夜のこと

 急に目が覚めて、体を起こす。眠気はあったが、もう一度寝直すのは難しそうだ。シャーペンの“不眠”を連続で使ったからだろうか、生活リズムが狂っているのを感じる。

 光源がないため、部屋の中は真っ暗だった。この世界に月があるかは確認していないが、あったとしても今日は新月なのだろう。草原を歩いていた時も“暗視”の効果をつけていたため、ここまでの暗闇は初体験だった。

 ベッドの中で暫くの間、呆ける。この世界に来てからずっと気を張っていたので、心休まる時間だった。まだ慣れてないから違和感があるけど、自分の部屋というのはいいものだった。


「ちょっと下に降りるか……」

 このまま眠りにつくまでボーっとしているのも良いと思ったけど、なんとなくベッドから出ることにした。水でも飲みたい。

「えーと、シャーペンは……」

 寝る前に枕元の机に置いていた文房具に手を伸ばす。若干慣れてきたとはいえ、出歩くにはあまりに暗い。“暗視”でもできるようにしないと。


 何度か手を伸ばした末に、ようやく手応えがあった。残念ながら、定規の方だったが。

 ちなみに、文房具の配置は、定規とシャーペンは横並び。少し遠くにノート。定規の上に消しゴムを置いている。適当に置いていても何の問題もないけど、消しゴムだけは野晒しにはしておけないから気を遣う。現段階では使い道の分からない定規を下に敷く形で予期せぬ被害を防いでいる。


 閑話休題。


 取り敢えずシャーペンを手に取ることはできたが、そこで動きを止める。

 静かに耳を澄ましたら、何かの音が聞こえる。

「…………」

「……」

「………………」

 どうやら、下から聞こえるらしい。よく聞こえないが、グレイさんとリリィだろうか。話してるようだった。


 少しだけ迷ったが、結局下りることにする。

 今更寝直すのも難しいし、喉の渇きが本格化してきた。

 シャーペンで“暗視”を書かないで、ドアから顔を出す。廊下の明かり(点々と置かれた蠟燭)は消えていたが、階段の方は点いていた。これぐらい明るいなら、裸眼のままで歩ける。


 他の三人は寝ているのだろうし、できるだけ静かに歩く。ギィ、ギィ、と少しだけ軋む音が足音から響く。

 階段までは問題なく着いた。足元に注意して、手すりにつかまって下りる。



「……、何回使ったんですか?」

「二回ですよ。どっちも、そんなに効果が強くないやつ。ちょっと感情が揺れ動くようにしただけ。結果がどうなったとしても、そこにはアイツの想いがちゃんとある。私が全部操作したわけではない。……、そう、あの頃とは違う……。ねえ、だからお咎めなしでいいですよね?」


 階段を半分ほど歩いたところで、グレイさんとリリィの会話が聞こえてきた。二人とも声を絞って話している。

 声の感じは、グレイさんは静かだけど厳しい様子、リリィは多少の白々しさと言い訳がましい虚勢。二人とも、思うところがあるようだ。

 グレイさんは深い溜息を吐き、もう寝なさい、と告げた。声しか聞こえないが、悲しげだった。


 はあい、と答えたリリィが、階段の方に寄ってきた。

 階段の途中で止まっていたから、彼女が近くに来るまでお互いの姿が見えなかった。

 僕の姿に気付いたリリィは、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに平静を取り戻した。

 既に寝間着に着替えていた彼女の姿は、昼間とまるで違う印象だった。いつもの短杖も今は持っておらず、女の子らしい姿だった。

「おやすみ」

 すれ違いざまそう言った彼女の声は、寝ている同居人に対する気遣いだとしても不自然なほど、静かで寂しげだった。

 フワリと舞った彼女の髪から、今まで嗅いだことのないような甘い匂いがした。ツンと前を向いた顔が、目を引く。

 彼女の姿が見えなくなるまで、つい目で追ってしまった。経験したことのない胸の高鳴りが、僕の心を支配した。



 なぜか名残惜しく感じながら、残りの階段を下りる。

 大部屋には、夕食を食べた長机の真ん中に、グレイさんが座っていた。

「おや、どうしたんですか?」

「ちょっと、目が覚めてしまって。あと、喉が渇いたので水を飲みたいんですけど、ありますかね?」

「ああ、それならちょっと待ってください。すぐに準備しますよ」


 お言葉に甘えて、机に座って待つことにした。さっきまでグレイさんが座っていた椅子の向かい側。

 ただ水を入れるにしては時間がかかっているな、と思っていると、グレイさんが淹れ立ての紅茶を二杯、持ってきてくれた。

「え、水とかでよかったんですけど……」

「まあまあ。せっかくですし、飲んでください。私もちょうど喉が渇いてたんですよ。寝る前に飲む紅茶も一興ですよ。……、ちょっと話したいこともありますしね」

「ハア、ありがとうございます」

 よくわからなかったが、ご厚意には甘える。今日だけで何杯めかわからないが、今まで全く飲んでこなかった分、まだ飽きてはいない。


 少しの間、男二人で真夜中のティータイム。

 半分飲み干したら、グレイさんが口を開く。

「良い匂いでしたか?」

 何を聞かれているかわからず、困惑した。とっさに、さっきのリリィの髪の香りが思い出されたが、流石にそのことではないだろう。

「すみません、言葉が足りませんでしたね。今日、リリィさんのお気に入りのカフェに行ったんでしょう?そこの紅茶の話ですよ」

「ああ、そういうことですか……。確かに、良い匂いでしたね。あ、でもグレイさんのも十分……」

「気を遣ってもらわなくてもいいですよ。あのマスターのような本職の方にはかないませんし」

 素直に感想を行ったあと、ご馳走してもらっているのに失礼かと思いグレイさんの紅茶のことも褒めようとしたが、グレイさんがかぶせてきた。聞いた本人はゆるゆると首を振りながら、悲しい目をしていた。


「そうですか。……、少し、お話をしましょう。楽しいものではないですが」

 そう言って、グレイさんは続けた。

「ここ、福音荘には、訳アリな若者が集まるんですよ。あなたのように。または、リリィさんのように」

「リリィさんの抱えていた事情は、根深いものでした。いえ、過去形で言うことは相応しくないのかもしれません」

「催眠魔法について、どこまで知っていますか?ああ、そもそも魔法についてあまり……。まあ、そう言うものがあると言うことは理解してください。催眠魔法とは、簡単に言えば人の心を操る魔法です」

「聞いてみた感想はどうですか?そんな魔法を日常で使われること、嫌でしょう?」

「リリィさんの周囲の人間も、そう思いました」

「彼女は、催眠魔法の適性が高かったのです。異常なほどに。初歩の呪文ですら、余程『魔法耐性力』がないと抵抗できませんでした」

「彼女や周りの人間が、そのことについて気付いたのは、かなり早い時期です。代々魔法使いの家だったらしく、幼少のころから恵まれた環境だったのでね」

「それでも、精神操作系の魔法に対する偏見はあったようですね。家族からも、その他の人間からも、迫害に似た扱いを受けていました。そのせいで彼女は、自分の既存の世界から心を閉ざし、外の世界に対する憧れを持ちました」

「福音荘に来て、そのトラウマも、大分改善されたようですがね……」


 そこまで言い切って、グレイさんは深く椅子にもたれかかった。心なし、顔に刻まれた皺がさらに深くなったようだった。

 少しして体を起こしたグレイさんが、紅茶で口を湿らせながら、続きを話し出す。


「改善しすぎたのか、それまでの人生のせいなのか……。彼女の催眠魔法に対する心情は、私が思うよりも錯綜したものでした」

「自分の人生を滅茶苦茶にした魔法への恨み、それと同時に、与えられたものは散々に利用してやるという想い。それは、むしろ信条と言うべきかもしれません」

「ええ、催眠魔法をよく使うんですよ、最近の彼女」

「あなたにも2回使ったらしいですよ。ほら、カフェで」

「カフェの中で、彼女が杖を握ったことがありませんでしたか?催眠魔法は杖で補助しないといけないので、それで使っているかどうかはわかりますよ」

「彼女が使った魔法は、『スメルエモーションアップ』と『フォールモーメント』ですかね」

「前者は、嗅覚による感情の動きを過敏にするもの。後者は、瞬間的な感情をまるで落ちるかのように揺れ動かすもの」

「どちらも初歩的な魔法で、強制力のない無害なものですが……。彼女が使ったとなると話が変わりますね」


 最後に風向きが変わったが、話の流れは予想できたものだった。魔法に対する軽蔑と、存分に利用してやるという考えは、夕食の時に彼女自身が似たような思想を口にしていたし。

 魔法の名前に関しては……、なんとも言えない。Smell Emotion Up、Fall Moment、だろうか?単語ごとに直訳すると、嗅覚感情上昇、落ちる瞬間。中々酷いセンスだが、"理解”の翻訳機能が悪いのだと思っておこう。あの神に、こんな地味な残念さがあったと思いたくない。


 そんな僕のくだらない思考をよそに、グレイさんは思い悩んでいた。

 そして、意を決したように僕に言う。

「一心くん、あなたが抱くリリィさんへの好意。それは彼女が仕組んだ謀略の結果です」

 目の前の老人は、視線を下に降ろして、悲しそうな表情をしていた。

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