特訓の夜

「あー、疲れた」

 グレイさんとの特訓は終わり、僕の腕はパンパンになっていた。自室内のベッドに倒れたまま、生まれて初めての苦痛を感じる腕を投げ出した。

 剣自体は、まあ、持てない程もない重さだったけど、それを振り回すとなったら話は別だ。もう無理ー。

 十分はうつぶせで寝ていたが、胸の奥がもやもやしだして、思わず立ち上がった。

 ああ、嫌だ。イヤだ、いやだ。

例の文房具を置いているところまで、歩を進める。

 思い留まろうか、いや、できない。やめてくれ、僕の腕。

手を伸ばす。

 定規にしようよ、消しゴムでもいい、シャーペンもありだ。

手が触れたのは、ノートだった。

 お前にはがっかりだ。

  違うよな、違う使い方をするよな?

   早く手を離せ。

    自分が何をしようとしているのか、わかっているのか!?


 頭の中のたくさんの僕が、僕の行動を非難する。

 それでも、僕の体が望まない行動を続けるのは、何故だろうか。断じて魔法になんか掛かっていないのに……。


「ステータスオープン」

 嫌悪感すら混じった声が室内に響く。

 この部屋を使い始めてから、多分五回は言った言葉だ。部屋に戻ってくるたびに、ノートに触れて、言っていたから。

 当然、開かれたノートのページには『生命力』『魔法力』とかいった欄と数字が浮かび上がる。

 僕は嫌悪感と、それに勝るとも劣らない期待を込めた目で、浮かび上がった文字を舐めるように見尽くした。


 …………、パタン。

 ノートを閉じたとき、嫌悪感も期待も消え失せて、ただ失意のみが僕を覆った。

「数字、変わってなかったな……」

 もはや、自分のステータスが上がっていたことを期待するのを、隠す気すら失せた。

 この世界に来て初日の草原で、あれだけ嫌がっていたステータスのシステムを、何を楽しんでいるのだと思ってしまう。思ってしまうが、言い訳をしよう。自己のための、自己に対する、自己弁護。


 だって、自分の今の能力が、データとして見えるんだ。見えるんだよ。

 あてどない努力を続け、その結果を知る機会が年に数回しかなかった日本での日々が、僕にある種の飢餓を与えた。

 曰はく、「自分の力を知りたい」

 僕が多少顕著なだけで、現代日本を生きる人は皆、似たような願いがあるはずだ。

 だから、嫌悪はあってもノートを見てしまう。

 その上、この『ステータス』のシステムは、努力以上のものが手に入る可能性がある。この街に入ってからベテラン門番さんやグレイさんに雑談ついでに聞いたところ、数字の上がり下がりは、やっぱり正当な努力の評価ではないのだ。努力が多少反映されるとは言えども。

 例えば、寝て起きたら『魔法耐性力』が上がっていたり、剣の練習中に『攻撃力』が下がったり。うん、気持ち悪い。そこら辺の采配は、神の権能の内らしい。どこにいるのかは知らないけど、暇つぶしで人の能力を弄んでいるのだろうか。『ステータス』のシステムに馴染んでしまいつつあるとはいえ、アイツに対する嫌悪感は消えないな。

 天才、という言葉の意味も、元の世界とは違うようだ。いや、大筋の‟才能ある人”という意味は変わらないのだが。この世界では、『ステータス』の数字が上がりやすい人、という意味合いが強い。次点で、スキルや魔法を習得しやすい人、だとか。よくわからん。


 と、まあ、自分の立ち位置を確認しよう。どういうスタンスでこの世界を生きるか、みたいなもの。

 一つ、神とそいつが支配しているこの世界が大嫌い。

 二つ、それはそれとしてこのシステムや渡された文房具を駆使してこの世界を生き延びる。

 三つ、最終的には神を一発殴りたい。

 何度も言っている気がするが、こういうことはしっかり確かめておかないとな。なあなあで忘れてしまっては、元も子もない。

 あ、あと、四つ、よりよい人間関係を築いて楽しく生きる。もかな。

 もう日本でのようながり勉は無理だろうし、いっそ人並みに生きよう。お母さんもいないし……。



 コンコンコン

「ご飯らしいわよ」

 扉のむこうから、リリィの声がした。

「わかった、今行く」

 すぐに答えて、手に持っていたノートをそこら辺に放り投げる。消しゴム以外の文房具は、雑に扱ってもいいはずだ。


 いつものテーブルの上には、既に全部の料理が揃っていた。どうやら年長組が先に準備していてくれたらしい。

「おう、一心。だいぶ疲れただろ、早く食おうぜ」

「あーあ、その様子を見るに今日の簡単な練習ですらついていけなかったんだろう?やっぱり戦いなんかやめて、君も学問の道を志しなよ」

 昼間にはいなかった男性二人に、軽く声を掛けられる。

 見られてないから、この位の軽い調子でからかってくれるけど、もし見られていたら本気で心配されていたかもな。

 実際、フロワさんはかなり不安そうな目で僕を見ている。あれだけの失態を晒したんだから、当然だけど。


「召し上がれ」

 いつものように食べ始める。美味しい。体を丈夫にするために、肉が多めだった。それでなくても成長期だから、本当にありがたい。

 そんなに多くは食べられなかったけど。


「あー、食った食った。わりぃな、一心。一応お前用のメニューなのに、俺らの方がよく食っちまってよ」

 ギレンさんが、膨れ上がった腹をさすりながらそう言った。僕の食指があまり伸びていなかったのを気にしていたらしい。

「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと疲れがたまってて食べにくかっただけですから。それに、今日の晩御飯は量が多かったから、少なく見えても結構食べましたよ」

 気を遣わせないように、一言言っておく。どちらかと言えば迷惑をかけているのはこちらだから、あまりに気遣われ過ぎると気が引ける。

 いやいや、みたいな感じで軽く手を振ろうとしたら、腕に痛みが走った。筋肉痛かな?俺にこそもっと気を遣え、と腕が主張しているみたいだった。

「イタタ」

 比較的痛みがマシな左手で右手をさする。片手で剣を振るときは、ほとんど右でやっていたからだろうか。

「大丈夫?ちょっと見せて」

 そのとき、ずっとこっちを見ていたフロワさんが席を立った。回り込んで、僕の方にやって来る。

「ああ、良いですね。お願いできますか?」

と、グレイさん。お願いって、何だろうか。

 フロワさんは「はい」と返事してから、自分のつけていた、花をあしらった髪飾りを外した。

「回復魔法『ヒール』」

 手に取った髪飾りを僕の二の腕に押し付けて、フロワさんはそう呟いた。

 瞬間、腕の痛みがかなりマシになった。

「え?」

 驚く僕に、周囲のみんなは笑った。

「それも魔法の一種ですよ、一心君」

 グレイさんがそう教えてくれた。成程、便利な魔法もあるんだな。回復魔法『ヒール』、言われてみれば、そのまんまな言葉だ。

「私の髪飾りね、これも一応、魔法補助具なの。えーと、顕現・非顕現魔法の区別は教えてもらったんだっけ?前者はこの世に実際に何か生み出す魔法で、補助なしでできる。後者は何か生み出すとかなしに効果だけを顕す、そして何らかの魔法的意味を持つ道具を媒介にしないと使えない。回復魔法とか強化魔法とかね。この髪飾りとかリリィちゃんの杖とかがその道具なの」

 フロワさんが魔法のレクチャーを加えて、そう言った。

 オータルさんが目を輝かせて、

「不思議だろう。興味持ったかい?ぜひ研究しようじゃないか!」

と乗っかって、

「あんたはもう、しっつこいのよ!」

とリリィが怒った。

 さらに大きな笑い声が響いた。


 

 その日の夜は、とても楽しい気分で眠りに落ちた。

 はじめての依頼への不安も、完全に忘れてしまって…………。

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