第捌拾壱章 戦争を止めろ・慈母豊穣会・其の㯃

「これはミーケ様、本日は治療の御予約は無かったかと」


「悪いな、ちと込み入った話がしたくてよ。空いてる部屋はあるかい?」


「でしたら今日はマリウス先生が非番ですので三番の診察室が空いてますよ」


「そうか、助かる。部屋は汚さねェようにするからよ」


 看護師に案内されて空いている診療室に入ろうとした矢先、二番の診療室からエルフの少年が室内にいるであろう医師に挨拶をして出てくるところと出会でくわした。


「お? ロムじゃねェか。去年の忘年会以来だな」


「おお、ミーケか。お前も診察か?」


「いや、ちとワケアリの客人と話をな」


 ロムと呼ばれた少年は一見するとミーケよりやや背が高いだけで若いというより幼いと云ったほうがしっくりくる。

 金髪をオールバックにしているが子供が背伸びをして大人ぶっているようで微笑ましく思えてしまう。

 しかし実年齢は百歳を超えており妻帯者であるという。


「私は今日を持って治療の打ち切りを申し入れてきたところだ」


「打ち切り? 子供は諦めちまったのか?」


「私としてはもう少し頑張りたいところだが女房殿が閉経してしまってはどうしようもあるまいて。今後は死が二人をわかつまで穏やかに暮らしていくよ」


「ああ、もうそんな歳になってたのか。人を指差しては「ザーコ」だの「チービ」だの聖女を名乗っているクセにクソ生意気な餓鬼だと思っていたが時間の流れってのは残酷だな」


「ああ、周囲の反対を押し切ってまで人間と所帯を持つからには覚悟をしていたが、いざ子供を諦めるとなるとツラいものだよ。女房殿には閉経を遅らせる秘薬を飲んでまで無理をして貰っていたのに肝心の私にたねが出来なかったのだから申し訳ない気持ちでいっぱいさ」


「そう自分を責めるなよ。それを云ったら力になれなかった俺こそ詫びにゃァならねェ。すまなかった」


 俯くロムを力づけるように肩を抱くミーケの姿を見てベアトリクスは新芽の会の目的を察してしまう。


新芽・・とはそういう意味だったのか。あ、すまん。無神経だったな」


「いや、アンタが謝る事じゃねェさ」


 新芽の会とはエルフなどの長命種が人間など短命の種族と結ばれた際に生殖能力を持たない者の治療を目的としているのだろう。

 百歳という年齢は人間からすれば長寿であるが長命種からすれば子供と云っても差し支えはない。

 しかし稀にミーケのように人間社会で生活しているがゆえに精神が早熟してしまい肉体は子供でも心が大人になってしまうケースが報告されている。

 故に同年代の人間と恋をして結婚をするものの肉体が幼いせいで生殖能力を獲得しておらず、子宝を授かる事が出来ない夫婦は少なくないという。

 長命種と短命種の婚姻が忌み嫌われているのは、そのような悲劇が予想されるという事もあるのかも知れない。

 新芽・・とは未熟な陰茎をそれでも健気に勃起させている様から太陽に向かって精一杯背伸びをする新芽に例えて名付けられたのである。


「肉体と精神の齟齬に苦しんでいるのは何も長命種だけじゃないぜ」


「それはどういう事だい?」


「実は精霊魔法の遣い手や星神教の神官にも似た被害があってな。アンタら聖女で云うならイルメラって例が分かりやすいか?」


「あっ! そういう事かい!」


 若くして高位以上の精霊と契約に成功した魔法遣い、神に愛された神官、聞けば羨望の眼差しを向けられると思われがちであるが同時に厄介事でもあった。

 神や精霊は高位ほど美しいものを好む傾向にあり、取り分け少女と見紛みまごうような麗しい少年は背徳感もあって特に愛されているという。

 こうした美しい少年達の美貌を維持する為に神は残酷な手段を当人の意思を無視して躊躇ためらう事なく取るのであった。


「第二次性徴に見られる体毛の増加、声の変質、筋骨の発達、それら男らしさの発現を防ぐ為にちんちんの成長を止めちまうのさ。当然、生殖能力なんて得られなくなるワケだが、長寿を与えてやるから気にするな、ってのが神サマや精霊サマの云い分さね」


 イルメラが男性として生まれながら聖女に選ばれたせいで幼少期に生殖器の成長を止められたという話は聞いていたし、共に滝行をした際には濡れた薄衣が透けて貧弱な男性器を見てしまい、改めて神という種族が人の心をおもんばかる事はないのだと認識させられたものだ。


「何で神サマが一層いっその事、ちんちんを取ったり女にしたりしないか知ってるか? 麗しのかんばせに可愛いちんちんが付いてる倒錯感が堪らないンだってよ。もっと云やァ、なまじ残された貧相なちんちんに苦悩する姿がいじらしい・・・・・ンだとさ。テメェでやっときながら何とも慈悲深い話じゃねェか」


「ぐっ?!」


 大神殿で対峙した時以上に濃厚な殺気をかもし出すミーケにベアトリクスは呼吸が出来なくなってしまう。

 心だけでなく肉体までも恐怖で縛られてしまうからだ。


「落ち着け、ミーケ。そちらのお嬢さんが殺気に当てられて顔色を悪くしているではないか」


「あ、すまねェ。アンタに当たるつもりは無かったンだ」


「いや、同じ立場なら俺様だって神に対して怒っていただろうから気にするな」


 ロムに肩を掴まれて我に返ったミーケが殺気を引っ込めて謝罪する。

 ベアトリクスも驚きはしたがミーケの怒りは理解出来たので謝罪を受け入れつつも気にしないように云う。


「悪く思わないでくれ。ミーケは私よりも複雑で特殊な事情があってね。神、否、運命に対する怒りは私以上のなのだよ」


 ローティーンにしか見えないエルフの少年の言葉遣いに戸惑いつつミーケに目を向ける事をやめる事できずにいた。

 海賊上がりで冒険もそれなり・・・・に好きなベアトリクスは好奇心が強くミーケに秘められた謎に興味をそそられて仕方が無かったのだ。

 このような不躾な好奇心ひとつ制御出来ないのか、と内心で己を罵倒する。


「知られて困る話じゃないさね。お袋がな、まあ、何と云うか、母乳の出にくい体質でな。見かねたフランメ姉さんが乳母の代わりをしてくれてたらしいンだわ」


「へぇ…って、ちょっと待て。精霊の乳を飲んで大丈夫なのか?」


「まあ、大丈夫じゃないな。御陰で風邪ひとつ引いた事も無いが只でさえ人間より成長が遅かったのに、この背丈で完全に成長が止まっちまったよ。しかも半分妖精だったせいで影響を強く受けてな。実体こそ持っているが精霊に近い存在になっちまっているらしい」


 エルフとドワーフの血を引く半妖精だったミーケであるが神に匹敵する力を持つ大精霊の乳で育てられた影響は計り知れず、半永久的に幼い姿で生きる仕儀となってしまったそうである。

 一メートル強で発育が止まってしまった月弥に両親も初めは小柄な種族であるエルフとドワーフの血の影響かと考えていたが、いつまで経っても第二次性徴が始まらず、しかも乳歯が一向に永久歯に生え変わらない事に異常を疑ったという。

 ある日、六人の勇者の一人と戦った結果、歯を何本も折られる傷を負ってしまうが幾日もすると新しい歯が生えてきたので、乱暴ではあるが結果的に永久歯となるだろうと安堵したものだ。

 しかし、生えてきたのは何と乳歯であったそうな。

 その後、何度か歯が生え変わるが、その悉くが乳歯であり、未だに永久歯は一本も生えてこないという。


「俺は鮫か」


 と冗談を云って笑い飛ばしていた月弥であったが自分の体の異常に不安を隠しきれないでいた。

 そこでフランメが月弥の体を調べた結果、存在自体が変質しており、もはや人間でもなければエルフでもドワーフでもなくなっていたという。

 赤ん坊が精霊の乳を飲んで只で済むはずもなく、未熟な肉体は変容、否、蛹の中で肉体が全くの別物になるかのように作り替えられてしまった月弥は精霊そのものと化していたのだ。

 そしてだいフランメは月弥にとって最も残酷な結論を下す。

 月弥は成長出来ないのではなくしない・・・というものだ。

 出来ないのであれば成長を促す魔法薬なり術なりを施せば良いのだが、月弥の姿は幼く美しいまま固定・・されてしまっているという。

 つまり向後、どれだけ鍛えようとも力を増す事は不可能であると同時にどれだけの時間を費やそうとも大人どころか少年になる事も出来ないのだ。

 当然ながら生殖能力など望む事すら絶望的といえた。

 月弥の悲劇は終わらない。否、むしろここからが本番であった。


「すまないが婚約は破棄させてくれ。これはお前の為でもあるのだ。分かるな?」


 月弥には許嫁いいなづけがいたのだが、その婚約が白紙となってしまう。

 二人は幼馴染みで婚約とは関係無く仲睦まじくしていたという。

 彼女は幼い頃は病弱で床に伏せがちであったが月弥が魔力を与える事で健康とは云えなくとも歩く事が苦痛ではなくなるまでに回復していた。

 旧家特有のしがらみで籠の鳥のような生活を強いられていたが、その代わり月弥が彼女の望みを何でも叶えてきた。

 時には浮遊の魔法で彼女を空で遊ばせ、時には転移の魔法で彼女が望む場所に連れていった。

 後で大人達に叱られはしたが、それでも彼女に取っては月弥は希望を与えてくれる魔法遣いであったのだ。

 それだけではない。月弥はどんなピンチに陥っても必ず助けに来てくれるヒーローでもあった。

 勿論、月弥の献身は彼女に惚れ込んでの事であるのは云うまでもない。


「月弥、わらわをお嫁さんにしておくれ」


 勇気を出して口づけを贈ったのは彼女もまた月弥に惚れ込んでいたからだ。

 これからもこの幸せがずっと続く、そう思っていたが結末は呆気なかった。


「生殖能力を持たないお前を婿には出来ぬ。跡取りを儲ける事が叶わぬと分かっている男を次期当主にはする事はならぬのだ。勿論、娘を幸せにする事が出来るのはお前しかいないのは理解しているし私も残念でならぬ。父親としてはお前以外の男に娘を触れさせる事すらしたくはない。だが当主として子を望めぬ婿を受け入れる訳にはいかぬのだ。怨んでくれても構わん。気が済むのであれば私の身をいくらでも打つが良い。だがお前を許す事は出来ぬ。出来ぬのだ」


 泣いて頭を下げる本家の当主に月弥は平伏して辞去するより道は無かった。

 その後、彼女は三池流道場で月弥と竜虎と並び称されるライバルを婿に迎える事となったのだが、祝言の日に月弥が三池家代表として挨拶をしても口も利いてくれなかったという。

 ただ三三九度に使われた杯を鬼の形相で月弥の眉間に投げつけた事が彼女の気持ちを雄弁に語っていた。

 そして運命の初夜に月弥は信じるなど到底出来ぬ報告を受ける事となる。

 せめて守り刀にと自ら打った懐剣を彼女に贈っていたのだが、床に入った瞬間、その懐剣で夫となる人物を突き殺し、返す刀で自らの胸を突いたというのだ。

 絶命する直前、自らの血で『我が夫は月弥様をおいて他に無し』と書き連ね、『床に伏し 籠に捕はる 我が身でも 月の照る夜は 希望灯らん』と辞世の句を遺したという。

 長生きは出来ないと医者に見放されていたが魔力を与えられて命をながらえ、籠の中の鳥であった境遇の中でも自由を満喫させてくれた。

 それは誰でも無い。月弥だけであり、それだけが希望であったという哀しい句だ。

 祝言をあげ、初夜を迎えたが、やはり純潔を月弥に捧げたかった彼女はせめて月弥からの最後の贈り物で胸を突く事で破瓜の痛みと代えたのだろう。

 月弥はこの事件で愛する女性とライバルであるが“この男なら”と身を引く決意を固めさせてくれた親友を同時に失う事なったのである。


「嗤えよ。肩で風を切って歩いている天下の教皇サマも蓋を開けてみれば短小包茎に悩むちっぽけな餓鬼ってワケさね」


「嗤えるか! 嗤えるかよ!」


 ベアトリクスは泣いた。声も無く泣いてミーケの小さな体を抱きしめた。

 こんな小さな体でここまで重い物を背負って生きてきた三池月弥を搔きいだく事しか出来ぬ我が身の腑甲斐なさを嘆きながら。

 新芽の会とは自分と同じ苦しみを背負う者達を一人でも救いたいが為のものだったのだと今こそ悟った。

 誰よりも強く、誰よりも優しい月弥の根底にあるものをベアトリクスははっきりと見たのである。

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