬の王子サマになるには、かなり無理があったわね。横暴で、とにかく自己中心的で、実際に会ったのはたった数回だったけど、大嫌いだった。でもね、嫌いのなのは私だけじゃなかったみたい。恨みを買って当然の人物だったのは、確か。具体的な嫁入りの準備が始まり、私たちの関係が対外的にも発表され始めたころ、アイツは失脚した。だれの陰謀だったとか、そんなのは全くわからない。この街で少しでも権力を持っていた人間なら、誰がやってもおかしくなかったしね」

 淡々と話されるあらすじの中に、本来はどんなエピソードがあったかはわからない。きっと……、いや、変な妄想はやめておこう。

「そうして私は解放された。経歴にバツがついたわけでもないけれど、私とアイツの関係は周知の事実だったからね。他の家と今更婚約を結ぶことはできなかった。どころか、その関係があったせいで私の家自体が悪い立場に置かれた。失脚ってほどではないけど」

 ハハハ、と乾いた笑いが、彼女の口から漏れた。

「私の家の中での立場はなくなった。ひどい話だよね、勝手に結ばれた婚約なのに。そんなこんなで、あれほど出ていきたかった家から、私は追い出されそうになった。誰かと結婚させるわけにもいかないけど、未婚の女をいつまでも家に置いていくのも世間体が悪いからね」

 なんて言えばいいか、わからない。下手な口を挟まず、黙って聞き役に徹する。

「師匠に拾われて、福音荘に入れられた。そこから先の話は…………」

 そこまで言って、フロワさんの足は止まった。そしてこちらを振り返る。

「あとで話すわ。今は、目的地に到着したから」

 目の前に、噴水の置かれた広場が広がっていた。




 広場と言っても、リリィと行ったカフェのところのものではない。同じ町にあるからか、かなり似ているけど。

「わーい、おねーちゃんだー!」

「やったー!!」

 フロワさんが噴水のそばのベンチに座ると、小さな子供たちが走って駆け寄ってきた。

「みんな、こんにちは~。今日も来てくれてありがとう。さ~て、今日は何の話をしようかしらね」

 フロワさんは、慣れた風に話を始めた。子供たちは口々に何か言い始める。そのうちの一人の言葉に反応して、フロワさんはもう一度口を開く。

「それじゃ、今日はその話をしようかしら。気弱だった少年が、旅を続けて強くなるお話」

 そこから先のことは、僕の言葉ではうまく言い表せない。フロワさんは、歌のような、物語のようなものを始めた。圧倒的な迫力が、その広場を包んだ。思えば、真っ当にエンターテイメントに触れたのは初めての経験かもしれない。生き生きとしたキャラクターたちに、僕は魅力された。

 全てが終わって、フロワさんはこっちを向いた。

「この光景が、私の理由」

 集まっていた子供たちは、とてもいい笑顔だった。フロワさんも、同様に。

「何の話ー?」

 子供たちは口をそろえてそう言う。そして、更に物語のリクエストを続けた。

「うん、今度はその話をするね」

 そのリクエストの中から一つを選び、フロワさんがまた口を開く……。




 それからいくつものリクエストに応えて、最後に新しい話をしたらしい。満足そうに笑いながら、子供たちはバラバラに散っていった。

 ようやく空いた隣に腰を下ろして、彼女の話を聞く。

「私が師匠に拾われて、最初に連れてこられたのがこの広場だった。そして、今日の私と同じようなことを師匠がしたの。私よりもずっと上手なんだけどね。私が師匠にあこがれたのも、わかってくれるかな?」

 僕は黙って頷く。あの子たちの笑顔は、確かに魅力的だった。

 フロワさんは空を仰いだ。なぜなのかわからない。でも、その横顔の透明さには見惚れてしまった。

「…………、う~ん、言っちゃおっか」

 その独り言は、とても軽い風に言われた。

「どうしたんですか?」

 気になって、自分から聞いてしまった。フロワさんは自分の手に視線を落として、話し出す。

「笑わないでね」

「当然です」

 彼女は少し笑う。

「人の笑顔が見たいっていうのはね、二番目の理由なの。一番目の理由は、自分でも少しおかしなもの」

 なんだか要領を得ない。どういうことだろうか。

「一番古い記憶って、何かわかる?私はね、どこかの草原なの。家族で出かけたのかもしれないけど、記憶の中のその風景に人は誰も写っていない。家族に聞いても、誰も知らないっていうし。夢か何かだとしても、あまりにも鮮明だしね。それに……」

 フロワさんはそこで一度言葉を切った。

「あの光景は美し過ぎて、この世のものだとは自分でも思えない」

 そう言ってフロワさんは笑った。その顔こそ、この世のものとは思えないほど、綺麗だった。

「その草原が見たくて、世界中を旅したいと思っているの。それが、私のもう一つの理由」

 今日という日が、忘れられなくなりそうだった。

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