部屋の中
取り敢えず部屋に戻ってから、椅子に座る。なんとなく嫌な汗をかいてしまった。冷静に考えると、多少僕の持ち物がバレていても問題ないのに。
「『ステータスオープン』」
ノートを手に取って、まず口にしたのがそれだった。
…………、うん、異常なし。ハァ、空しい。
––––––……このように人面樹は口から低級魔法を飛ばしてくるので注意する。––––––
さっきベテラン門番さんから聞いた話を、大体書き纏めることができた。よし、これで聞いた話をより理解できた、気がする。なんとなく情報としか捉えられていなかったものが、頭の中でリアルな映像になっているからかなり便利だ。身体能力が許す範囲なら、ベテラン門番さんの当時の動きも再現できる。これは使えるな。
ページを一つ戻してみると、朝書き込んだ剣の握り方とかの文章が残っていた。今までこのノートに浮かび上がった文は時間の経過か一度閉じられるかで消えたから、これは異例のことだ。今後も使っていく予定の効果であるだけに、色々と特性を調べて置こう。そういえば、このシャーペンの文字の効果は二十四時間までだったけど、この使い方の場合も適用されるのかな?だとしたら毎日書き込まないといけないのは面倒くさいな。
ちょっとした思い付きで、ノートに消しゴムを近づけてみた。これでノート自体が消えないのは、既に実験済み。でも、書き込んだ文字は別だった。当てただけでは消えないけど、擦ったらちゃんと消える。それぞれが訳の分からない能力を持った道具なのに、合わせて使ったら普通の文房具みたいで面白い。変な効果は相変わらず付随しているけど。
書き込んだ文章を推敲して時間を潰していると、ドアがノックされた。
「はい」
返事をしたのと、開けられたのは同時だった。
「ちょっといい?」
リリィが入ってきた。何か思ってるような様子だった。
慌ててノートを閉じるが、少し見られてしまった。
「何それ?」
不思議そうにしている。
「落書き?それにしては、規則正しく書いてるわね。何かの記号かしら」
油断する僕の手からノートをひったくって、もう一度文章が書きこまれたページを眺めている。そんなに字が汚くはないと思うのだが、読めないのだろうか。
「リリィって、字の読み書きはできるの?」
識字率とかが、日本の基準で考えたらだめだったのかと思い聞いてみたが、リリィは怒ったような顔をした。
「馬鹿にしてる?普通に読めるわよ。あ、どっか遠い国の文字か、少数民族のやつとかなの?う~ん、じゃあわかんないや」
リリィは飽きたようにノートを放り出した。勝手だなあ。
「あのさ、何か文字を書いてくれる?」
ちょっと気になることがあったから、検証するために頼んでみる。
「いいわよ、何か書くもの貸して」
出された手に、ノートとシャーペンを渡した。ノートはともかくシャーペンの使い方がわからないようだったから、ジェスチャーで使い方を教える。
「変な道具」
さらさらと、書いてしまった。手の動きに迷う様子はなかった。
返されたノートを見ると、
––––––字ぐらい書けるわよ––––––
と書いてあった。ちょっと怒らせたみたいだ。でも、問題なく読める。自分が書いた字と比べてみても、同じ日本語に見える。リリィが読めなかったのはなぜだろう。
簡単に考えていいなら、やっぱりシャーペンが関係してるかな。毎日自分に書き込んでいる‟理解”の文字が、こっちの言葉を翻訳してくれているのはわかっているし、文字もその範疇に入ってるから、こっちの世界の文字が日本語のように見えて、読むことができる。
そう考えたとしても、違和感がある。だって、僕の話す言葉はわかってもらえるのに、書いた文字は無理なんて変じゃないか。
いっそ、声にした言葉も書いた文章も、どっちも分かってもらえないのなら理屈は通るのに。あるいは逆に、どっちも理解してもらえるか。そうだったら楽だしね。
あの神が設定したものだから、と考えるのを諦めるのは容易いけどそれは嫌だ。まあ、今考えても仕方ないから、保留するしかないけど。
この街に来たときに、何度か文字を書いた気がしたんだけどな。門番たちの宿舎に泊まっていたとき。あれは全部サインだっけ。じゃあ、読めなくてもスルーされたのかな。あるいはリリィと同じように少数民族の文字だと勘違いして、だから気にかけてもらっているのかも。人種差別はどの世界も共通だろうし。
色々考えていたら、リリィが神妙そうな顔をしていた。今すぐに考えないといけない内容でもなかったから、すぐに思考を放棄する。
「どうかした?」
黙っていてもどうにもならないから、兎に角聞く。
「ううん。…………ちょっと座ってくれる?」
促されるままに腰を下ろそうとしたが、部屋の中の唯一の椅子はリリィが先に座っている。仕方なく、ベッドの上に座った。
「あのね」
言いにくそうにしながらも、リリィから切り出した。何の話か見当もつかないから、黙っておく。
「一昨日、君に魔法掛けたじゃん。催眠魔法。あれ、解いた方が、いいの、かなって……」
あったなあ、そんなこと。こっちの世界に慣れようと必死だから、あんまり覚えてなかった。
「どっちでもいいよ」
こんな風に適当に答えると、お母さんに怒られたよなあ、と思い出しながら言った。リリィは凄く不思議そうにしている。
「そんな雑な感じでいいの?」
雑なのかな?魔法ってものにどうやって向き合えばいいかまだ知らないし、グレイさん曰く無害なものらしいから、別にすぐに解いてほしいとも思わない。
「いや、でも、催眠って……」
まだ何か続けようとしていたが、諦めたらしい。
「変な人」
挙句にひどい言い草だ。一応こっちが被害者なのに。
「ごめんね、いままでいろんな人にひどいようにされてきたから。今度はこっちから、って思っちゃったの。ちょっとむしゃくしゃしていたし」
笑いながら言ってるけど、内容は笑えない。なんだか八つ当たりに僕を使ったみたいになってるし。
「完全に同年代の同居人って、いなかったからさ。警戒しちゃってたの。何もしなかったら嫌われるだけなら、たとえ魔法を使っても、仲良くしたかった」
本当にそれだけだとは思えないが、今突っ込むのは野暮だろう。
「でもね、君はそれだけじゃない風に、私に接してくれて。色々知ったうえで、魔法のせいだけじゃない位仲良くしてくれるし。同じような目標を持てたことも、嬉しい」
晴れ晴れとした顔で笑う。思うことはあるが、素直にかわいいと思った。
「でもまあ、恨まれたり気味悪がられたりしてもおかしくないって、思ってたの。許してくれてるみたいでよかった」
確かに気にしてないけど、許したって言ったっけ?
「今度はちゃんと、君と関係を築きたいの。都合がいいって思うかもしれないけど。だから、よろしく」
差し伸ばされた手に、素直に握手に応じた。
「さっきはあんな風に言ったけど、明日は私を頼ってくれていいよ」
そういう彼女は、もうすっかり何も気にしてないようだった。
「じゃあね」
出ていく彼女を見送って、さっきまで彼女が座っていた席に腰を下ろす。普段は嗅がないような、甘い匂いがまだ残っていた。
「結局魔法は解かないのか」
外に漏れないように気をつけながら、そう呟いた。
この結果が、彼女の強かさなのかドジなだけなのかわからない。一緒に過ごすし、依頼も同時に受け続けるのだから、いずれ見極められるだろう。
不思議と彼女に対する嫌悪感はないのだが、例の魔法が僕にどれだけの影響を及ぼしているのかわからない以上、この件も保留だ。普通に彼女のことが好きなのか、魔法のせいで嫌いになれないのか。
ベッドに仰向けに倒れて、時間は進んでいるのに保留にしていることの多さを思い、辟易した。
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